わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

もうひとつの大震災(2008年宮城岩手内陸地震)

2011年10月25日 | 日々雑感
宮城県栗原市にいます。

東日本大震災で震度7を記録したところです。

そして3年前の2008年6月14日の宮城・岩手内陸地震でも震度6強を記録しました。

わずか3年の間に、最大震度を2回も記録した栗原市。

それにもかかわらず、宮城・岩手内陸地震の記憶ははるか彼方に飛んでいってしまったかのようです。



栗原市の耕英集落を訪ねました。

土石流の直撃を受けた温泉旅館「駒の湯」がある集落です。

本来ならば、土石流が起こっても、影響のない場所に建っていたそうです。

しかし、山がまるごと崩落して川をふさぎ、土石流が行き場を失って方角を変え、高台にあった旅館をのみこんだということです。

7人の犠牲者が出ました。

まさに「山津波」です。

駒の湯があった場所は、おそろしいまでの土石流防止の工事が進んでいました。

目がくらむようなコンクリートの量です。

▼すごい工事。正面の山がまるごと崩れて川をせきとめた



人間の手によって造られた世界最大の防波堤が、津波によってことごとく破壊された東日本大震災。

それでもなお、ここでは人工物で自然をコントロールしようとしています。

そのことにすでに限界が来ていることに気づいているにもかかわらず。

超大規模工事が進む片隅に、ひっそりとたたずむ慰霊碑に、人間社会の理不尽さや矛盾を感じつつ、そっと合掌しました。


▼7人の犠牲者の慰霊碑



宮城・岩手内陸地震では、山がまるごと崩落し、100メートル以上の断崖が出現しました。

ここは冷沢という崩落地です。

道路もろとも崩れ落ちた断崖を見ると、言葉を失います。

そこに立つだけで、おそるべき自然の猛威に対する恐怖が、身体を突き抜けます。

▼冷沢。道路が崩落で寸断された


▼地図上の点線部分の道路が、山もろとも崩れおちた


▼替わりに橋ができる。栗駒山の紅葉は日本屈指。天気でないのが残念



行政の指示により、集落全員が避難を余儀なくされた耕英集落の人々。

自衛隊のヘリで山の麓まで下ろされ、そのまま数ヶ月の避難生活です。

イワナの養殖に日本で初めて成功した方も、イワナをそのまま置いていかなくてはならない無念。

その無念、いかほどのものだったのでしょうか。

身体が痛くなります。

▼日本初のイワナ養殖に成功した人がここにいる



それでもイワナの養殖を復活させました。

その不屈の精神には、頭を何度下げても下げたりないです。

ご主人は不在でしたが、奥さんが丁寧に説明してくれました。

ときおり見せる笑顔には、苦難を乗り越えた3年の日々が刻み込まれていて、とても素敵でした。

▼奥さん(右から二人目)が丁寧に案内してくれた



今回、案内をしてくれたのは、耕英に本拠地をかまえる「くりこま高原自然学校」の佐々木豊志さん。

3年前にも被災した彼は、東日本大震災ではRQ市民災害救援センターを立ち上げ、今度は被災者支援に奔走しています。

昨夜は自然学校に泊めていただき、スタッフと懇親を深めました。

みなさん、とびきりの笑顔でお酒を酌み交わしていましたが、耕英に戻ってきたのはつい2ヶ月前だとか。

もうひとつの大震災もまた、まだまだ復興の端緒についたばかりです。

▼くりこま高原自然学校


▼右の建物が傾いている。自然学校の施設の基礎が相当やられた。3年前の地震の復興もまだまだ始まったばかり


この3年で、宮城は海も山も傷つきました。

フクシマと同時にミヤギの小さな地域を、私たち泰阜村の人々が支えることはできるのでしょうか。

きっとできます。

そう信じています。

泰阜村の教育力と、被災地の集落の底力が、「お互い様」でつながりはじめます。

栗原入る前にめぐった南三陸のひとびとと、そんな前向きな打ち合わせもできました。

こどもに希望を語りたい。

その一点で、お互い様の支援の縁がつながろうとしています。

まさに「支援」は「支縁」です。

詳しくは別途紹介したいと想います。

佐々木さん、自然学校の皆さん、本当にありがとうございました!

泰阜に車で帰ります。720kmあるらしいです。ちょっとびびっています(笑)

代表辻だいち

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