薄井隊長の案内で、阿蘇市内の小学校へ向かった。
救援物資の集積センターである。
ここの責任者の石松さんを激励した(写真では後ろ姿で申し訳ない)。
2年ほど前に、泰阜村に視察に来られた縁だ。
疲れ切った顔をしていたが、気持ちは元気そうだった。
その後、阿蘇市役所へ。
ここには、環境省から政府派遣で来ている岡野さんを激励した。
各省庁2人ずつ派遣されるらしく、岡野さんは数年前に阿蘇で自然保護官をされていたことから選ばれたらしい。
つい1か月前に東京立教大学でのシンポジウムで会い、一緒に一献傾けた仲だ。
まさか阿蘇で再会するとは思わなかったが、使命感にあふれている姿だった。
ニュースで嫌というほど流れた阿蘇神社にも足を踏みいれた。
一之宮ということで、さぞかし地域の人に愛された神社だっただろうと想う。
それを思うにつけ、言葉が出ない。
浪野地区には、自然学校業界の仲間がいる。
彼らが運営するのが「なみの高原やすらぎ交流館」だ。
ここは、大分竹田側からの道路が地震直後も動いていたこともあり、被災地阿蘇への唯一の道路となった。
そのため、この周辺は支援部隊の拠点になっているところが多い。
ここも例外ではなく、全国の電力会社の拠点となっていた。
そして避難所にもなっていて、地域の方々が身をよせていたが、やはり小さなこどもたちや乳幼児を抱えるお母さんたちのことが心配だ。
相当なストレスがたまっているのが、一目でわかる。
そこで「隊長、ちょっとこどもたちを楽しませてあげたら? 出番でしょ」と、薄井隊長にリクエストをした。
実は、薄井隊長は「イカサマ忍法」という忍術の使い手である。
なんのこっちゃと想うだろうが、九州では知れ渡るパフォーマンスのプロでもある。
即興でやっていただいたら、最初は乗り気じゃなかったこどもたちが、次々に食いついてきた。
部屋の中が笑い声で包まれ、雰囲気が明るくなった。
電力会社の人々も集まってきて、大笑い。
こういう雰囲気が、やっぱり避難所にも必要なのだ。
ニュースや評論家たちが指摘続けていることだが、こどもたちのケアが必要になることを肌で感じる。
被害のひどかった南阿蘇村にも入った。
モンベル直営店では、RQ(自然学校関係の災害救援機関)設置のために九州入りしていた佐々木豊志さんと待ち合わせ。
東日本大震災の時に、いちはやくRQを現地に設置し、運営責任者として動いた経験が、きっと今回の地震にもいかされるだろう。
ひとしきり情報交換をして別れた。
モンベルは、車中泊を続ける避難者の方々に、テントを無償貸し出しをした。
得意技で支援をする無理のない例である。
土砂崩れで落ちた阿蘇大橋の集落に入る。
ここだけ、別世界のように被害が激しい。
東海大学阿蘇キャンパスの学生がたくさん住んでいたアパートがことごとく被害を受けている。
車が横転あるいはひっくり返っている。
津波や水害で車がこのような状況になるのは見てきたが、揺れだけで車がひっくり返るのは始めて見たかもしれない。
阿蘇大橋のたもとに立つ。
大地の震えと、山の猛威に押し流された若い命。
これからの大学生活を楽しみにしていただろうに。
私の息子もこの4月から大学生で一人暮らしを始めた。
漂う無念の想いが私の身体を固まらせる。
短い時間だったが被災地をめぐった。
今回の被災地入りは、小さな村:泰阜村ができる身の丈の支援を調査することが目的のひとつである。
頭と心と体を整理して考えたい。
泰阜村に帰って、1700人の村民の皆さんにまずは報告しなければ。
救援物資の集積センターである。
ここの責任者の石松さんを激励した(写真では後ろ姿で申し訳ない)。
2年ほど前に、泰阜村に視察に来られた縁だ。
疲れ切った顔をしていたが、気持ちは元気そうだった。
その後、阿蘇市役所へ。
ここには、環境省から政府派遣で来ている岡野さんを激励した。
各省庁2人ずつ派遣されるらしく、岡野さんは数年前に阿蘇で自然保護官をされていたことから選ばれたらしい。
つい1か月前に東京立教大学でのシンポジウムで会い、一緒に一献傾けた仲だ。
まさか阿蘇で再会するとは思わなかったが、使命感にあふれている姿だった。
ニュースで嫌というほど流れた阿蘇神社にも足を踏みいれた。
一之宮ということで、さぞかし地域の人に愛された神社だっただろうと想う。
それを思うにつけ、言葉が出ない。
浪野地区には、自然学校業界の仲間がいる。
彼らが運営するのが「なみの高原やすらぎ交流館」だ。
ここは、大分竹田側からの道路が地震直後も動いていたこともあり、被災地阿蘇への唯一の道路となった。
そのため、この周辺は支援部隊の拠点になっているところが多い。
ここも例外ではなく、全国の電力会社の拠点となっていた。
そして避難所にもなっていて、地域の方々が身をよせていたが、やはり小さなこどもたちや乳幼児を抱えるお母さんたちのことが心配だ。
相当なストレスがたまっているのが、一目でわかる。
そこで「隊長、ちょっとこどもたちを楽しませてあげたら? 出番でしょ」と、薄井隊長にリクエストをした。
実は、薄井隊長は「イカサマ忍法」という忍術の使い手である。
なんのこっちゃと想うだろうが、九州では知れ渡るパフォーマンスのプロでもある。
即興でやっていただいたら、最初は乗り気じゃなかったこどもたちが、次々に食いついてきた。
部屋の中が笑い声で包まれ、雰囲気が明るくなった。
電力会社の人々も集まってきて、大笑い。
こういう雰囲気が、やっぱり避難所にも必要なのだ。
ニュースや評論家たちが指摘続けていることだが、こどもたちのケアが必要になることを肌で感じる。
被害のひどかった南阿蘇村にも入った。
モンベル直営店では、RQ(自然学校関係の災害救援機関)設置のために九州入りしていた佐々木豊志さんと待ち合わせ。
東日本大震災の時に、いちはやくRQを現地に設置し、運営責任者として動いた経験が、きっと今回の地震にもいかされるだろう。
ひとしきり情報交換をして別れた。
モンベルは、車中泊を続ける避難者の方々に、テントを無償貸し出しをした。
得意技で支援をする無理のない例である。
土砂崩れで落ちた阿蘇大橋の集落に入る。
ここだけ、別世界のように被害が激しい。
東海大学阿蘇キャンパスの学生がたくさん住んでいたアパートがことごとく被害を受けている。
車が横転あるいはひっくり返っている。
津波や水害で車がこのような状況になるのは見てきたが、揺れだけで車がひっくり返るのは始めて見たかもしれない。
阿蘇大橋のたもとに立つ。
大地の震えと、山の猛威に押し流された若い命。
これからの大学生活を楽しみにしていただろうに。
私の息子もこの4月から大学生で一人暮らしを始めた。
漂う無念の想いが私の身体を固まらせる。
短い時間だったが被災地をめぐった。
今回の被災地入りは、小さな村:泰阜村ができる身の丈の支援を調査することが目的のひとつである。
頭と心と体を整理して考えたい。
泰阜村に帰って、1700人の村民の皆さんにまずは報告しなければ。
代表 辻だいち