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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

エレファンタ島の三面シヴァ神

2012年12月31日 | Weblog
インド門のそばの船着場から、エレファンタ島に行った。インド門のすぐ後ろから出る2階建ての船は、150ルピーであり、脇の階段を降りた所からは、平舟で130ルピーであった。平舟で行くことにしたが、2階建て船が次々と出て行くのに、平舟に乗る人が少なく、長いこと待たされてから出発した。エレファンタ島までは、1時間ほどだったが、波止場から洞窟への登り口迄小型汽車が出ていて、一人10ルピーで往復乗れたが、そこから両側に店がある登山道のほうが、長いくらいにきつかった。以前、なんども来ていた時は、若い時だったから、この小型汽車もなくても、登りも気にならなかったが、改めて、結構長く感じられた。
前に来た時は、この洞窟のご本尊、3面のシヴァ神を、キャノンのニューFワンという1眼レフカメラで撮ったが、いずれも暗すぎる上に、像が大きくて、ストロボが届かず、失敗に終っていた。
しかし、今回新しく買ったペンタックスQという一眼レフカメラでは、レンズの明るさが、キャノンのより暗いのに、不思議とストロボなしで写すことが出来た。
記念撮影もストロボなしで、はっきりうつっている。

ムンバイのインド門

2012年12月30日 | Weblog
ムンバイでは、ホテル・バルワース・インターナショナルに泊まった。
このホテルは、手頃な値段で、清潔、料理がうまい。ワイファイも只でさせてもらった。初め、三階の部屋をあてがわれたが、支配人が、わざわざ、私を呼んで、お茶をご馳走しながら、古い顧客だから、もっと良い部屋をあてがうようにと、従業員に言いつけ、一旦、シャワーを浴びて部屋を汚しているのに、最上階の7階にしてくれた。そこからの眺めは、ムンバイの高層ビル群を一望できると共に、直ぐ下のムスリム街の汚い道路に古い自動車が置き捨てられているのが見えて、面白い。インドの発展途上の混沌とした状況が分かる。ここに2泊した。
1泊して翌日、オートでインド門Gateway of Indiaに行った。ここはジョージ何世だったか、英国から来てここに上陸したのを記念して造った門だと記憶している。
直ぐそばに、タージマハル・ホテルの、旧館とノッポの新館が並んで建っている。その旧館に数年前にパーキスターンからのゲリラが火を放ち、銃撃戦で日本人も亡くなっている。その生け捕りにあったゲリラがつい最近絞首刑にあった。

ゴルコンダ城のクトゥブシャー王族のダイアモンド、コーエ・ヌール

2012年12月29日 | Weblog
ゴルコンダ城に住んでいたクトゥブシャー王族は、ダイアモンドの発掘で潤っていたが、オウランガーバードに基地を置いたムガル王朝のオウラングゼーブによって滅ぼされたらしく、その一族でチャール・ミーナールを造った王の娘が持っていた世界一大きいダイアモンド、コーエ・ヌール(光の山)はその後、点々として、英国の大英博物館に納まっている。
クトゥブシャー廟群の中でも女性の廟としては一番大きいこのベーガム・バクシー・ハヤートの廟は、入場すると直ぐ右にある。
インドのダイアモンド鉱山にまつわる話しは、小公女セーラの父がインドでそれに従事していたという設定で書かれている。
かつては、ダイアモンドで有名なハイデラーバードのゴルコンダ城であったが、現在のハイデラーバードは、真珠で有名である。

