以前にもブログに書きましたが、本日は奥村信之氏がローマ法王像を制作するに至った縁(えにし)についてご紹介します。
昨年奥村氏は自身3人目となる現ローマ法王、フランチェスコ法王像を制作しバチカンに奉納しました。
ヨハネパウロ2世、ベネディクト13世、フランチェスコ法王と3代連続で法王像を制作する栄誉をいただいた彫刻家は他にはいません。
かのミケランジェロやベルニーニでさえ、一人の法王を刻んだだけです。日本人として大変名誉なことであると思いますが、この事実はあまり知られていないのが残念です。
奥村氏とローマ法王像制作のつながりについて 奥村氏の書簡を引用しながら説明したいと思います。(以下書簡より)
ローマのボルゲーゼ宮殿は、ローマにある大宮殿の一つです。宮殿内は、コロンブスが持ちかえったと言われる金を贅沢に使って、天井に装飾をほどこしてあります。有名な支倉常長の等身大肖像画があります。
この現当主の像(カヴァツァ氏)も、奥村が作りました。
ここから不思議な縁がはじまりました。
今は、1階をスペイン大使館、2回をメルリ・リンチなどに貸しています。
アルテーナの宮殿も、ローマの宮殿も私邸で、一般の人は入れません。
18世紀後半から19世紀初めは、カミッロ・ボルゲーゼが有名で、ナポレオンの妹パオリ―ナの旦那です。
ナポレオンは、このボルゲーゼの美術品がのどから手が出るぐらいほしがっていたそうです。
このように、ナポレオンとも親族関係にあります。
ボルゲーゼ家は、法王も出したローマで一番の貴族です。今は政府に買い取られて、ボルゲーゼ美術館とボルゲーゼ公園になりましたが、かつてのファミリーは、ここのヴィラに住んでいました、敷地の広さが80ヘクタール(24万坪) ローマ市内の地図を見ると、中心の大部分を占めています。
その直系が、アルテーナ(ローマから30㎞)のボルゲーゼ宮殿に住んでいらした、パウロ・ボルゲーゼ公爵、
その像を奥村が作りました。
世界ふしぎ発見で出演された奥様が、プリンセス、ニケさんです。
ボルゲーゼ宮殿は、このアルテーナの宮殿(夏の宮殿)と、ローマにある宮殿があります。
全て、17世紀初頭、シピオ―ネ・ボルゲーゼ枢機卿が建設しました。
ボルゲーゼ宮殿は、このアルテーナの宮殿(夏の宮殿)と、ローマにある宮殿があります。
全て、17世紀初頭、シピオ―ネ・ボルゲーゼ枢機卿が建設しました。
シピオ―ネ・ボルゲーゼの叔父さんが。1610年代法王になったパウロ・ボルゲーゼ・5世です。
パウロ5世は、いち早く、ベルニーニの才能を見出し、ローマに呼び寄せ、彼に英才教育をさせました。
シピオ―ネは、ベルニーニに、いろいろな彫刻の仕事を注文し、その中でベルニーニは腕を磨いていきました。
また、支倉常長が、ローマに来た時には、おじさんに言って、支倉と会うように勧めたりしました。
今年(2016)は、慶長渡欧使節団の支倉が、ローマ法王パウロ5世に謁見してから、ちょうど400年目にあたります。
またシピオ―ネは美術収集家としても、有名で、今、ボルゲーゼ美術館にある作品群は、彼の貢献度が大きいです。
ローマ法王を輩出したボルゲーゼ家が代々大切にし育ててきた彫刻家の才能は、ベルニーニから奥村信之と時代を超えて受け継がれ、奥村氏が3人のローマ法王を制作することにつながってきたのです。
奥村氏は常々、「不思議な縁で造らされているようだ。」と語っていますが、支倉常長の時代からボルゲーゼ家を介してローマ法王像の制作とまさに不思議な縁でつながっているようです。
粘土の段階のフランチェスコ法王像です。
次回は奥村氏が目指す イタリアンロストワックス、イタリアブロンズ鋳放し技法について説明します。
奥村氏の作品は画廊春にて展示中です。肖像彫刻とは違った奥村氏渾身の彫刻群が集まっています。
皆様足をお運びの上、ご鑑賞ください。
大垣市藤江町4-14 画廊春 代表 田渡達久
Tel : 0584-78-0043
Email : dentotakkyu@yahoo.co.jp
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