ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

月日は百代の過客にして行きかう年も又旅人也

2015年02月17日 14時57分28秒 | 自叙伝

高校時代の国語勉強の中で此の文章が出てきた時には、全く意味も解しないで何十年も過ぎ去って来ていた、芭蕉が51歳で一生を終えて物凄い足跡を残して行ってる人生50年と言われて時代に、江戸を立ち日光、白河の関、平泉、山形、出羽三山、鶴岡、酒田、越後、金沢、福井、敦賀、大垣で奥の細道は終わって要るが、自分の脚だけでやり遂げた敬意にはただただ頭が下がるばかりだ。

高校時代は得意な学課は何一つ無かった、ひいて言えば高校を選んだ時から商人を志していたのも物心付いた時から親の背中を見て育っていたので自然に刷り込まれていたと思っている、英語、数学は苦手で何時も補習授業を受けでいた、ただ必要とした簿記と算盤だけは人並みにこなしていった。

老境に入ってから表題の一文が漸く解る様になつて来た、遺書になった句が現在の私の境遇にも重なり「意味深く感じている・旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。

ここに来て高校時代の国語の勉強が生きていたいたことに気が付く。

芭蕉が木曽義仲の生涯に思いを寄せ、生前から義仲の側に葬って欲しいと言われている、大津市馬場の朝日山義仲寺仲良く葬られている。 

午後から屋上に真夏並みの日射しが差し込み季節は5月だった、管理が行き届いた温室に感心している。

 

 

 

 



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1 コメント

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Unknown (G)
2015-02-17 21:29:26
あと少しの辛抱でふきのとうが顔をだし、行者ニンニクも採れる季節が来ますよ。
早く退院になりますように!
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