ワルダの大学宿舎に帰着

2012年12月28日 | Weblog
オウランガーバードからハイデラーバードに夜行列車で行き、ゴルコンダ・ホテルに2泊し、お決まりの、チャール・ミーナール、メッカ・マスジッドを見た。サラール・ジャング博物館と、ゴルコンダ城、クトゥブシャー廟群を見たときは、現地並の10ルピーの入場料で済んだ。
昨日、22時半のダクシン・ニザームッディーン行き急行に乗るまで丸一日時間があったので、昨年の中国からの留学生達が、見たと言う、アジア最大の動物園で閉園ぎりぎりの17:30まで時間を過ごした。
今朝、30分遅れの08:30にセーワーグラームに着いた。荷物が多いのでクーリーを頼んだが、200ルピーを150ルピーに値切ったは良かったが、手押し車を押して来てそれで出口に近いホームまで運んだところへ汽車が入って来てしまい、線路の上を出口のあるホームまで頭に載せて運ぶことが出来なくなり、ホームの端の坂から車を降ろし、そこから塀越しに道路に荷物を下ろした。そこにもオートリキシャがたむろしていたが、値段を200ルピーと吹っかける。負けても180ルピーというので、駅入口までいって、150ルピーで折り合った、荷物のあるところまで乗って行き、荷物をクーリーに積ませて大学宿舎に帰着した。クーリーは、時間が掛かったから、200だと言うが、クーリーの勝手でそうなったのだから、と150ルピー払って済ました。すると、オートリキシャの運転手に金を要求していた。彼らの間で、何か取り決めがあるのかもしれない。

ムスリム女性と口論

2012年12月26日 | Weblog
パーンチャッキーからオウランガーバード駅に行ったが、まだ17:00過ぎで、ハイデラーバード往きアジャンタ急行22:35の出発迄は相当待つから、駅前食堂に入って、お茶を飲んだ。18:00過ぎに駅の待合室に移り、ここで4時間待った。
この待っている間に、同行者達と交代で食堂に行って夕食をとったが、ムスリムの中年女性たちが来て、私たちが席を取っている荷物をそばの机に放り投げて、座ったので、今食事から、戻って来て座る所だ、なぜ我々の荷物を投げるのかと言うと、来たら席を移ると言って、どかない。離れた所で寝ている人を起こして、そこに席を作ったので、そちらに移るのかと思ったら、そうではない。そのうちにそこに新たに来た人が座って、席がなくなった。私にそこに移れという意味だったようだ。私が食事に行って戻ってみると、同行者達が、席を取られたままでいるので、ムスリム女性に移るように言った。しかし、移らないので、同行者達と黒服のムスリム女性の間に尻をこじいれたら、触られたと言って、飛び退いた。もう一人の象のように太ったデブ女性が、女性に触って良いのか、と金切り声を上げ、その夫とおぼしき男と若い男が、警察を呼ぶというので、直ぐ呼ぶようにと言ったが、実際には呼ばなかった。この夫婦らしい男女と若い男が、なに人か、ムスリムに見えるが、名前はなんと言うのか等と、私を攻撃するので、元々、いた私たち家族の席を取って、あとで移動すると言ったではないかと、私も応じると、夫とおぼしき男が、日本人や中国人と仕事でつき合ったことがあるが、日本人は、もっと大人しい。お前は日本人ではない、ティベット人だと言うので、ティベット人は素晴らしい、立派な人たちだと、応えると、困って黙してしまった。そのデブ女性は私に黙れと言ったが、そう言いながら、また、も一人の黒ずくめの女性に触って怪しからんと言うので、どこに触った、よけないから割り込んだだけでないか、あなた達はラックノウのムスリムのように礼儀正しくない、どこの住人かと聞くと、ムンバイだと言い、間もなく、来たムンバイ行きの汽車に乗りに席を立って行った。
良い退屈しのぎになったが、待合室中のインド人達が皆、こちらを見ていた。

