わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

飯舘村長泥地区その2

2012年06月09日 | 日々雑感
飯舘村長泥地区。

踏み入れてすぐ、飯舘村の他の地区との違いを感じます。

他の地区は、それでも家の周りや道路端の草刈りがされていました。

でも、長泥はそれすらされていない。

ほとんどそのままという感じです。


▼草むらは高線量





会長(区長)さんのご自宅に上がらせていただきました。

締め切られた戸を開放し、久しぶりに風が家の中に入ります。

「最初は毎日のように家に戻ってきてたが、1年もたつとだんだん足を運ぶ回数が減った」

家に帰らないとカビが繁殖し、冬に使わないと風呂のタイルが剥がれ落ち。

「同じテレビを見るなら、避難宿舎よりここで寝転がって見てえなあ」

と、玄関から見える長泥の山々を見つめながらつぶやく会長(区長)さんは、やっぱり避難宿舎よりご自宅が似合う。

処分した牛がいた牛舎の向こうには、白い防護服で完全防備された人々が除染活動を行う姿が目に入ります。


▼会長(区長)さんのご自宅




▼ご自宅に併設されている牛舎。牛は処分したという




▼牛の名前がいまだにボードに残っている




▼除染活動が続くが、果たして・・・




▼防護服を着た作業員が次々と行き交う





長泥地区の放射線量計。

どうやら実際の数値より低い数値が出るらしく、「修繕だよこんなの」と区長さん。実際は「だいたい1.6倍の数値が実際の数値だ」。

ということは、毎時約8.5μシーベルト。

飯舘村でも最も高線量の地区です。


▼この数値の1.6倍が実際の数値だという





集落の掲示板には、長泥地区のここ数か月の線量を記録した表が貼られていました。

薄くて見にくいかもしれまえせがんが、およそ毎時8~11マイクロシーベルト。

東京が0.04~0.05なので、およそ200倍以上です。

隣には、昨年の3月(震災直後)の数値も表にされていました。

3月17日に95マイクロシーベルトという目を疑うような数値が出てます。

「この線量のなかで、この地区の人びとは何も知らずに2か月間過ごしてしまった。自分はいいが、孫世代が心配だ」と会長(区長)さん。


▼字が薄くてわかりにくいが、およそ8~11マイクロシーベルトを計測




▼昨年3月(震災直後)の数値表





長泥地区を車で走ると、泰阜村のような山岳地帯に住む私たちにとっては、田んぼが広く感じました。

「広いですね」と言おうとすると、会長(区長)さんはやさしく制して続けました。

「もともと広いんじゃあない。おじいさんが手で根っこを掘って切り開いた田んぼだ。その苦しさをわかっているから、俺はこの土地から離れられないんだよ」

目には見えませんが、飯舘村の豊かな自然、そしてまでいな人びとの暮らしすべてが、壊されていることを、肌で感じます。


▼すぐにマスコミが群がる。「区民を守るには、間違った報道をさせないこと」と、丁寧に応じる会長(区長)さん





私の故郷福井県。

亡き親父の実家は小浜市です。

話題になっている大飯原発が肉眼で確認できます。

飯舘村のこの状況を見た私は、故郷福井の状況をどうとらえればいいのでしょうか。

そして福島が置かれている状況をどうとらえればいいのでしょうか。

そんなことを考えながら、まずは自分ができる福島のこどもたちのキャンプへの招待に集中しようと思います。

飯舘村から8人のこどもが山賊キャンプに来ます。



●おまけ

最後に飯舘村の菅野村長とお会いすることができました。

▼菅野村長(左)、自治会長さん(中央)、泰阜村教育長(右)




