四鷺だより

お騒がせ一家のOX生活記

祈り

2014年04月20日 | Weblog
韓国の旅客船沈没事故のニュースがこちらでも流れています。
亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、今まだ生きている方が少しでも早く救助されることを願っています。

船長や乗組員の記事を読んで人間の生き様について深く考えさせられてもいます。。
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ストーンヘンジ

2014年04月14日 | Weblog
子供達のホリデー中にマーク父さんが家にいる、というこの機会を最大限に活かすべく、ストラッドフォード・アポン・エイボンの翌日もまたみんなで出かけた(笑)。

この日はストーンヘンジ。ストーンヘンジの巨石群のすぐ近くに立っていた資料館が取り壊され、昨年 2.5kmほど離れた所に新しい資料館がオープンしたため、マークがずっと見に行きたがっていた。

新しい資料館は木を多く取り入れた建物で資料館の隣にカフェも併設されていた。大きなスクリーンを使ったり、ビジュアルに訴える展示がしてあったりして、ストーンヘンジの歴史的・文化的な重要さを分かりやすく説明してあった。


ストーンヘンジは恐らくこんな感じだったのだろう、と再現したのが ↓ これだが、


実は円の中心の巨石群が配置される千年ほど前、紀元前3千年頃には既にこの周りの円の部分ができていたそうだ。

そこから数えると、このストーンヘンジは、エジプトはギザの大ピラミッドよりも古いことになるらしい!知らなかった! なんか、なに気にすごいぞ、イギリス。
この円の溝からは人骨を含む多くの埋蔵物が発掘されたそうだ。

でも1740年にストーンヘンジの正確な見取り図が作られるまでに、巨石の多くが建材用にこの場から持ち去られたため、今残っているのは↓これだけだそうだ。無残・・。


資料館の後は、いよいよ実物のストーンヘンジへ。歩いて行く人もあれば、↓こんなシャトルバスが出ているので、それに乗って移動する人もある。


私たちは行きは、半分シャトルバス、もう半分を歩いた。ストーンヘンジに着くまでになだらかな小山が所々に見られる。

これは日本の古墳みたいなもので、紀元前2500年から紀元前1500年に作られたものらしい。そんなに古い物が観光客にまったく解放されていて、小山(古墳)の頂上に座って辺りを眺めたり、うちの次男坊に至っては不届きにもおやつを食べたり水を飲んだりしていた




巨石群に到着。やっぱお約束の写真、パチリ。オーディオガイドを貸してくれるので、それを聞きながら石の周りをぐるりと回る。


いろいろと研究がされているけれど、これが何のために作られたのか、どうやって作られたのか、その頃ここにどんな人たちが住んでいたのか、そういったことの正しい答えはまだ誰にも分らない。それゆえに人を惹きつけてやまないんだろうな。

巨石の周りはだだっ広い平野で羊たちがのんびり草をはんでいる


そうそう、20年ほど前に私が初めてここへ来た時はこんな仕切りとかがなくて、誰でも石を触れたんだよね。石と羊に囲まれてピクニックしたのを覚えている。
でもここでもやっぱり心ない観光客が石に落書きしたり、名前を刻んだりして、結局、文化財保護の観点から、仕切りが取り入れられたそうだ。

太陽はさんさんと輝いていたけれど、風が強くて肌寒かった。帰りはシャトルバスで資料館まで帰り、カフェでお茶♪。今日はここまで。さあ家に帰ろう。

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ストラッドフォード・アポン・エイボン

2014年04月13日 | Weblog
4月の第2週から子供達の学校がイースター・ホリデーに入っていて2週間のお休みとなっている。今年は久しぶりに子供たちの学校の休みにマークが私たちと一緒にいるので、前から私が行きたがっていたシェークスピア生誕の地、ストラッドフォード・アポン・エイボンへ行って来た。

まずはシェークスピアが生まれた家。隣にシェークスピア・センターという博物館ができていて、そこから入場し、生家へ入って行くようになっていた。センターと生家を結ぶ通路にはシェークスピアの作品が漫画で描かれた展示もあった。

ちょうど健が学校でシェークスピアの『真夏の夜の夢』をやっているらしく、その展示には興味深く見入っていた。

中庭では女優と俳優が観光客も巻き込みながらシェークスピアの劇をやっていた。


生家の中は写真撮影禁止だったので写真がないが、当時の衣装を来たスタッフが各部屋でシェークスピアがこの家で育っていた頃のエピソードを披露してくれて、生家の訪問をより興味深いものにしてくれた。中でも印象に残っているのは、当時、男児の生存率が低かった理由を「妖精たちが男の子好きで、男の子を『向こうの世界』に連れて行ってしまうからだ」と真剣に信じていた人々が男児がある程度大きくなるまでは女の子の服を着せていた、というエピソード。シェークスピアの時代は人と精霊たちが共存した世界だったようだ。

