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規則正しいスケジユールが守られ るようにと限られた環境の中で、頑張る日が続く、今日も朝風呂から出て来ると昼ご飯が届いている、朝は具無し味噌汁だったが昼はスープが主だった、味に梅味噌、昼に鯛味噌が付いていた、鯛味噌は内緒で食事が始まった時には買って用意して程で病人の常食と思っている、普段から常人の一人前は食べられない胃袋に成っていたので今回の食事も出ているもの全部は食べれない、家に居るときは間食用に栄養価値の高いお菓子類を中心に数点買い置きをしておくのが習慣に成っていた。
今回の入院前半には昔お菓子類を用意し時々つまんでいた、今は其処まで回復していない、固形物が食べれる様になったら外出許可をもらって近くのタイエイまで、副食 を探しに行こうと思っている、楽しい時間が過ごせそうですね。
26日に二時間の外出許可をもらってダイエイまで行った翌日から、自主トレ特別メニューを始めていた、体の回復に影響があると暫く中断を決意する。
まだ完全に絆口は塞がっていない状態では、当たり前と思っている自分も居ることに気が付く、我慢のし所と冷静に考えている。
農業への伝導者
物心付いた頃から親父の背中を見て育つていたので自然に将来は商人になるべきと刷り込まれていたと思う、しかし私のもうひとつの夢は帯広に有った帯広畜産大学に入学したいと大きな夢も有った、酪農に関わる仕事は多岐にわたるが、その頃は漠然としていたが私の学力程度で入学試験を合格するとは考えられないと断念していた、北海道の広大の牧場や畑に馬や牛を相手にする仕事は、性格的にも適して要ると自分を理解していたことを思い出す、・・・高校入試の時商人を目指すか大学に進む道を選ぶかで高校を選択する段階で、この時普通高校は無試験で入学出来ていた、この時すでに商人を志して商業高校の入試を受けていた倍率は1,5倍の競争率で、自信は無かったが合格発表の日に学校まで見に行ったことを覚えている、何となく誇らしく感じる。
あれから60数年農業への導きはSTVの桃栗三年の河村通夫の動画がきっかけになった、彼も札幌から遠からぬ所で実践農家をやっていて、年に数回動画投稿もやってくれている、氏の講義は易しい、畳一枚で何が作れるかと解説も素人向き。
お陰で昨年の5月から15坪(畳30枚)の市民農園を借りて始まった農業実践、楽しかった思わぬ収穫もあったり、何が一番かと云うと毎日とは行かないが畑通いで病後の回復に大きく貢献出来た事とだった、無論今年も継続契約もしていて、5月になるのを楽しみにしている。
感じたことでしょうね。