パーンチャッキーという水車小屋

2012年12月26日 | Weblog
オウランガーバードは最初に、タクシー運転手に土産物屋に連れて行かれ、買い物をさせられた。続いて、ビーヴィーカ、マカーバラに行った。切符売り場で、何人か聞かれ、日本人だが、ワルダで働いているここの住人だと例によって説明したら、その住民登録証を見せろと言われ、見せたら、今年迄で切れているではないかというので、見方が悪い、ちゃんと来年迄ヴィザが延長されているのが見えないのかと、言うと、ほかの人達は、あなたの何か、と聞くので、家族だと言って、やっと、入場料5ルピーなりになった。続いて行ったオウランガーバード石窟寺院でも住民登録証を見せろと言われたが、前にも見せて、この通りと5ルピーの切符を見せたら、すぐに同じ5ルピーの切符を売ってくれた。
今回は、オウランガーバード石窟寺院は、左側に曲がって行き、階段を相当上ったが、以前来た時は、右に曲がって行ったのだが、と運転手に言うと、そこも行ってもいいと言ってその入り口迄車で連れて行かれた。最初の第3窟に入った切符を見せるだけで、この第7窟に入れた。こちらはそれほどの階段でないから、比較的楽に見終えた。そこから直ぐ近くに、アウトカーストの人々を仏教徒に集団改宗させたアンバードカルの街があり、その人たちのための大学等がある中に、ソネーリー宮殿というのがあって、そこが博物館にもなっているのを運転手に案内された。しかし、月曜日ということで、絵画室もあるのに、真鍮製品の部屋しか見られなかった。そこからパーンチャッキー水車小屋に行き、その隣で昼食代わりに、サモサ1個10ルピー、チャーエ小杯に盛り切り10ルピーを食した。パーンチャッキーでは、ヒマーチャル州の山岳民族かと訊くので、面倒だから、そうだワルダに住んでいると応えて入館料一人5ルピーで済んだ。

オウランガーバードの石窟寺院

2012年12月25日 | Weblog
オウランガーバードのレモントゥリーホテルは、あまり、従業員のしつけが出来ていなくて、まず、受付が大勢の外国人を泊めているのに、旅券とヴィザの扱いに慣れていなくて、それに手間取った上に、こちらを受け付けながら、長電話をするので、立たされっぱなしであった。始めは、14:00から入室なので、今、入室するなら余計に室料を払ってもらわなければならないと言っていたのが、遅い仕事ぶりで、13:30になったら、無料でどうぞということになった。しかし、その間に同行者達は、食堂で昼食を食べ始めたので、荷物だけ部屋にいれ、実際に入室したのは、14:30頃である。
ベッドの追加をしているから、人数が増えているにも関わらず、茶碗が二人分しかなかったり、食堂のボーイ達が、なくなった取り皿の補給をしなかったり、気が利かなかったり、南インドの同名のホテルに比べて、明らかに不手際である。北インド人のせいなのか、単に、この街で雇われた従業員のしつけが出来ていないのか分からない。
極めつけは、部屋を空けて精算した時に、部屋備え付けの菓子やジュースを食したのを、加算して、昨日の昼食代も併せて2080ルピーを払わされたが、あとから作った請求書兼領収書には、菓子、ジュースがまとめて150ルピーで総額が2071ルピーであった。それはそれで良いとして、昨日のタクシー運転手が来るのをロビーで1時間ほど待っていたら、私を手招きして、お菓子をもう一つ食べていたから、あと70ルピー払ってくれるようにと言い出したので、請求書を書くように求めたら、タクシーに乗っている時に待つように言われたが、結局、行っていいとタクシー運転手に合図して支払わずに終った。9ルピーのお釣りをくれなかった上に70ルピーを懐にするつもりだったのかどうか。結構大きなホテルでこれなのは、北インド人のせいなのかどうか。私の経験では、南インド人は、北インド人から田舎者扱いされているが、誠実な人が多い。



アジャンタ石窟寺院

2012年12月24日 | Weblog
アジャンタ石窟寺院では、第1、2窟から涅槃仏のあるチャイティヤ窟迄、買ったばかりのアサヒペンタックスのQ型という小型の一眼レフで写真を撮ったが、暗闇でも写せる特殊なカメラで、中でフラッシュを禁止されているので、大いに助かった。しかし、最後の涅槃仏がある石窟寺院迄、充電が持たず、最後は、先日デリーで修理して直ったばかりのデジカメで涅槃仏を撮った。
この涅槃仏はなんど見ても良い寝姿である。
頬に手を当てて泣くアーナンダという伝承があるのかもしれず、涅槃仏のそばで、頬に手を当てて泣く姿が二つあり、それぞれに照明が当てられていた。

