芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

減反政策への一提案

2008年06月30日 | Weblog
北上川沿岸中田地区土地改良区発行の土地改良区広報63号2008年6.10号が届いている。第67回通常総代会で承認された議案が載っている。
田んぼを米国なみに一区画を出来るだけ広くするほ場整備と田んぼに水をひく水利事業をしている団体だ。毎年、農協の通帳から水利費を賦課金という名目で引かれ、ほ場整備の工事費の分割払いも引き落とされている。数名に職員たちが働いていて、一般会計を4億828万円で可決、積立金が4億3,777万円あるという。賦課金を滞納すると、土地改良法第42条によって年14、6%の延滞金を払わされるのだそうだ。この土地改良区の支出で気なるのは、会議費9,613,000円である。なぜこの小さな団体が年一回の総会しか開かないで、900万円を超す会議費が必要なのだろうか。
それはそれとして、このような賦課金は、他にも我が家では、吉田改良区という所からもとられている。合わせると、15、6万円である。田植に水が必要なことは分かるが、金がかかり過ぎではないか。
農業を潰す農水省は、このような賦課金を国家財政で賄うといいのではないか。そうすれば、農業を潰さなくてすむであろう。農水省が国民の為の農業である本来の仕事として、農業を守れるであろう。宗主国の米国にとやかく言われなくて済むであろう。
賦課金という水利費が、会議費という呑み代にならなくて済むのではなかろうか。
百姓たちの相互交流には、別途また金を徴収すれば良いであろう。会議とはいえ、900万円呑むというのは大変な飲み代だ。このようなところから減反政策を替えて行きたいものだ。

減反政策のつけ

2008年06月29日 | Weblog
減反政策に協力するという形の実質的には、強制的な減反は、一時は、転作に対して奨励金が払われたようだが、今はないようだ。農協の通帳に書きもこまれるいろいろな項目のわずかな金額の入出金をいちいち見るのが徒労だからだ。農業収入は、殆ど誰もが赤字かわずかな黒字であるから、そのようなことにかまけていては、時間の浪費である。農村部の若者が農家を継がないで、サラリーマンになるのが当然である。農家の長男が、大学へ行ってそのまま都会のサラリーマンになるのが多い。そのような農村疲弊政策を市長と農協が推進しているのだ。この減反政策によって、私の家の裏にある田んぼも一部は、畑にしているが、殆ど耕作を放棄されている。その放棄された田んぼにガマが生えて、秋になると蒲の穂が宙を飛び交い、空が真っ白になる。その大量の穂が我が家に飛んできて、洗濯物や干し物、邸中の物に引っ付く。市役所に行って農業委員にガマを刈り取るように再三頼んでいるが、持ち主が登米にはいなくて、それを委託されている百姓もガマを刈るようにいってもやらないという。減反政策をして、その結果がこの様だから市が責任を持って刈るように言っても一向にやろうとしない。そもそもが、農林水産省から指示されて減反政策を垂れ流して無責任な行政で行なっているのだから、減反の行き着く先の耕作放棄についても役所は、知ったことではないという態度なのだ。こんな農業行政が罷り通るから、食の安全確保も自給も出来ない相談なのだ。

減反政策の愚

2008年06月28日 | Weblog
登米市水田農業推進協議会の会長から、6月20日づけで昨六月二十七日に平成20年度転作現地確認実施に伴う確認票の表示について(お願い)というのが届けられた。明日、29日までに確認票を竹または、棒に1m60cmの高さに固定又は吊り下げ、風等による飛散倒伏のないようにしっかりと表示ねがいます。6月30日~7月1日の間に確認し、確認票は回収するという。日数がない上に、明29日は雨の予報だから、今日、28日の早朝に転作現地まで、30分程歩いて行って、確認票という紙を、竹を見付けて割り、それに挟んで高く掲げた。
会長は、登米市市長だ。米を作らせない為、減反させ、その代わりに、転作を奨励するのだ。この転作の確認票を立てないと、わずかな奨励金でももらえないのかもしれない。
結構めんどうな作業だ。減反・転作を強いているのは、市長と農協営農経済センターという所だ。
以前にも記したと思うが、私自身は、減反政策は、愚策だと考えている。
食は、人間だけでなく、動物の最も基本的な要件だ。それを満たすのに必要なことをしないで、米国がこうだ、ああだと言って、経済性を優先して減反政策を採用しているのだ。

