四鷺だより

お騒がせ一家のOX生活記

おまけ (イギリス到着の翌日)

2009年05月30日 | Weblog
龍さん、寝る寝る(笑)!

私たちはヒースロー空港から直接ヘレンハウスへ直行。時差ぼけから回復する間、ここで2泊できるよう前もって予約しておいたんだけれど、龍さん、ヘレンハウスのベッドで夜も爆睡、昼も爆睡。
長い旅程中よく頑張ったとは言え、きみ、そんなに寝てたら目玉が溶けるよ~。来週の火曜日から学校が始まるから、それまでに時差ぼけ脱出を目指そうね♪。

イギリスへ (最終日)

2009年05月29日 | Weblog
ホテルを朝6時半に出発し、伊丹空港から羽田へ。そして羽田からロンドン・ヒースロー空港へ。ホテルに2泊してくれた母ともここでしばしのお別れ。

ビジネスクラスで体をノビノビ伸ばせるとは言うものの、座席にビミョーに傾斜がついているため、龍さんは何度もずり落ちていた。そこでスチュワーデスさんと知恵(?)を寄せ集め、龍の股をくぐらせた毛布をシートベルトに縛りつけて作った、即席まわし風すべり止め(笑)。これで君もずり落ちまい(笑)。


去年4月の日本帰省時にJALへ「機内でのオムツ交換時にもう少しプライバシーを守れる方法はないものでしょうか」と打診した。当時、龍一は7歳。まだ子供といえば子供だけれど、人前で下半身を丸出しにするには少し抵抗がある年齢になってきていた。その時は「申し訳ないけれど、今のところそういう方法はない」というのがJAL側の返事だった。

今回もそうした事情に変わりはないだろうと、いつものように機内が暗くなるのを待って龍のオムツを替えていると、アテンダントの方が「プライバシーを守れるよう、席の周りにカーテンを用意することができます」と教えてくれた。それで次のオムツ交換時にお願いすると、こんなん出ました!

天井にマジックテープを貼り付け、そこからカーテンを下ろしている。ちょっと大仰な気がしないでもないけれど(「新型インフルエンザの患者発見!ただ今隔離中!」って感じ(笑)?)、暗い中、周りを気にしながら手探りでオムツを交換するのに比べれば、かなり助かる。
ちなみにこのサービスはビジネスクラス、エコノミークラスにかかわらず、すべての座席で利用可能だそうだ。
利用客のニーズに応えようとしてくれているJALの姿勢に感心した。いつものことながら「利用者の立場に立った物作り、サービス作り」という点にかけて日本はピカ一だと思った。

ヒースロー空港に着くと、マークと健が迎えに来てくれていた。ほぉーーーーーーっ、ただいまー。
これで私たちの長かった10日間の旅はおしまい。

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最初に龍一がヘレン・ダグラスハウスの日本旅行に参加できるか打診された時は、本当に軽い気持ちで承諾した。けれど終わってみると「楽しかった♪」だけでは済ませられない、本当に本当に内容の濃い旅となった。準備の段階から大変なこともたくさんあった、でも多くの素晴らしい出会いに恵まれた。プレッシャーにあえぐ時もあった、でも楽しい思い出もたくさんできた。

シスター・フランシスは「人間にとって人生の長さだけが大切なのではありません。どれだけ深く人生を生きるかが大切なのです。」と言われる。この9日間はこれまでの私の安穏とした生活何ヵ月分にも相当するほど凝縮された時間だった。こんな忘れられない深い深い時を与えてもらえたことに心から感謝している。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (9日目)

2009年05月28日 | Weblog
へっへっへ~、今日はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)行きの日(笑)。

大道芸のお兄さんを見て、ニッコニコの龍。


シュレックとフィオーナ姫と。


ディズニーランドと同様ここにも龍たちが車椅子のまま参加できるアトラクションがある。でも特にUSJが障害者も含めたテーマパークだと感じたのはトイレに入った時。


障害者用のトイレになんと龍も横になれるオムツ替えの台があった!

これには感動!日本に限らず、外出した時に何が大変って、龍さんが横になってオムツを替える場所がなかなかないこと。障害者用トイレの固いタイルの床にタオルを敷いて龍を下ろしたり、トイレに龍が横になれる十分な広さがない時は朝出かけてから家や宿に戻るまでオムツ交換ができなかったりする。赤ちゃん用の小さいオムツ交換シートは見たことがあるけど、こんなの見たのは初めて。これを世界中にもっと普及させていただきたい!!

ユニバーサルスタジオのスタッフの中でも、こうした特別なケアが必要な人たちを案内する有志の集まりがあり「The Dream Weavers (夢を紡ぐ者たち)」と呼ばれているらしい。なんかスゴイぞUSJ!ディズニーなんて目じゃないかも?!

