ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

カメラとの出会い

2015年01月22日 16時54分31秒 | 釣夜話
小学生の遊びの中で日光写真があつた、単旬な作りで印画紙を黒い袋から取りだし写真と反対の種紙に合わせ太陽に向かって当てると写真が現れて来ると、子供の頃は興奮していた、残念ながら定着が出来ないので翌日には印画紙は真っ黒になっていた。
本物のカメラを手にしたのは高校の一年生だった、兄と同じ学校で室蘭商業高校で入学時は東室蘭の兄の通った学校だったが直ぐ母恋に移っていた。
クラブ選択でカメラ部を選んでしまったのは兄の影響が大きかった、兄はその項でドイツ製の一眼レフKW社のPrakticaを持っていた、私はカメラ無しで入部していたので時折兄の目を盗んでその豪華なカメラを部活に持ち出していた。
しかしいっまでも続く事はなく、親父から自分で働いて買えと言われる、父母が話し合いってのことだったと後で気が付くが、母と相談して夏休みに家の一角を利用し生花店を開く、仕入を担当し輪西からリヤカーを引きながら本輪西方面の山側に点在していた、農家の庭先に咲いている花を買い付けて廻った、お月見などには途中の原野でススキや背たかあわだち草を刈り採って商品に混ぜて売っていた、売り子はお袋で商売上手だった、カメラが買えるほど売上が貯まると兄に頼んで買ってきてもらったのが国産カメラのミノルタのシヤバラ式カメラだった、嬉しかったその夜はカメラと添い寝をしていた。
目的を果たすと花屋さんはいつの間に閉店している、それから部活には誇らしげに首から下げて歩き廻ったことを昨日の様に思い出す、カメラのお陰で女生徒と自然に接触出来る様になりこの頃から異性に目覚めた瞬間だった。
黒の学生服にゲレーのスボンをはいて目立つ服装に、硬派から軟派に変身していった。

川釣り編
親父と一緒に釣り歩いた中で印象深い釣がある、後から検証すると最所から川のボラ釣が狙いで場所は靜狩方面の大岸の河口がポイントだった、現地到着後海岸へ波打ち際でたもを使い沖アミ掬い、それが今日の魚の餌だった、このボラ釣は釣果より釣の醍醐味を考えての釣り方で、竿はへら鮒釣の段巻き竿にヘラ浮きを使用し針は極小針に沖アミを付けて川の深みへ上流から流し込むと微かに浮に変化が現れる、タイミングを見計らい合わせると一気に竿は引っ張り込まれ竿が二つになるようにしのる、魚との闘いが始まる暫くすると、魚は弱って来る、そこまで持ち込むと人間の勝ちに完全に釣り上げると50センチもある大きなボラで顔は四角い面白い顔をした魚でした。
北海道ではあまり食べられていない魚ですが、洗いとか酢味噌あえで食べた記憶が残っている、本州ではボラの卵で珍味を作っているので珍重されているボラだが北海道では滅多に見られない魚です。













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