日朝交渉の行方

2008年06月27日 | Weblog
現首相は、北朝鮮を米国がテロ指定国家から外しても、拉致された日本人を取り戻すことに何ら影響ないと言っている。
そうだろうか。
本来は、日本人が拉致されたのに対して、日本政府が直接北朝鮮と交渉するのが筋だが、いつの間にか、日朝の交渉は、朝米交渉にゆだねられいて、建前6カ国交渉になっているにもかかわらず、日本政府は蚊帳の外である。日朝交渉は、日本の得意の札ビラをちらつかせるのが切り札だったが、米国のテロ指定国家に切り札が替わっていたのだ。
これからは、また、日朝二国間交渉になり、札ビラが日本側の切り札になるのであろうが、対露交渉でも失敗した札ビラを切り札とする外交は、日朝交渉でも、また切り札たりえないであろう。米国から国際社会の仲間入りを許された朝鮮は、いわゆる先進国からの融資を容易に受けられるようになり、日本の切り札は、先進国、特に米国に阻まれるであろう。米国の大陸進出は、中国、朝鮮を焦点にしているのだから、日本の立場はよほど出来る外交家でないと、国際社会からおいて行かれることになる。国際化した相撲界を通して、ジンギスカンが源義経のことであるという伝説の、ジンギスカンの国、モンゴルと組むのが良いのではあるまいか。
BSEのギュウスキなんかやめて、ジンギスカン焼きにしたほうが日本にとって良いかもしれない。

石油値下げは可能か

2008年06月26日 | Weblog
甘利明経産相が石油の高騰を止める為に、自衛隊機で、クエートからイラークのバグダードを電撃訪問したそうだ。
いくら、ブッシュの真似をして、イラークを電撃訪問しても効果の程は、期待できないのではないか。
そもそもが、イラークの現政権は、米国のブッシュ政権の傀儡政権なのだから、正当性がないのだ。イスラーム社会では、それが常識なのだ。その政権に石油値下げを頼んでもなんの効果も出ないであろう。
石油値下げを実現するには、米国の現政権の政策を止めさせるのが一番効果的である。しかし、それを米国に言える政権の担当者は一人もいないのではないか。現に、米政権が、北朝鮮をテロ指定国家から外すというのに対して、抗議した政権担当者は一人もいない。拉致被害者の会の人達が北朝鮮をテロ指定国家から外すことに反対してくれと言っているのに、全くの無視である。米政権に反対することなど出来ない話しなのだ。

植民地と宗主国

2008年06月25日 | Weblog
大分前に、日本が米国の植民地であるという理由を記したと思うが、一応、また記すことにする。
敗戦後、いち早く、日本は、朝鮮半島を含む大陸への米国の進出拠点として、米国の従属的な工業製品の下請け工場とされてい来たが、それは、今でも変わらない。その上で、日本は米国の農産物の市場としての機能も果たしてきた。それも今もって変わらない。それは、BSE牛肉にしろ、米にしろ、米国からの輸入を政治家が断れないのを見ても明らかだ。
日本人の嗜好そのものが変えられて来たのだ。明治維新政府以降、その後継政治家たちによって、受け継がれて来た、欧米植民地宗主国礼賛とそれに肩を並べようとする指導者たちによって政治状況が作られてきたのだ。教育も米国式を最も先進的とする文部省役人たちによって教育委員会を通して施されてきている。
そのうたい文句は、民主主義、男女平等、自由主義だ。この曖昧な理念に反対できる基本理念が見つからないから、そのまま受け継がれている。
米国式平等は、決して、民族差別を解決しているわけでも、男女平等主義を実現しているわけでもないのにだ。
宗主国という他国の掲げる理念を真似るのが一番容易な政治経済の理念になる。
それは、以前にも記したように、その宗主国が衰退する時に、それを真似している植民地も巻き添えにされる。