翌日はいよいよイギリスに出発。この日の夜は「さよならパーティー」があった。

この写真を見ると出発前の集合写真よりもずいぶん人数が増えているけど、実際に今回のプロジェクトにかかわってくれた人たちはもっとすごい人数だった。
立食スタイルの食事の後に主催者の方が挨拶され、みんな感動の涙を誘われた。そしてその後、みんなで手をつないで輪になり「蛍の光」を合唱した。(もともとスコットランド民謡なのでイギリス人は英語で歌い、英語の歌詞が分からない私は日本語で歌った。)
日本の「子供のホスピス設立プロジェクト」はまだ立ち上がったばかりだけれども、私たちヘレン・ダグラスハウス陣は「日本訪問」という、これはこれで大きなプロジェクトを一致団結して無事に終えたのだ。みんなお疲れー!!みんなハナマル!!

・・と言っても、旅程はあと1日残っている。明日は朝4時起きだー。

大阪の座談会 (8日目)

2009年05月27日 | Weblog
10日間の旅程もいよいよ終盤に入った。この日から実家の母が私たちに合流。日本出発の29日まで同じホテルに泊まってくれる。

今日は大阪でのシンポジウムの日。といっても新型インフルエンザの影響で、当初予定されていた800人規模のシンポジウム(一般の人の参加も含む)から、150人規模(参加者は医師や専門家などに限定)の座談会に縮小された。
バイオリンとチェロとピアノの演奏会、ヘレン・ダグラスハウス側からのスピーチ、討論会という進行は東京のシンポジウムと同じ。でも会場が小さくなると来場者の方々が演台にぐっと近くなり、東京の時よりもかなり緊張した。
でもそれもなんとか無事終了。ホッと肩の荷が下りた。写真はシンポジウム後にシスター・フランシス、トム、レイチェル、ウィル、そしてボランティアの方々と。

この日はまたテレビ局の取材が入ると聞かされていた。私たちヘレン・ダグラスハウス陣がシンポジウム会場に向かうバスに乗るところから移動中のバスの中にもカメラが入り、みんなドキドキ、照れ照れ。
ただ先日の日本人医師の方々の熱意に感動した私は、こうしてメディアが動くことで日本での「子供のホスピス」に対する認識を高められるのだと思うと、カメラに対する照れや緊張よりも“協力しよう”という気持ちになっていた。

京都 (7日目)

2009年05月26日 | Weblog
京都観光の日。午前中は友禅染め体験と平安神宮参拝。

友禅染めの所で、手を使うことが大嫌いな龍が筆を握ってニコニコと作業しているにはワケがあった。


ボランティアで参加してくれた大学生のかわいいお姉さんにチョーご機嫌なのであった(笑)。


お姉さんと龍と私の3人の共同作業でこんなんできました~♪。


平安神宮と


金閣寺

東京から大阪へ (6日目)

2009年05月25日 | Weblog
東京から新幹線で大阪に移動。イギリス人グループは新幹線の窓から富士山を見るのをとても楽しみにしていたが、あいにく雲に隠れて見えなかった。残念。また富士山を見に、日本に帰ってきてね。

この日の夜はヘレン・ダグラスハウス創始者のシスター・フランシス、CEOのトム、看護士レイチェル、私たちのグループの医師ウィル、そして今回の旅行の主催者ご夫妻、そして私の7人と、日本人の医師12人くらいとの顔合わせを兼ねた食事会が設けられた。私の隣に座られた日本人医師の方が、初めてヘレンハウスを訪れることになったいきさつ、日本の現状、これまで「子供のホスピス」という概念を日本に普及させるために行ってこられた活動などについて熱く語って下さった。
その話を聞き、またその他の医師の方々の話にも耳を傾け、私は自分がとてつもなく大きなプロジェクトの中にいることを感じた。一母親でしかない私がこんな所にいて一体何の役に立つのだろうと不安にもなったが、私たち一家の限られたヘレンハウスでの経験談を語ることが何かの足しになるのであれば、恐る恐るだがお手伝いさせていただこうと思った。

浅草、東京タワー (4日目)

2009年05月23日 | Weblog
この旅程で唯一フリーの日。ボランティアの人たちが浅草と東京タワーに案内してくれた。

JRもそうだけど、私鉄に乗ってもやはり駅員さんが車椅子陣をホームまで誘導してくれ、下車駅に私たちが乗っている車両番号を連絡してくれ、目的の駅に着くとその駅の駅員さんがスロープを持って待っていてくれた。この連係プレーは本当に素晴らしい。イギリスからのみんなも感心していた。


しかしこの日は暑かった!朝、天気予報で28度と言ってた通りカンカンに暑くて、龍さんの顔はまっかっか。途中から耐え切れなくなったのか、眠りの中へ現実逃避していた。一行について来てくれた日本人医師や看護士さんが冷えピタをあちこちに貼ってくれたり、ヘレン・ダグラスハウスのCEOであるトムが帽子を買ってくれたり。皆さん、お世話になりました。


さあ、お昼ご飯を食べましょうという時になって気づいたのが、たくさんの食事処に「ベビーカーお断り」の張り紙がしてあったこと。ベビーカーで断られるくらいだから、車椅子6台の大集団なんて問題外みたいで、みんなが入れるお店を見つけるのにけっこう時間がかかった。軒並みベビーカーを「お断り」するような何か事故があったんだろうか?


