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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ゴッホ展

2016年12月25日 | Weblog
先週の日曜日、ゴッホ展の最終日にゴッホ、ゴーギャンの絵を見に上野の都美術館に行った。ゴッホが尊敬していたミレーの絵も見られたのは良かった。ゴッホの初期の自画像がよく書き込まれているのと、展示されている中では「収穫」という絵が気に入った。
最終日ということもあるのか、四列縦隊で入り口から並び、二時間半ほど立ちっぱなしだったので、下半身麻痺の身には結構きつく、腰が痛くなった。健常者でも博物館足になるのに、なんとか耐えられたので自信がついた。

日露交渉の失敗

2016年12月17日 | Weblog
プーチン大統領をわざわざ自分の故郷に招いて北方領土の返還の良い場面を国民に見せようと思ったのかもしれないが、流石に田布施が故郷であるとは首相も言えなかったのかも知れない。故郷に近い地方都市で会談をした。しかしこれにどういう意味があったのか。領土問題は過去の首相たちの合意まで反故にする会談に終わった。ロシア研究者、木村汎をして「子供のように翻弄されただけだった」と首相の無能ぶりを言わしめた。財界人たちを引き連れてイスラーエルなどに日本国民の巨万の税金をばらまくのは単なる首相権限の行使だから馬脚を国民の前に現さずにすんでいたが、大統領に当選したトランプがまだ大統領でもないのに、もう一人のヒラリー候補にはエールを送っていたので周章てて参勤した。しかしTPPは拒否され、それでも国会で法案を強行採決したのは恥の上塗りだ。しかも国内問題の沖縄基地の裁判では沖縄の民意を逆撫でする政治的判決に終始している。以前に言ったが沖縄は独立国だったことを忘れているのではあるまいか。これも以前に記したことだが、ユダヤ金融資本マフィアの半植民地になったことで失敗した明治維新の政府が強制的に日本領土に繰入れたのだった。敗戦時に住民を巻き添えにして、それ以来、沖縄は日本の代理苦を味わわされ続けている。郵政、年金もユダヤ金融資本マフィアに貢ぎ、どうして選挙されているのか不思議な国民の叡知である。

裁判官に勲章

2016年12月09日 | Weblog
厚木基地騒音訴訟の最高裁判決は二審の損害賠償認定を破棄し、裁判官全員一致で住民に敗訴の判決であった。これで小池裕裁判長を始め五人の裁判官にはめでたく最高位の勲章である。五人の一族は一生涯食うに困らないだろう。米軍駐留がらみの判決は戦後、完全植民地化して直ぐに砂川裁判で米国に売国した田中耕太郎の米国の意志に逆らわない日本国憲法を超越する判例が確定していて、それにより田中耕太郎裁判長は最高勲章に輝いている。植民地経営というものはインドを見ればそういうものであると直ぐ認識できる。先日の沖縄基地訴訟の福岡高裁の判決と同じである。米軍に対して司法権を確保して独立したムスリムの国イラークと日本は違う。

タイ人の高校生に日本国籍を

2016年12月06日 | Weblog
タイから来て働いていた夫婦の子供が、親が在留資格を失ったまま働いているうちに高校二年生になって、親が強制帰国させられたあと、日本でそのまま教育を受けるため一人で在留資格を取る申請をし二審でも認めないという判決であった。
日本政府は研修生という名目で受け入れている外国人労働者に単なる低賃金労働をさせている。そういう反社会的行為をしていて他方では罪のない高校生に在留資格を与えない。日本で間もなく成人式を迎える若者はタイ語がわからないでタイに行かせるより、日本で働くほうが良いに決まっているであろう。

湾生回家という台湾からの引き揚げ映画

2016年12月02日 | Weblog
湾生回家という台湾で作られたドキュメンタリー映画を見た。岩波ホールは何十年ぶりである。映画鑑賞は毎月1日は割り引きで、千四百円だった。木曜日は訪問看護の日だから、少し早めに終えてもらい、四時からの放映に間に合った。行きは座れたが、帰りは帰宅ラッシュ時で電車は混みあって座れなかった。映画は、台湾五十年の植民地支配下に政府に煽られて行った人たちが生活も安定していた時に敗戦で植民地を取り上げられ、故郷になった台湾の主に花連から日本に引き揚げたものの、故郷を忘れられない人たちが、再訪したり、母が日本に帰り、居残った娘が、自分の家族と母を探し続けるというようなそれぞれの人生である。満州からの引き揚げは命からがらで、学生時代のボート仲間、立花君には引き揚げ時の大変だった経験を聞いている。台湾からの引き揚げはそんなことはなく、一人千円と身の回り品を持たされている。満州では国をあげて阿片商売をするなどの悪事を働いた付けを国民が払わされたのだが、台湾では後藤新平の統治が良かったのだろう。朝鮮統治も伊藤博文の悪事で失敗し、本人は暗殺された。
今、ヨーロッパに多くの人々が旧植民地から移住してくる問題を抱えているのは、かつての植民地支配の付けを今、払わされているのだ。