緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

食べることは生きることの楽しみの一つなのに…

2018-07-28 10:57:36 | ヘミシンク
 ちょっとした腹痛だけでも、なんとなく気分が塞ぐ。昨日も用心して朝は目玉焼き一つとウィンナー一本に八枚切り食パンにバターを塗って一枚。昼は農協の中央店でみかんとバニラの丹那牛乳(学校給食にも納めていると宣伝していた)で作ったミックスソフトクリーム。バニラの部分が牛乳の味がしっかりしたので、ミックスでないほうがよかったのかもしれない。やはりボノサップの副作用か口の中が不味くてスッキリさせたくて食べた。午後三時頃ご飯タッパー半パックを鮭雑炊にして食べて、もうそれだけにしておこうと思ったが、夜多少お腹がすいたので思い切って、悪くなりそうなバナナを潰して入れて焼いたパンケーキ半枚を食べた。昨日はその前より腹痛は軽減した。夜パンケーキ半枚を食べても平気だった。
 つくづく思うのだが、肉体をもって生きている事の楽しみの一つに食べるっていうことがあるのに、年をとると余り食べられなくなって非常に残念に感じる。旅などしても食べることは旅の一つの大きな楽しみだと思うが、そこは今後あまり期待できないなと思うと残念な気持ちだ。そして、母を看取ってつくづく思ったことは人間食べられなくなって死ぬんだな。ということだ。死期が近づくと人間は食べられなくなってくる。体が食べ物を受け付けられなくなるのだ。それで今では延命治療として胃瘻などがあるのだが、母はそれをしなかったので、食べられなくなって死んだ。水分だけは点滴で補ってはいた。
 年をとってくると肉体を持ってできることでつまり食べることでいろいろ体験してみたいなと思うことが増えたのに、体がそれに反比例していくのは私には悲しい。