芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

鎌倉文士の家

2013年05月31日 | Weblog
さらに歩くと、立派な吉屋信子邸があり、そこからほど遠くないところに、川端康成の一時住んでいたという家があり、表札が今でも川端であった。

鎌倉観光

2013年05月29日 | Weblog
今日、ジャバルプルの大学でコンピュータ学を教えておられた加藤肇彦教授のご案内で、鎌倉を観光してきた。奥さんは、もう長いことヨーガをしておられるそうで、ご一緒に案内して下さったが、鎌倉には、お住まいの横浜から、ご夫妻が相当来ておられるらしく、詳しいご説明であった。写真は鶴岡八幡宮の鳥居。この先にも元はもう一つ鳥居があったのだそうだ。

また、放射能値が急上昇しているらしい

2013年05月27日 | Weblog
今週は、飲み会やら、ボート関係の合宿やらで、終わりそうだ。
その前に、新たなヴィザ申請に必要な書類がそれで良いかどうか、インドのヴィザセンターに聞きに行かねばならない。もし、足りなければ、それをこん度の大学に送ってもらい、揃えてから、申請することにする。何しろ、前回の申請の時は、8回も申請しに通った。しかも、その書類をもらいに一度インドにまで行かねばならなかった。往復の航空運賃は、すべて、自費である。安い給与であったから、2年間勤めても、ヴォランティアと同じであった。それでも、放射能を避けて来るようにという、親切には感謝している。その誘いがなければ、わざわざインドに行って日本語を教えることもなかった。
最近また、19日頃の地震のあと、放射能値が急上昇しているらしい。相変わらず、東電からはそのような発表もない。その上に東海村の実験室の放射能漏れである。それに対して、形だけは、けしからんという態度は示しているが、罰則が相変わらずないから、みんな暢気なものだ。皆、気にもしていない雰囲気に見える。

司馬江漢の墓

2013年05月26日 | Weblog
芥川龍之介の墓の近くに司馬江漢の墓がある。日本に西洋版画を紹介した人で、教科書に出てきたのを記憶している。司馬というのは、司馬遷など中国の名前だから、この人も本名なら、中国系なのかもしれない。名前から推して、日本の指導的な立場の人には、菅や林など中国系や朝鮮系の人が多いように見える。最近、反中国や反韓国のデモが流行っているらしいが、中国、朝鮮は日本人とは切っても切れない間柄だ。デモをしている人の中には、先祖が中国、韓国の出自の人も実はいるのではないか。

元東京外語大の跡地「西ヶ原みんなの公園」

2013年05月25日 | Weblog
北区に払い下げられた元東京外語大の跡地「西ヶ原みんなの公園」は、北区のこの辺りが建て込んでいるので、災害時の避難に相当広い場所を確保するために、造られたのであろう。伊藤忠の建てた高級マンションには、引越しのクロネコヤマトが家具を運び込んでいた。その隣は迎えの武蔵野女子高校が買収したらしく、その付属幼稚園になっていた。写真は、高級マンションを遠望している。

西ヶ原の元外語大跡地

2013年05月24日 | Weblog
西ヶ原の元外語大跡地に行ってみた。
北区の管理下で、「西ヶ原みんなの公園」という名称になっていて、学生時代は狭いと思っていた大学敷地は、広い公園になっている。元の木造大学管理棟が建っていたところは、特別養護老人ホームになっていて、その下に、自然災害などの避難時に、炊き出しをする場所が確保されている。
講堂跡や、食堂のあったあたりは、伊藤忠の高級貸しマンションである。
写真は、染井霊園のほうから撮ったものである。

染井霊園の芥川龍之介の墓

2013年05月23日 | Weblog
昨日、染井霊園に行った。東京でも墓参である。
染井霊園は、外語大が西ヶ原にあった時、通学路にあたるので、よく通った墓地で、有名人のお墓がいくつかあるのはわかっていたが,学生の頃は有名人のお墓にあまり関心がなかったから、どんなお墓があるか、今は忘れている。
たまたま、芥川龍之介の墓があったので、写真を撮った。右が芥川家の墓で、左側の屈まっているのが、それだ。長男の芥川比呂志は芥川家のほうに葬られているようだ。

兵馬俑発見者を大事にする中国

2013年05月22日 | Weblog
兵馬俑は、発見した人が4、5人いて,その人たちが、この兵馬俑の博物館の名誉館長に任命されている。会場内で図録を買うと,それにサインをしてくれるので、私もしてもらった。
発見者を大事にするというのはいいことで,建物にその写真がでかでかと掲げられている。この発見者のおかげで,この田舎が大変な観光地になって,経済効果がすごい。
兵馬俑は、農民の中には、以前からあるのを知っていた人もいたらしいが、それを井戸を掘っていて見つけ、当局に報告した人たちのお陰で、世界に知られるようになったのだ。

中国の膨大さ

2013年05月21日 | Weblog
インドも広いが,中国の広さは,驚きだ。
上海から西安まで2時間以上かかる。その西安の郊外にある秦始皇帝の陵墓は膨大らしく、私が見た兵馬俑は,その一部にすぎないという。発掘された兵馬俑は、二つの体育館のような建物に被われている。発掘は,3カ所だが,一つはほとんど何も出なかったのだそうだ。
発掘してすぐは,色が着いていたが,数日で褪せてしまい,それを避けるため,現在発掘は中止しているらしい。