ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

半日仕事三日目

2014年02月13日 19時51分01秒 | 橇爺(そりじい)モード
還暦で生まれ故郷に足を入れてから、もう20年も経っているのに少し驚いている、生れは新潟の弥彦さんの裏側に位置する小さな海岸の村で昔は海岸線道路は無く、峠を越えて村に入っていた、生まれて故郷の記憶がない3歳頃に親と共に故郷を後にして、6歳の夏に兄と二人で帰省した少年の記憶がその後の故郷の記憶が故郷の思いでの全てだった、今思い出しても胸が締め付けられる思いが蘇えってきて美しく故郷を美化し夢まで出てくる。
この後、55年後の還暦に故郷に入ったときは峠にはトンネルが開通していたり、海岸線はバイパス道路が貫通していて夏の海水浴時期は賑わいを見せているらしい。
と云っても、このころ民宿が数件ありその一軒にお世話になっている、その時感じたことは兎に角村が狭いと云う事だった何もない村で必然的に出稼ぎの村だとも聞いていたが実感させられた事を思い出している。
嬉しい事に、父の妹が存命でお会いできたことだった、父は長男で家督を継ぐ位置にいたのだが親と折り合いが悪く、次男に家督をゆずり北海道に移住した。

この時でも次男は村を出ていて、古いお墓だけ残っていたが数年後訪ねた時はお墓が新しく建て直されていた。
それ故、遠藤家は本家の屋敷だけは残っているが今どうなっているか判らないし、調べようともしていない。
私の系統の縁者も、もう故郷には誰も居なくなっている、だだ隣同士だった父と母の実家の跡が何処かの畑になって残っていて微かに遠藤家の足跡を感じさせてくれる。
その後、古稀、喜寿、も通り過ぎ傘寿なった、予定は米寿と卒寿が残るだけ、もう一度くらい生れ故郷に行ってみたいと思いを新たにしている。

半日仕事3日目、生憎雪が降りしきる現場になったが子供は風の子と近くの幼稚園生が大挙して月寒公園に来てくれた、手に手に米袋に座布団を入れた手作りそりを持ちそり山に遊びに来てくれた、良く見ると3歳~4歳くらいの可愛い子供達で寒さにも負けないで遊びこけているのを見て遠い昔の私と重ね合わせて見ていた、今日も本間氏が同伴しお昼は蒸かしさっま芋を作り其れを食べ終わった途端公園を引き揚げてくる。(正味2時間のさぎ)

近くの幼稚園児そり山に遊びに来てくれる




嬉しい贈り物戴く

直ぐ近くに嬉しい業務スパー出来る

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