信州小布施は葛飾北斎と栗菓子の町です。江戸時代より小布施の栗は名産品として有名でしたが、幕末から明治にかけて栗を使った菓子を製造販売し、この地域の銘菓として更に有名になります。また小布施は豪農商の町でもあり、巨万の富を背景に文化の保護育成に努めた町人気質の町でもあります。特に85歳より亡くなる90歳までの間、碓氷峠を越え数度も小布施に滞在し、後年に残る、傑作・大作を小布施に残した葛飾北斎を庇護したのは現・小布施堂の4代前の当主で、幕末の文化人「高井鴻山」です。小布施町は長野市が善光寺の門前町として全国から来る方を歓迎し、持ち込んだ文化を受け入れる気質が現在に至る長い間伝統的に受け継がれているのと同様に、来るものを拒まず、それが将来町を潤してくれるかもしれないという進取の気質に富んだ町でもあります。このように、町人の勢いが強い町や門前町は現在に至るまで常に進化し続けていますが、これとは逆に、来るもの認めない閉鎖的な町は武士が支配していた城下町に多いものです。私の住んでいる上田は、その典型のようなところで、今でこそ規制緩和により多くの全国チェーンの店が出来ていますが、高度成長の頃は何かというと新規の大型店舗出店は反対反対で、前に進まないものでした。また近年の行過ぎた規制緩和という古き良き日本を壊す政策により既得権者は戦後の農地解放のような状態に置かれ、特に地方都市では多くが富の集中から取り残されいますが、そんな中、景気の指標にもなる建設業界の動向を見ても、ここ数年は軽井沢周辺と長野市周辺の建設ラッシュに比べ、上田は全く動きが鈍い状態です。軽井沢に関しては、景気の良い、首都圏の別荘需用に応える好景気が続いているのですが、長野市の好景気は前述の町の持つ住民性にも理由があるようです。話が反れましたが、小布施で特徴的なのは、小布施町民の進取性は現在も引き継がれ、その中心になっていらっしゃる方々も旦那文化の子孫の方々であるということです。地方の素封家が旦那となって文化を培ってきた歴史は各地にありますが、先日、中野市にある中山晋平記念館の中で、中山晋平が音楽家になることに決定的な影響を与えたものが、幼い頃、上田にあったジダンという楽団の演奏を聞いたからだという記述があり、その上に当時の上田のジダンの写真があったのですが、軍隊式の衣装を着た今のマーチングバンドのような雰囲気があります。更にその写真の周りを良く見ると、写真の提供者名が記載されており、知った人でしたので驚きましたが、その方の家も代々の巨大な素封家で、小布施の素封家とも姻戚関係があり、富は集中するものだと感じたわけですが、上田でもそいうった文化を庇護する風潮は明治の頃はあったようでしたが、小布施のように町をあげてというようにはなりませんでした。小布施には古き良き伝統を町作りに計画的に取り入れたおそらく全国で最初の町で、狭い町を歩くと、いたるところに町の人々の心使いを感じることができます。