日がかげって少し涼しくなったと思ったら、今度は雨が降りそうな空模様になってきた。その中、グループの一部は東京タワーへ移動。時差ぼけと午前中の暑さで調子が悪くなった人たちはここからホテルに戻った。(下の写真:東京タワー150mの展望台にて)

床の一部がガラス張りになっていて、150m下の地上が見える。そのガラスの上に立つと足先から胸の辺りまでゾワゾワッと震えるような感覚が走る。このスリル満点の東京タワーは楽しかった!

英国大使館、小学校訪問(3日目)

2009年05月22日 | Weblog
午前中は東京にある英国大使館を訪問し、庭で大使夫妻とお茶を飲みながらひと時を過ごした。英国大使館というと、2004年に日本からイギリスへ引っ越す前に配偶者ビザを発行してもらいに行ったけれど、あの事務所のような建物の中に、こんな立派な庭や広間があるとは思いもしなかった。


午後は東京のある小学校を訪れ交流会に参加。イギリスからの客人のために扇や鈴を使った踊りを披露してくれたり、剣玉、コマ、折り紙、あやとりなどの日本の遊びを紹介してくれた。その後、イギリスやヘレン・ダグラスハウスに関する質問をしたり、自分たちの学校のことを教えてくれたりした。
今どきの子供はスレてる子が多いなんて勝手に想像していたけど、この学校のみんなは障害のある人達を見ても物怖じせず積極的に話しかけてくる、本当に素直で前向きな子達ばかりだった。


聖路加病院での交流会、皇后陛下との再会、シンポジウム (2日目)

2009年05月21日 | Weblog
日本の2日目。

午前中は東京都にある聖路加病院で病気や障害を抱える青少年との交流会に参加。
イギリスからのお客様に日本の文化を紹介しようという意図もあって、能楽の演奏や和菓子とお抹茶によるお茶会がもたれた。その後、そこに集まった日英の青少年との和やかな交流が行われ、龍もさやかちゃんという女の子とお友達になった。


そしてその日の龍さんの任務はこの交流会に参加される皇后陛下をシスター・フランシスやヘレン&ダグラスハウスのCEOたちと一緒に玄関先でお迎えすること。が、龍さんにはいつも番狂わせが付き物なのか、そろそろ玄関先へ移動しましょうという頃になって急に龍がグジュグジュと言い始めた。陛下ご登場まであと10分間。なんとか機嫌を直そうとあれこれ試したけど、いつものニコニコ龍には戻らず、泣き顔のままの再会となってしまった
でもさすがは美智子様。カメラのフラッシュがパシャパシャと光っているのを見て、フラッシュが原因ではないかと気遣ってくださった。

今回のこうした一連の様子が翌日のフジテレビ(FNN)の「スピーク」という番組で紹介された。ご興味がある方は、こちらをご覧下さい。(イギリスの方は‘Windows Media Player'の‘Low'を選ぶ必要があるかもしれません。ところでちょっとこの映像を見て、自分の話し方を反省。やっぱり話し方教室に通わねば!)

交流会では皇后陛下が一人一人の子供たち(青少年)に丁寧に声をかけていかれ、その後、シスター・フランシスや今回の旅行の主催者の方とお話しをされるべく別室に行かれた。

皇后陛下が帰られた後、いよいよシンポジウムが開演。交流会の後、FNNの取材を受けていた私が少し遅れて会場入りすると、舞台では華麗なバイオリンとチェロ、ピアノの三重奏が始まっていた。その後、バイオリニストとピアニストでサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が演奏された。その演奏が本当に素晴らしく、そこからシンポジウムの終わりまで私の涙腺は緩みっぱなしだった。

かなり緊張するかと覚悟していた私のスピーチは、2連夜に渡る睡眠不足と先ほどの「ツィゴイネルワイゼン」、そしてスライド上映用に落とされた暗めの照明のため、意外と落ち着いてできた。

ヘレン&ダグラスハウスからの4人の講演者(創始者シスター・フランシス、CEOトム・ヒル、ダグラスハウス専属の看護士レイチェル・グリフィス、そして私)の話の後、来場者の方の質問やコメントを受けたのだが、中には聞いていて胸を打たれるような話もあった。たまたまオックスフォードに引越し、たまたまヘレン・ハウスと出会った龍一は幸せ者であることを痛感し、日本にこんなにも「子供たちのホスピス」を必要としている人たちがいるんだと、改めてこのシンポジウムの意義を悟った。(写真はシンポジウム終了後の控え室にてHさんと。Hさま、お写真載せちゃいました、ごめんなさーい。)


今回のシンポジウムやヘレン&ダグラスハウスからの訪問者のことはいろいろメディアで取り上げられているようだ。こうした報道が日本の子供たちのホスピス創立につながることを私も願わずにいられない。