From Ajanta to Ellora

2012年12月23日 | Weblog
22日は、朝6時に起き、宿に荷物を預けて、お茶を飲んでいると、アリさんが迎えに来たので8時過ぎに、アジャンタ石窟入り口に車で送られた。朝食にオムレツとチャパティーを5個ずつ頼み、アリさんの店でお茶をご馳走になりながら、貴石の土産物を見せられ、そこから、大型バス一人10ルピーで切符売り場に行って、例によって、私は、ここの住人だと粘って、インド人と同じ10ルピーで入ろうと頑張ったが、市民権がないからと、一人250ルピーを払わされた。これ迄ずっとインド人料金で済まして来たが、外国人料金を払わされたのは、昨年のタージマハル以来である。
10年ほど前に来た時に、各石窟寺院の内陣回廊に入れたのに、特に1、2窟は柵が設けられて、ジャータカ前生話が暗くて分からない。一旦出てから、また入り直して、警備員に説明してもらい、待っていたように良く説明してくれたので、20ルピーを上げた。
切符売り場からの帰りは、冷房バスだからと、一人20ルピーだった。アリさんの店で1万円で4個の貴石の買い物をしながら、お茶をご馳走になり、そこで、彼の友達の車というのを交渉して、2、300ルピーでエローラ迄送ってもらうことにした。途中、山の上から、アジャンタ石窟寺院群を見晴らす所から、アジャンタ石窟寺院とワゴーラ川の馬蹄形の景色を一望して、一路、エローラ石窟寺院前のカイラーシュホテルに向い、17:00頃到着した。

Ajanta Buddhist Caves

2012年12月23日 | Weblog
21日早朝、5時半に起き、ホテルから歩いて直ぐのターネ駅に行って、初め、5番線のホームの売店で聞き、ゴーラクプル急行が7番線から出ることを7番線のホームの売店で改めて確認してから、ホームに重い荷物を下ろした。予約してあるA1の車両はかなり後ろのほうで、そこ迄荷物を移動して行って待ち、ほぼ定刻に着いた汽車に乗り、ジャルガーオンに向った。
13時45分、約35分遅れでジャルガーオン駅に着いて、駅前からオートリキシャで40ルピーのバス乗り場に行き、バスを待った。14:30発というのになかなか来ず、来た時には、乗客が殺到して乗れる状態ではないので、クーリーが次のバスにするように言ってそのバスが待機している所迄案内してくれた。クーリーには案内料も含め荷物一つにつき40、3個で120というのを80ルピーに負けさせた。バス代は一人54ルピーのアジャンタに近いファルダプルのMTDC Resort宿舎前で降り、そこで待っていたEさんの友達アリさんに会い、MTDC 宿舎に投宿し、宿泊代とお礼を合わせて、2500ルピーをアリさんに払った。この宿は、弘前大学からの留学生Eさんが先日来て知り合ったというアジャンタの宝石商アリさんに予約して貰ったのだ。MTDC は、マハーラーシュトラ州政府観光局の外郭団体であり、その経営する宿であるが、ネット予約できる筈なのに、ついに出来なかったため、E嬢に頼んで、アリさんに予約して貰った。大した宿ではないのに、2114ルピーである。隣の喫茶店でアリさんにお茶をご馳走になった。夕食は、アリさんがアジャンタ食堂に連れて行くといので案内してもらった。アリさんの言う通り、確かに、鳥も魚もおいしい料理だった。全部で470ルピー。
3号室は、お湯が出たので助かった。10年ほど前に来た時は、お湯はバケツで運んでもらったと記憶している。