代表 辻だいち


飯舘村長泥地区その1

2012年06月08日 | 日々雑感
飯舘村のキャンプ説明会で、多くの協力を得た自治会長さん。

全村から子どもを持つ世帯が避難してきた吉倉住宅をまとめる会長さんです。

説明会から一夜明け、会長さんの部屋にお招きいただき朝食をいただきました。

感謝です。

私は説明会を開催した部屋に泊まらせていただいたのです。



朝食をとりながら、会長さんが新聞をポンっとこっちに投げました。

そこには飯舘村の放射線量に応じた区域再編案の記事が一面にありました。

実は、この会長さん、飯舘村のある地区の区長さんでもあります。

記事にピンク色で色づけされた長泥地区。

この地区は、夏には立ち入りが制限されるそうです。

朝食の箸をすすめながら、会長(区長)さんは、この記事を見ながら「今更・・・」とつぶやきました。


▼この日の朝刊1面に掲載されていた。





「さあ、行くか」という会長(区長)さんの声に促され、車に乗り込みました。

泰阜村教育長とNPOグリーンウッド事務局長と合流して、飯舘村を巡りました。

もちろん会長(区長)さんの案内です。


▼飯舘村役場




飯舘村役場付近の線量は1マイクロシシーベルトに満たない値です。

それでも、もう役場には日直の1人しか人影はありません。


▼役場の中




その替わり、いくつかの事業所や老人ホームには多くの人影です。

また、住民による防犯組織「いいたて見守り隊」の事務所・待機所にも、多くの人びとが集っていました。

この見守り隊、職を失った村民の雇用対策でもあるようです。

会長(区長)さんも、今月は週2回、夜中10時~翌朝6時までの夜勤(3交代制)で見守り隊勤務だそうです。


▼見守り隊の軽トラック。





役場から12~13㎞南下した長泥地区に行きます。

広い、この村は。

なんでも、全国で4番目に広い村だとか。

長泥地区は、もう浪江町に隣接しています。

村内の峠を越えて長泥地区に入る地点で車が停まりました。

長泥地区住民が、長年かけて力を合わせて整備してきた展望公園や、紫陽花の並木。

「晴れた日にはここから海が見えた。みんなで弁当と飲み物をもってきてお花見したんだ」

ひとつひとつの物語を、までいに(丁寧に)語る会長(区長)さん。

「あの海から飛んできたんだな。まともにここへ来てしまったんだな」

海の見える絶好の条件が、裏目に出たというやるせなさがにじんでいました。


▼長泥地区全景。山の向こうに海が見える






長泥地区。

目を疑うような数字が待っていました。

続きは次回に。



代表 辻だいち


までいな

2012年06月07日 | 震災支援:山賊キャンプ招待
今日、福島市にある飯舘村の避難宿舎を訪れました。

原発事故の影響で、全村避難を余儀なくされた飯舘村。

その飯舘村のこどもたちを、信州こども山賊キャンプに招待する。

このために、この3か月間、何度も足を運んできました。


最初は辛口だった自治会長さん。

私は何度も足を運び、渾身の想いを伝えてきました。

足を運ぶたび、笑顔が増えていく会長さん。

私たちの想いに理解をしていただけたのでしょうか。

飯舘村からこども8人が、信州こども山賊キャンプに参加することになりました。


▼宿舎の集会室で開かれた説明





今日は、参加するこどもとその保護者向けに説明会を開催しました。

多くのこどもたちと保護者が来ていただきました。

泰阜村のきれいな川で遊ぶビデオを見て、こどもたちは歓声をあげていました。

失われた自然との接触を、取り戻してほしい。

切に願います。

そして、福島のこどもだけが集まるコースではない山賊キャンプ。

東京のこどもも、名古屋のこどもも、信州のこどもも、そして福島のこどももいるキャンプ。

そんなごちゃまぜ、混沌のなかからこそ、未来を生きぬく力が培われると信じています。そして全国に、こどものころから仲間を創ってほしい。

切に願います。

そして、みんなちがってみんないい。

違いを認め支え合いながら、自発的に責任ある行動をとることのできる人を育てるキャンプにしたい。

切に願います。


▼説明会であいさつを述べる自治会長さ





説明会には、わが泰阜村の教育長も駆けつけてくれました。

車で7~8時間、このためだけに来てくれました。

この想いが、きっと飯舘村の人びとにも届いたことでしょう。


説明会後、懇親会です。

高校の友人でもあり飯舘村との橋渡しをしてくれた福島大学の先生、現在山村留学にお子さんを預けている福島在住のお父さんが加わり、自治会長さん、泰阜村教育長、そして私と私の職場スタッフ。

