春江美術館・画廊春 (彫刻家 奥村信之・描く詩人 水村喜一郎作品常設) 

春江美術館・画廊「春」作品展示の様子を 画廊犬コテツと共にお伝えします。

藤井達吉美術館の大川美術館所蔵作品展

2024年07月22日 | 絵と美術

 

7/21に碧南市にある藤井達吉美術館に行ってきました。

ここの企画展は いつも素晴らしく感心してしまいます。

素晴らしい学芸員の方々がみえるのだと思います

こんな美術館が近くにあってほしいといつも思います。

 

今回の展示は群馬県の大川美術館の作品がメインです。

大川美術館は個人美術館です。

サラリーマンであった大川さんが収集された作品で構成された美術館です。

何年か前に一度訪れたことがあります。

岐阜県からはとても遠く長い旅だったことを思い出しました。

 

松本俊介さんの大作です。この作品のみ写真撮影できます。

このほかにも横顔の女性やニコライ堂、自画像など数点の油彩

そして見たかった数点の素描が展示されていました。

他にも好きな作家作品が満載で満腹でした。

 

ありがとう碧南市

藤井達吉美術館

 

 

 

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本日のエンジェル ⑵

2024年06月22日 | 絵と美術

 

グラッシで少々描き進みました

 

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久しぶりに絵を描く

2024年06月19日 | 絵と美術

 

3月の中旬 突然背中と腹部が猛烈に痛くなりました。

しばらくして発疹が腹部に帯状疱疹と診断されました。

強烈な痛みがひと月くらい続きました。

3か月過ぎましたがまだ痛みが残っています。

ようやく普通の生活ができるようになり、絵を描くことにしました。

長い間放置してあったレオナルドの天使を模写することにしました。

キャンバスに下塗りをしてからまずは色鉛筆であたりをつけています。

 

なんか疲れたおばさんみたいになっています。

イメージが固まったら油彩で描き進もうと思っています。

f4号です

 

 

 

 

 

 

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久しぶりのメナード美術館

2023年04月15日 | 絵と美術

 

下道で行っても1時間足らずで到着するのですが

ぜいたくにも久しぶりに高速を走らせて

メナード美術館に行ってきました。

相変わらずこじんまりとして美しい美術館です。

 

今回思いがけず初見の収蔵品たちに出会えました。

パブロピカソの青の時代 立つヌード ガッシェ

バラ色の時代 アルルカンと女 ペンによるデッサン

 

2点とも小品ですが、実に味わい深い佳品でした。

壮年期、熟年期のピカソも素晴らしいのですが

初期のピカソは人間愛に満ちてしみじみと心打つ作品が多いですね。

 

美術館の作品は写真にとれないのが残念です。

家に帰ってからピカソ初期作品の画集を引っ張り出し、

もう一度味わいました。

 

こちらは私の好きなピカソ初期作品です。(画集より)

 

手を組むフェルナンド・オリビェの肖像

アイロンをかける女

 

 

 

 

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父の話 東京大空襲ー無差別爆撃

2022年03月11日 | 絵と美術

 

 

戦争にルールはない

無差別に人を殺害する

 

ウクライナの皆さんの苦しみ、怒り、悲しみに胸が張り裂ける思いです。

 

 

私の父は20年程前に他界しましたが

若いころの体験を話してくれたことがあります。

中学校を卒業すると国鉄学校に通いながら

東京で働いたと話していました。

当時は太平洋戦争中で、恐ろしい東京大空襲を体験したそうです。

 

以下、父の話

 

その日は忘れもしない。昭和20年(1945年)3月10日のことです。

いつもの夜とは違っていました。

真黒な空から焼夷弾が雨のように落ちてきました。

私は当時は貴重品で手に入らなかったタバコをポケットに入るだけ詰め込み

夢中で走りだしました。タバコは東京でお世話になっているおじさんのために

ヤミで買っておいたものです。後から考えるとこのタバコが命を救ってくれたのです。

わけも分からず近くの防空壕に走りました。でもそこはものすごい人でいっぱいで

入れませんでした。熱い火と真黒な煙が迫ってきます。

とっさに地下鉄の駅に逃げ込みました。ものすごい数の人でした。

その中は地獄でした。熱風と煙で息もできないくらいでした。

『このままでは死ぬ』と感じて夢中ではい出し、火の中を走り回っているうちに

隅田川の橋を渡り小さな公園にたどり着いたのです。 

そこにはやっぱり防空壕があったのですが、いっぱいの人で

とても私は入れてもらえません。

『もうこれでおしまいだ』と思ったとき

ポケットのタバコに気が付いたのです。

「タバコをあげるから入れてください」とみんなに配り、

どうにか入れてもらえました。

夜が明けて外に出てみると周りは焼け死んだ人のやまでした。

隅田川には三日間、おぼれ死んだ人が流れ着きました。

この空襲で30万人の人が死にました。

私は本当に運がよかったのです。

これだけひどい空襲をされても、

私には日本が負けるとは思われなかったのは

今から考えると恐ろしいことです。

私が今生きていられるのは運が良かっただけなのです。

 

父は終戦後 焼け跡の東京で必死に働きながら若いころを過ごしたそうです。

何年か経つと東京には少しずつ 絵の文化が戻ってきたそうです。

もともと絵が好きだった父は、生活費を切り詰めながら

若い絵描きさんたちの絵を眺めたり、少しずつ求めるのが楽しみだったそうです。

当時収集した絵はもう残ってはいませんが

母と所帯を持ってから買い求めた絵は何点か残っています。

 

難波田龍起 形象赤

 

村井正誠 二人

 

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