ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

5月が待ち遠しい

2015年01月25日 18時01分20秒 | 釣夜話
楽しみながら病後の体力回復にと、百姓仕事を気が付いたのは昨年のまだ雪のある内だった、それの他にも前から定宿にしていた十勝岳麓の吹き上げ温泉に湯治に出掛けていた。
五日だったがバックカントリーで三段山山頂、手作り橇で滑り下りる事も出来て、自信が付き五月から始まる市民農園の仲間入りを果たした、楽しい六ヶ月だった、五月から始まった途端に突然の直ぐ下のの妹の死に、自分を振り返る警告でもあったと警告もあったのに過信していたの自分があったのも事実だった。
後悔先に立たずをこの歳になっても繰り返している自分の未熟さに呆れている。
どうも歳をとると考えが単旬に、そして頑固になっているのが薄々解っている。

昨日突然外出許可をもらい帰宅する、PCのメール整理と今日から始まった月寒中央公園で始まっているジヤンボフェステバルの様子を見る為で、私の代役の本間氏が活躍しているのを見て安心して病院まで帰って来た。
明日の日曜日まで続くが、お天気も味方しているみたいだ、久しぶりに沢山の子供達を見た。

親父から釣のいろはを教えてもらったが、私から自分の子供達に教えたのは釣りでなくウインタ一スポーツのスキーだった、直接教えた訳でなく環境を整えるのに私の全能力、財力、時間、をつぎ込んだ、全く悔いの無い子育て時代を過ごして来たと確信している、親父を超すことはできなかったが別の意味で私の役割は完徹したと思っている。
その頃の釣り場は私はもっぱら美国から先の岩場が多く崖をロープを持ち込み人の余り入らない場所を積極的に開拓したり、崖下りしてから組み立て梯子を持ち込んでは若さいっぱいの釣りを楽しんでいた。
それに引き替え親父の釣り方は、無論お客さんと一緒に歩いていたが余別の船釣りが多くくなっていたのは体力の衰えが原因だった事が後年にになって理解出来て来た。

釣札幌編
札幌に代わってから父も私も自分達の店のお客さんと釣歩きする事が多くなる、その頃は子育て時代と重なるのでプロドライバーと釣具店、それにスキーが中心の子育てが重なり、それは忙しい時間を役替えしながら充実した日々を過ごした。

それと対象的に親父は人で店先までタクシーを呼び込み、石狩新港釣りに変化していた、無論ドライバーには帰りの予約を忘れることは無かったのでタクシー会社には大変上客になっていたと思う、それほど釣りは親父にとっては人生その物と思う。

私から子供達に釣りは伝授はしていない。

歴史的出来事の瞬間をテレビ座席で観戦する。




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