なんともへんてこりんな顔ぶれの懇親会は、まさに「みんなちがってみんないい」


▼素敵な会になりました





それぞれの持ち寄りおつまみやお酒が、会を彩りました。

また、説明会に参加してくれたお母さんたちが、帰るどころか懇親会の準備をてきぱきとやり始め、驚きです。

飯舘村が大事にしてきた「までいな村づくり」が息づいていると感じました。

「までい」=真手:丁寧なという意味の方言です。


までいな人びとに囲まれて、までいな3か月を振り返り、そしてまでいにこどもたちを育てるキャンプを行う。

この懇親会が、今後、意味あるものだったと想えるよう、がんばります。


▼自治会長さん(左)と泰阜村教育長(右)が意気投合





代表 辻だいち


こどもの成長はオールジャパンで

2012年06月06日 | 支えあいの指導者育成
全国6か所の、環境学習や地域づくりに取り組む活動に関するこども交流。

その実行委員会が、福島県鮫川村で行われました。

6か所のへき地と中心団体は以下の通り。


北海道浜中町:認定NPO法人霧多布湿原トラスト

宮城県南三陸町:くりこま高原自然学校・天狗のヤマ自然学校・伊里前小学校

福島県鮫川村:NPO法人あぶくまエヌエスネット・鮫川中学校

福井県小浜市:NPO法人自然体験共学センター

沖縄県国頭村:やんばるエコツーリズム研究所・安田こども会

長野県泰阜村:NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター・泰阜中学校


6か所から中心団体の人びとが集まり、へき地のこどもたちの交流について、あ~でもない、こ~でもない、と知恵を絞りました。

そのおもしろいこと、おもしろいこと!


▼こどもの成長を、オールジャパンで支えます





9月8日・9日に、南三陸町歌津にて、6か所のこどもが一堂に集います。

各地の環境活動を発表しあい、交流します。

3年間続くこの事業で、6か所のこどもたちが仲良くなってほしい。

そして他地域のこどもたちから刺激を受けて、自分の地域に持ち帰ってほしい。

そして自分の地域で、こどもが参画する地域づくりに役立ててほしい。

宮城や福島のこどもたちの支援だけではなく、6か所のこどもたちの学習、そして成長の支援活動です。

へき地の課題は、大都市に頼らず、へき地同士で解決する。

そのど真ん中にこどもがいます。

支援活動は、徐々に本質的な交流活動に発展するステージに入ります。


代表 辻だいち


▼おまけ 鮫川村の農産物直売所「手・まめ・館」です




あんじゃね震災「支援」学校開始

2012年06月01日 | 日本初!教育で立つ村
今日は「あんじゃね支援学校会議」でした。

あんじゃね?

支援学校?

聞きなれない言葉ですね。

あんじゃねとは、「案ずることはない」という南信州の方言です。

自然と人間の関係や、社会の在り方が「あんじゃねぇ」と言えるように。

こどもから老人までが「あんじゃねぇ」と言えるように。

そんな社会の実現に願いを込めたこどもたちのための「あんじゃね自然学校」。

2002年にスタートした「あんじゃね自然学校」(=つまり村の子どもたちの体験活動)の充実をいかに図るか、ということについて、地域の大人たちが考えたり試験的な実践を行ったりすることを通して大人が学ぶ場、これが「あんじゃね支援学校」です。

この支援学校は2007年から始まりました。

村の子どもたちの未来のために、村の大人があ~でもない、こ~でもないと頭をつき合わせて考えたり、笑ったりする。

今回の会議は、副村長、村議会議長、教育長、小中学校長、PTA会長、NPO、陶芸家、猟師、青年団、保育園・・・、立場を超え、立場をわきまえ、楽しい意見交換が会議と、その後の懇親会でも続きました。

この村のこどものことは、この村の大人が一生懸命考え抜く。

真剣な議論と共に、赤ら顔で熱中して語るこの村の大人はほんとに素敵です。

そしてその大人に支えられるこの村のこどもも。


▼想えばこのような場はなかなか実現できない。その分、参画するとおもしろい会議になる。





この「あんじゃね支援学校」は、昨年度「あんじゃね震災支援学校」にも変身しました。

私たちNPOグリーンウッドが行う震災支援、つまり夏の信州こども山賊キャンプに福島のこどもを招待する支援を、あんじゃね支援学校が支えてくれました。

支援学校長(座長)の声かけで、泰阜全村民にキャンプに来る福島のこどもたちのためのお米や野菜がたくさん集まりました。

村の教育委員会が、福島のこどもたちのためにバスを出してくれました。

帰りに持たせてやれ、と村の皆さんが、お土産や弁当を提供してくれました。

「お互い様・支え合い」の村の文化が発揮されました。


今年度も、NPOグリーンウッドが夏キャンプに招待する福島のこどもを支えてくれるようです。

来週は、「あんじゃね支援学校」副座長の木下教育長が、私たちと一緒に福島まで行ってくれることになりました。

村の子どもたちの未来のために、村の大人があ~でもない、こ~でもないと頭をつき合わせて考えたり、笑ったりする「あんじゃね支援学校」。

今年は、福島のこどものために、泰阜村の大人が一生懸命考え抜く場に成長しつつあります。

そしていつか、日本のこどもたちのために、考え抜く場になることでしょう。

本質的な支援と教育改革は、へき地から始まります。


村の人びとのこの真摯な想い、福島のこどもたちに届きますように。



代表 辻だいち