緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

過去をおもんぱかると

2018-05-23 08:26:17 | ヘミシンク
 最近また、まるの日さんのブログのコメントばかり書いている。自分のブログを更新していない。と反省をした。何しろ真名さんのブログは、読むとそこからいろいろなことをつい考えてコメントしたくなってしまうようなブログなのだ。そこで思ったことをコメントにせず、こちらに書いていくほうが大切なのかもしれないと思った。
 最近ある人をフェイスブックで見つけた。嫌な思い出に連なる人なので見たくもなかったのに見つけてしまった。しかもいかにも自分は幸せだ…ということを知らせたいように私には感じられる一文があった。その人との関わりがなかったら、その後の大きな困難もなかったかかもしれないし、逆に出会うことがなかったらまだその地に居続け今いる場所には戻っていなかったかもしれない。世界線ということがあるから、どの世界線をたどっても、その人との出会いとその後の苦労とは切り離せなかったのかもしれないが。何か苦いゲップが胃からこみ上げてきて、その味がまだ口の中に残っているような気分である。もし、私にアトランティス時代の過去生があったとしたら、いつも何か社会からはじかれたような存在で違和感を感じていたのではないのだろうか?と思う。それなのに、今生の若い頃をみると、何か既製の様々な考え方の中に自分を託せるようなものを探して安心しようとしていたようだと振り返ることができる。そして、その考え方とそれに基づいた組織に所属することが違和感なくスムーズに人生をおくれる人たちというのもたくさんいるのだろうが、どうも私はそういうタイプではなかったということだ。今生の若い頃をやり直せるとしたら、多分何か自分で物を作る工芸とか裁縫とかそういった技術を身に付けることで身を立てる方向でやり直すのになと思う。あまりにも自分を知ら無さすぎ、余りにも簡単に既製のものに頼ろうとしていたと思う。