緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

天災と人災

2018-07-03 10:27:07 | ヘミシンク
 久しぶりに、台風七号が朝鮮半島を北上するような天気予報であった。そもそも台風は太平洋上で発生して、必ず沖縄あたりから偏西風に吹かれて日本列島を襲うような進み方をする。滅多にそのまま北上ということはしない。それで朝鮮半島が台風に襲われることってあるのだろうか?とネットで調べたら5年に一回くらいであるそうだ。日本は最近は短時間に豪雨が降ってそれで増水した川に落ち水死などという事件もよく報道される。水害だけでなく、突然前触れもなく山が崩れたりして犠牲になるといったことも最近あった。地震についてはいわんもがなである。それに比べて朝鮮半島は台風に襲われることはめったにないどころか地盤も安定していて地震も起こることがほとんどない。朝鮮半島の自然災害について調べたサイトでは結構どのサイトにも、自然災害が少ない代わりに人災が多いのが朝鮮半島である。ということが書かれていた。しょっちゅう他民族の支配のもとに置かれたり、戦場になったり、独裁政権による弾圧があったりしてきた。今でも北半分は独裁政権の下でちょっとしたことで銃殺されたり、強制収容所送りにされたり、飢えで苦しんだりということが日常だ。それら全部人災と言える。デパートが崩れて多くの人が亡くなったという事件やセウォル号の沈没なども人災の典型である。日本のように天災が多い国にはあまり人災がなく。朝鮮半島のように天災が少ないところは人災が多い。ということが言えるようだ。天災の多い国では人々が天災によって心を揺すぶられ、人災の多い国では人災によって心を揺さぶられるということをまるの日さんもおっしゃっていた。
 どちらの方がいいのか?もちろんどちらも無いに越したことはないのだが、私は天災の方がまだいいのではと思う。天災であれば、それほど人を恨むということはなく、悲しいけれど仕方が無かったという諦めにつながっていく。そして、天災の教訓からそれにたいして備えたりすることもできる。また、天災は自然が起こすものであるので、自然に対して自然の力は侮れないという自然に対する畏敬の念にもつながっていき、環境破壊などを押しとどめたり、自然との共生を模索する方向に繋がる。片や人災が多い場合、相手が人間なだけにその恨みや怒りは人間に向かい、またそれが人災の元になるといったように人間の中での悪循環が起こりかねない。人を許す方が、自然災害を許すより難しいことだと思う。
 そのように考えると、自然災害が少ない国が羨ましいとも言えないのではないだろうか。