ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

北海道遠藤家の墓

2012年08月01日 15時37分26秒 | ペタンク爺さんの一日
親父の故郷は、新潟県巻町字五ヶ浜で私の生誕地だ、父は1936年に故郷を捨てるように出奔している、それ以来とうとう故郷には帰っていない、子供のころに故郷の話をしていたことを記憶している、故郷を出た訳は正確には判っていないが母親との折り合いが悪かったと聞いていたことがある。
屹度、生まれ故郷には錦を飾って凱旋することが父の夢でもあったように想像している。
母親の故郷も全く同じで、隣同士の関係でどちらも大勢の兄弟がいたようだった。
母親は、二度三度故郷を訪ねている、私は6歳の時に旧制中学生になったばかりの兄貴に連れられて生れ故郷に帰っている、兄貴は小学生時代は親と離れ新潟の祖父の所で育っていた、子供二人長旅はその後の私の記憶の中に焼付いた出来事が沢山出来た。
それ以来、私の故郷のイメージがはっきりと記憶されるようになった。

父56歳の時、母54歳で他界した私は26歳で長男が誕生していた、その後育った室蘭から札幌に移り子供たちの故郷は札幌円山になったと思っている。
父は札幌に出て、昔の商売の釣具店を開業しそこそこの成功をしていたと思う、その父が62歳の時平岸墓地にお墓を建てた、私が32歳のときだった。
一番先に母が入り、1983年父も母の傍に行く、それから10年1993年私の還暦の歳に、父と母の骨を持って故郷に行く、佐渡島が見える海や山に父母の散骨をする。

今年も、お盆がやってくる先日一度墓の草刈りをしていたが、そのご日照りが続いていたが今日は朝から久しぶりの雨、雨も気になるほどではないのでお昼を済ませた後出向く、思ったほど雑草も伸びてなく花壇に咲いていた花を供える、一昨年鉢に植えた菊が水撒きに来ないのに育っていた。
今は、妻も一緒に入っている北海道遠藤家の墓で、いずれ遠からず私も加わることらなる。

いずれ私も

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