いささか月日の過ぎ去って行く感じも、医院の窓から見る風景でも感じて来ている、今はじっと耐えるだけ、今朝の回診でも順調に経過しているとの言葉が飛び出す。
同部屋の患者さん達から見ると、本当に親から貰った体に感謝しています、80歳にしてこの間に二度の手術を受けて、現在回復中、並の体力でなかった生命力が残っていたと自分ながら驚いている、私には大望は残っていないが、まだやり残した事があり未だに生かされていると思う様に成っている、大事に使って往生したいと思う。
我が家の祖先の事は前にも書いた事があるが、今から900年も遡るが1193~1276年に活躍期に有った、遠藤正遠 (遠藤左衛門尉藤原正遠)がかなり高齢だったが鎌倉幕府の役人で日蓮上人の佐渡への島流しに同行していた、佐渡迄の途中で日蓮上人に諭され改宗する、更に幕府の士官を辞めて佐渡に留まる。
1274年日蓮上人が赦されて鎌倉に帰る時は正遠は81歳の高齢と老衰だつた。
その後子孫は佐渡に留まり11代目の時に対岸の角田は先祖改宗の聖地となリ、隣村五ケ浜に移住している、特に晩年親父は酒が入ると子供達の前で話して聞かしていた、最後に此れを辿って行くと藤原鎌足に行き付き家紋ロは藤原家の下がり藤と耳にタコが出来るほどだった、今はなっかしい思い出と成っている。
今日でも、毎年4月28日 日蓮上人からいただいた判を遠藤家より角田妙光寺に、開扉結縁をおこ 成っている、「御判さま」と呼ばれ全国から信者が集まって来る、私は参加したことは無い。
還暦の時に始めて角田妙光寺を訪ね某かお布施を納めて来ている。
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