ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

朝ドラを見て

2015年03月07日 13時42分22秒 | 自叙伝

NHKの朝ドラのマツサンを見ている、故郷の輪西の町からも大勢の人達が赤紙一枚で戦地に引きづり出されていた、一家の大黒柱を引っこ抜いて持っていかれた残った家族は惨めなものだと今にして思う事だが、少年の頃は洗脳されていたので勇ましさだけ焼き付いていた、戦争も後半になり玉砕のニユースが流れる様に成っても、必ず神風が吹き戦況が好転すると信じていた少年の1人だった。

記憶が残り始めた3.4歳の項は室蘭の市立病院の近くにあった魚屋さんの二階に間借りしていた、越後人が通った後には草も生えないと云われていた時代、北海道に渡って二年間くらいの間に蓄財したのか、製鉄所の城下町の輪西の中心地の一角の角地に我が家を確保する、初めは大工を平行させていたと思うが、自宅を店舗に自ら改装し遠藤百貨店店を開業する、ここから商人及び実業家へと変身して行く、育った環境から大工に成ったが、夢は別な所にあったと思う親父だった、と理解している、実家の母親とあわず家督を次男に渡して未開の地の北海道に来て北海直の土になった。

親父のただ一つの欠点は、物凄く短気な所で、趣味は魚釣りだけだった、趣味がが高じて釣具屋になったのも頷ける、落語に出てくる短気な釣り人のことを思い出す。

学歴は無いが、頭が良かった勘も鋭く先を見越 す力があり、聞き上手でもあり耳学問で知識を蓄え、それに人を使うのが本当に上手でもあった、私の10人以上いた兄弟の中で親父の性格を受けついだのが直ぐ下の妹だった、高校卒業式で優等生総代を務め学校からも大学に進学させ医師の道にとの誘いもあった、ただ本人には別な夢があり、それを断ち切るために家出をする、と言っても東京で大工の棟梁をやっていた母親の弟の所に転がり込んで行った、ほとぼりが冷めた頃戻っていたのを思い出す。

親父は妹が女で生まれたことを、悔しがっていた、親の意に従い半民半官の職場に勤めていた人の所に嫁ぐ、義父は法務関係の裁判官も務めた人で並の家系ではなかった、残念な事にどちらも頭の良い同士、男の子二人出来たが破局が来る、最後は夫が自殺してしまっている、悲しい結末に成った、二人の男の子は立派に育った、次男は結婚したが矢張自殺している、しかし三河のど真ん中に建つマンシヨンを残して行った、そのマンションに長男と二人で住み二年位、残った長男は「アスペルガー」で専門の先生のサポートを受けながら母親が信者だった、ユホバの証人の組織の人々の援助を受けながら生活している、甥子の頭の良さは小学生の頃大学の問題でも解ったし、アインシュタインの法則まで理解していたと言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