ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

懐かしいものふたつ

2012年01月18日 14時05分33秒 | ペタンク爺さんの一日
今日は北沢スキースクールの個人レッスン日で、初めて飛び込んだときからこちらの先生の奥さんがお相手してくれていた。
私が思うには、この齢になってよく来てくれたが何時まで続くか危ぶんでみてたと思っている。
私の生涯で音楽との接点は、子供時代のハーモニカだけで、歌を聴くのも無論歌うのも無縁で過ごしてきているので、突然正式にダンス音楽を聞いても体は同調する訳もなく、苦労して始まっている、齢相応に体力には自信があったが、ダンスで必要とされる動きは今までにない体の動きに戸惑い、自分の鈍さに改めて認識させられたダンス入門だった。

スクールでのレッスンは、30分程度の短い時間だったが始めてから二か月以上経過している、週2回くらいから、今は週1回になっているが、今日のレッスンで無意識に踊れるところも出てきて、楽しさも感じられた日になった。
先生も少しは上達していると感じていると思っている。・・・やれうれし。

帰りは自然食品のまほろばに顔を出す、鮮魚コーナーを見ると真冬が旬の海草のふのりが売られていたが、食べ方を知らないのか売れ残っていて三割引きの値札がついていた。
一気に時間が遡り、春のホッケ釣りやカレー釣りに磯に行ったときは岩についている海草を採って帰っていた、その中にふのりも入っていた、食べ方は殆ど味噌汁にはなし具として磯の香りを楽しんでいたことを思いだし、買って帰る。
レジの前に、また懐かしい飴を見つける、子供の頃甘いものの代表格だったと記憶している。
名前は、大甞飴で北海道の栗山で谷田製菓が作っていたものだが、戦後間もない頃は近くの八百屋の親父さんが此れと同じような飴を手作りし、形は丸棒飴で木箱にでん粉を轢き並べて売っていた、それが量産出来る製菓業になったと想像している。
海草採りも磯釣りから足を洗ってから久しい、どちらも久しぶりに懐かしいものに出くわした。

懐かしい飴


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