春江美術館・画廊春 (彫刻家 奥村信之・描く詩人 水村喜一郎作品常設) 

春江美術館・画廊「春」作品展示の様子を 画廊犬コテツと共にお伝えします。

作家の生活は・・・今も昔も苦しいもんです。

2019年10月22日 | 奥村信之 彫刻家

今日は三岸節子記念美術館に三岸黄太郎展に行ってきました。

黄太郎は三岸好太郎・節子さんの長男です。

天才と呼ばれる父と、画壇の重鎮であった母の息子 それなりの苦労があったであろうと推察できます。

 

鑑賞しての自分なりの感想を書きます。

美術評論家ではないので素直に感じたことを書きますので、気に入らない方もお見えになるかもしれませんがお許しください。

 

若い頃の作は当時の画壇の流れを汲み重厚で粘り気のある作風でした。

年代順に展示された最初の10点ほどが私には気に入りました。

派手な色使いではなく、黄土や褐色を中心とした絵で、自分には結構素直に受け入れられて、心地よい画面でした。

香月泰男や森芳雄の初期に近い作風で、画面構成を主にして、しっかりと構築されておりよい絵だと思いました。

黄太郎さんは年齢を重ねるうちに、自分の絵を求めていくのですが、母の影響から独立しようとされているのがよくわかりました。

節子さんは息子の絵を、青が特徴があり私には決して真似できないと書かれていました。

画家の言葉というよりも、母であった節子が息子を思う言葉だと思いました。

というのは、私には逆に、青が主体となり画面がより主観的になっていくにつれ、絵の魅力が薄れていったように見えたからです。節子さんもそのように気づいておられたと思いますが、息子が画家として評価を高められるように話されたのではないかと思われるのです。

黄太郎さんは、母の影響から脱却しようと、ちょっと無理して抒情的にしているなというふうに感じました。

 

ところで黄太郎さんは画家であることと同時に母、節子のプロデューサーでもあったそうです。

絵が売れないと生活ができなくて、絵も描けないわけで、母の絵を売るためにあちこちの画廊や百貨店の手配をしたりして献身的に尽くされました。

それは同時に三岸家の生活の糧を得ることでもあったわけです。そこに苦労があったと思います。

節子さんが大家として好きな絵を描き続けて生涯を全うできたのは、優秀な画商としての黄太郎さんがあったからです。

現在も評価の高い三岸節子であっても絵がひょいひょいと売れたわけでもないのです。

 

画家や彫刻家は優秀な画商に恵まれなければよい絵を描き続けることは難しいです。

夭折の天才画家たちは、画業の一番いい時に惜しくも病気や生活の苦しさに負けて命を落としてしまいました。

もしも関根正二や村山槐多に優秀な画商がついて命を落とすことなく描き続けていたらどんな作品になっていったでしょうか。

優秀な画商は、作家の良いところを見抜き、横道にそれないよう援助し続けられる人でなければなりません。

売り絵を描かせるような画商はもってのほかです。

 

画家や彫刻家の生活は綱渡り

よい作品が出来上がっても売れなければたちまち生活に困り、制作が続けられないのです。

そこを何とか頑張って八方手を尽くすのが画商の仕事、これまた大変な仕事だと感じております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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