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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ハガエンタープライズ・ホームページ閲覧数3万に

2007年11月23日 | Weblog
ハガエンタープライズ・ホームページ閲覧数が今日、’07年11月23日午前に29、995打になった。多分今日中に3万打数になるであろう。
立ち上げて、2年8カ月足らずであるから、1年間で1万回以上の閲覧数があったことになる。
思い付いたときに書き込むだけの小生の気まぐれなブログなどにつきあって、よく見ていただいているものと、閲覧されるかたがたには感謝申し上げます。
田舎の町では、すべて、役所や公的機関が優先で、みんなそれに従うというのが、生きやすいあり方で、インターネットもNTTしかないのが現状だ。それと提携したソフトバンクが、電話攻勢で入会を勧誘してきたので、試しに使ってみたら、今のところよさそうだ。ただ、以前、300円払えば、迷惑メールをとめることができるといいながら、迷惑メールを1日100以上送ってくるようになったので、ソフトバンクを脱会した経緯があるので、そのうちまた脱会するかもしれず、そのときは、メールもできなくなるかもしれない。
いずれにしろ、現在の日本の大問題は、中央と地方の、あるいは強いものと弱いものなどの格差の拡大であり、ご参考までに田舎の現状を発信し続けますから、今後もよろしくお願いいたします。

「登米の昔話」が全国放送に

2007年11月21日 | Weblog
現在、登米に落ち着いているが、9月に取材された「芳賀邸」での「昔話」朗読の様子が、地元の東北放送で11月18日(日)、シリーズ「生きる」のひとつ「いっちゃね!仙台弁」 という番組名で放映されたのを見たと登米支所の大友氏から教わった。
たまたま、「河北新報」に載っていた、宮城県観光振興機構による「芭蕉を歩く」という、中国語版の冊子が、手に入らないか、聞きに行っていて世間話のような会話の中で知った。
関東では、テレビ朝日が11月25日(日)05:20~05:50に放送するそうだ。
北陸放送、朝日放送など、全国で放送されるのだが、何せ、ほとんどが、日曜の早朝5時台であり、土曜や平日のもあるが、やはり早朝である。それでも、渡辺裕子さんという「仙台弁」を残そうという運動をしている人が取材に見え、かなり対話したから、あるいは、それなりに放送されているかもしれない。
今まで、仙台放送、宮城テレビなどに数回出演したが、宮城県内でしか見られなかった。私自身見落とした番組もあり、今回もそうだった。
基本的に私は、テレビは見ないから、どうしても、見落とすのだ。

登米小学校の朗読会が河北新報に

2007年11月18日 | Weblog
志田(旧姓・五十嵐)秀夫ちゃんが、朝、牛乳配達にきながら、「15日の新聞さ、こないだの小学校での朗読が写真入りで出てたど」と教えてくれた。
その時に朗読した輝ちゃんに母の入所する施設に車で送ってもらう時に新聞を見たか聞いたら、知らないというから、15日(木)の新聞が残っていれば購入することにした。
やはり朗読した鈴木元ちゃんのところへ、豆腐を買いに行って、その新聞切り抜きを見せてもらった。
「民話の世界 満喫」という大きな見出しで写真が2段で載っている。
元ちゃんが読んでいるところが大きく写っているのに、余分には買ってくれてはいなかったから、近くの「河北新報」販売所に寄って、11部、処分されるばかりのところだったのが辛うじて手に入れた。
新聞に載っても自分の分しか取っておかないのでは、輝ちゃんのようにスポーツ新聞しかとっていない人のために取りおくことができないから、登米に長期でいることが多くなった今は、私が、取り置くしかないので、11月18日(日)から「河北新報」をとることにした。これまで、「芳賀邸」の行事を含め、登米支局の村上氏はよく取材してくれ、3段抜きの大きな写真入りで、3回も載せてくれている。

後藤敕君逝く

2007年11月09日 | Weblog
仙台一高の同級生、後藤敕君が「今日1時頃に息を引きとりました」と、奥さんから5日の夜に電話があったときは、あまりの唐突さに一瞬返事が出来なかった。つい先日、ご自宅にお見舞いに行き、奥さん手製のソーメンの昼食を一緒にとり、その前は、夏に宮城野原の国立病院にお見舞いして元気な声で、これからすべきことを述べていたので安心していたのだから。しかも、わたしのお見舞いに対して、10月末に、彼から手書きのお礼の文とお菓子が登米の家に届いたばかりだったのだ。
ただ、お宅に見舞ったときに相変わらずこれからすべきことの抱負を述べる彼の声が病院にいたときより元気なくなっていたので、退院したのに声に元気がなくなっているのはちょっと変だなとは思った。
彼とは、一高で組は一緒にはならなかったが、彼が日産に勤めていた頃から、銀座四丁目の日産のショウルームに訪ねたりしていた。
昨8日10:30からの仙台、元寺小路教会での葬儀に参列した。
五橋中学時代からの友人が弔辞を読み、彼が、五橋中学時代からの人気者だったことを知った。
皆から期待される分、頑張ったので、体力の限界を超えることをしていたのであろう。
仏教での彼岸にあたる、カソリックの天国に彼は、行ってしまったのだ。ミサと告別式では、司祭がしきりとキリスト共に後藤君が復活すると述べていた。
遠藤周作が『深い河』の中で云う、「転生」である。遺族にとっては慰めであろう。 

登米の昔話を登米小学校で朗読

2007年11月07日 | Weblog
登米小学校PTA活動の一環で「祖父母とともにふるさと学習」というのがあるのだそうだ。その低学年の父兄で八丁田の佐々木あき子さんという方から、11月7日の(水)のその学習会で「登米の昔話」を朗読して欲しいが、PTAに提案してもいいかと依頼された。「登米の昔話を朗読する会」にはかり、ボランティアとして読むことになった。
佐々木さんは、お礼をできなくて申し訳ありませんと、「山清」という和菓子屋の一口まんじゅうを届けてくれ、学習会の性格を説明していった。おそらく、自費でそのまんじゅうを買ってきてくれたものと推量される。朗読練習のため我が家に集まった時にみんなで食したら、美味しくて、たちまちなくなってしまった。
7日の朝、9:20に校長室を「登米の昔話を朗読する会」の会員6名で訪問すると、校長は、全国校長会に行っていて不在で、教頭先生に挨拶され、その後、体育館の開会式で小学生全員とその父兄、祖父母に紹介された。
活動場所は、1年1組の教室で、40数枚の座布団が敷かれ、朗読する会の私たちが、聴衆の前に対面して座り、
10:00から10分ずつ4回朗読し、間に10分ずつの休憩がはいるときに、聴衆が全員入れ替えになった。最初の10分は、「イタチ沢のキツネ」を佐藤照夫君、「専称寺むかしむかし」を塚本守司君、「意地悪な姑」を鈴木元子さん、それぞれが読み、次の10分間は、「ごぼう坂の露天風呂」を芳賀明夫、「すとんす」を後藤昌信君が朗読した。各朗読者の隣で、塚本守司君が、『登米物語』の「昔話」からからPCで、拡大コピーした絵を大澤和泉さんに厚紙に貼ってもらい紙芝居風にめくってもらった。
他の上学年の遊びは、竹トンボ、割り箸鉄砲、竹馬、「登米ふるさとカルタ」などだが、それに比しても「昔話朗読」は初めての試みであるにもかかわらず、人気の学習で、座布団がいっぱいになるところで、入室を切ったので、入りきれない人がでるほどだったという。
参加した、朗読の会員全員も満足して、その夜は、マルマンの2回、ツイストアゲインで、打ち上げとなった。