梶山季之原作、ジェームス三木脚本・演出の青年劇場の演じる「族譜」

2008年06月24日 | Weblog
以前、芳賀邸を見に来た斎藤幸子さんから、梶山季之原作、ジェームス三木脚本・演出の青年劇場の演じる「族譜」のチラシを送って来た。
2008年7月25日(金)18:30、太白区楽楽楽(ラララ)ホールで開演
一般自由席3800円、バルコニー席2000円で料金も安い。
何よりも驚いたのは、ジェームス三木のこの劇の紹介によると、「創氏改名」によって、「朝鮮人は皆日本人にされたが、日本人は、もっと巧妙にアメリカ人にされた」と、言っていることから、現在の日本の政治状況をわたしと同じ認識であることが分かったことである。
私のように、日本は、米国の植民地であるという認識の人はあまりいないのではないかと思っていたが、そうではなく、結構いるのだと、斎藤幸子さんに教えられた。

自然食品

2008年06月23日 | Weblog
登米の鉄砲町のはずれに、以前ローソンがあったが、閉鎖され、隣町に移った。その跡地に、先週末から、自然食品の店ができた。宣伝のチラシが、入っていて、100円赤卵18個など売っていたので、買いに行ったら、自然食品を配達する店なのだそうだ。
農協が、最近になって、無農薬の米を登米市が作って売って行くという宣言をしているが、それまで農協は、農薬は害がないと言って沢山農家に売りつけて来た。ここに来て、そんなことがなかったかのように無農薬なら都会で売れるから、と登米市の米は、無農薬であると宣伝している。しかし、今まで散々農薬を撒いた田んぼは、土壌が汚れているから、無農薬というのはあり得ない。有機栽培というなら分かるが、土壌は、たっぷりと農薬を吸っていて、それがなくなることはないから、有機栽培もどこまで信じていいのやら。いずれにしろ、農協が無農薬や、有機栽培を売り物にするようになったら、登米市民もそれに関心を持つようになるのかもしれない。この自然食品の店がどれくらい続くかで、市民の関心の高まりが計られる。

小学校の実習農園

2008年06月22日 | Weblog
隣りにある農園は、「かしの木農園」だった。農園の中というか、今は駐車場になったその一部に大きな梨の木が聳えているから、それから取って名付けたとばかり思っていたが、私の勘違い。今朝は日曜日で、車の一台もない小学校駐車場を二階から見ていて、その名称が柱に記されているのに気づいた。樫の木の葉っぱは、小学校の校章だったと思うから、それに因んだのかもしれない。今は、旧高等尋常小学校となったが、その小学校の玄関前に大きな樫の木があったように思う。それと関係あるのかもしれない。その農園は一年生から6年生まで区画されて、生徒たちが先生の大きな声での指示を受けて季節季節の野菜を植えて収穫しているのが聞こえてくる。これは、ホホエましい農業実習である。

立派な教育者たち

2008年06月21日 | Weblog
結局、母は古川の病院でのリハビリによって、5、6メートルは歩けるようになったが、買い物などはとても無理になった。足の裏が一部しか地面につかないのと、指は反り返ったままで地面にはつかないのだから、良く歩行できるものだと思える状態だ。それから数年後の今は、デイサービスや、預かってもらったりして、車いすによる移動ばかりだったため、現在歩くことは出来ない。そうなると、便所には一人で行けないから、私の手には負えなくなった。施設に入れるしかない。私の友人の照ちゃんは、お兄さんと二人でお母さんを見ている。当番制にして、かわりばんこで見ているという。私の場合は、一人で見ているが、交替要員がいないから、3時間毎の用便に便所に通うなどしていては、体が持たない。
それもこれも役所の職員によって半殺しの目に遭って、介護施設という、これまた。役所に準じる施設の世話になるという、役所づけだ。役所の御蔭さまというしかない。
家の前の小学校の大規模駐車場で、門から出会い頭に、不注意な職員によって、或は、そこに来た父兄によって轢かれれるなどという母と同じ目に遭いたくはないものだ。何しろ、そのような危険性をまるで認識していない教育委員会と小学校長によって進められている自分たちの便利のみを追求している施設だ。周りの空気をまるで読めない人を若い人たちはKYと言うらしいが、この教育者たちは正にそれに当てはまる。