また日本と同じでイギリスの中世の建物や家具を見ると、昔の人が今と比べてかなり小柄であったことが分かる。食生活の変化で身長が大幅に伸びたのは洋の東西を問わず、みたいだ。

バースプレイスを出るとみんなお腹がペコペコだったので、ストラッドフォードに現存する最古のパブ The Garrick Inn でお昼をとった。14世紀からずっと続いているらしい。




中はこんな感じ。


ここで食べたビーフがしっとりとしていて、まだピンクの部分も残っていてめちゃくちゃおいしかった! こんなおいしいローストビーフは初めてかも。


健が食べたチキンもジューシーでおいしかったそうだ。


健が頼んだデザートもおいしそうだったよー。ちょっと味見したらめちゃくちゃリッチ。でもカスタードがかなり甘さ控えめなので一緒に食べるとちょうどいい感じ。


私たちが入った時は団体客が去ったばかりでまだ空席があったけれど、私たちが食べ始める頃には満席で、スタッフが待ち客に他のレストランへ行くよう勧めていた。この味とボリュームで、値段がこれまた良心的!またストラッドフォードに来た時には絶対ここに来よう。

デザートを待っている時の健(笑)。


お腹がいっぱいになった後は、ロンドンで成功したシェークスピアがまたストラッドフォードに帰ってから死ぬまで住んでいた 「ナッシュの家とニュープレイス」を訪れた。

元々の建物はシェークスピアの没後、何人目かの所有者の時に取り壊された。亡きシェークスピアが余生を過ごしたということで当時(18世紀)すでに有名だったその建物を前知識なしに購入したこのオーナー。マナーの悪い観光客が塀越しに庭の木を折り取ったり、時には塀を超えて敷地に入ってくるのに腹を立てて建物を取り壊してしまったらしい。
いつの時代も観光客のマナーの悪さというのは同じなんだな(苦笑)。でもいくらそのマナーの悪さにへき易したからって歴史的に重要な建築物を潰してしまわなくても・・・。きっと後世のシェークスピア研究家にかなり恨まれてるだろうな、このオーナー。
今あるのは規模を縮小して再建されたものだ。


ちょうど春のよい時期に訪れたようで庭に咲き乱れる花がすばらしかった!


その日の最後に訪れたのは現在シェークスピアが眠る教会。彼のお墓は教会の中の祭壇の近くに妻のアン・ハサウェイと隣同士で設置されていた。(あの女優アン・ハサウェイの名前はシェークスピアの妻から来ているらしい。知らんかった・・。)シェークスピアが18歳の時に結婚した8歳年上のアン。かなり急に決まった結婚らしく、今のできちゃった婚かそれに近いものがあったのではないかと言われているそうだ。彼がロンドンで名を上げている時もストラッドフォードに子供達と残っていたアン。シェークスピアにばかり注目して、ここまで来たが、彼の横で眠るアンのお墓を見ていたら、一体どんな人生を送った人なんだろうと思えてきた。


最後にカフェでお茶することにしたが、あのコスタもストラッドフォード・アポン・エイボン調にするとこうなるのね(笑)。


5つの博物館と最後の教会をまとめたチケットを購入したら「12カ月間有効。期間中は無料で入場可能」とあったので、この日に回れなかった所を見にまた来ようと思う。このチケットといい、あのパブといい、なんかコストパフォーマンス高いな、ストラッドフォード・アポン・エイボン♪。
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セザンヌ展

2014年04月12日 | Weblog
オックスフォード市内にあるアシュモリアン博物館でセザンヌと印象派の絵画展があったので家族で見に行った。
セザンヌの他にピサロ、ドガ、ゴーギャンなどの巨匠の絵もあり、ほんと久しぶりに絵画鑑賞なるものをした。独身の頃は日本でよく絵画展に行っていたが、子供ができてからはなかなか。。

私が初めてイギリスへ来た時にホームステイしたうちのホストマザーが「絵にも波長があって、絵のことが分からなくても、その波長を感じていい気持ちになったり感情を揺すぶられたりする」と言っていた。

健に本物の絵画をと思って計画したアシュモリアン行きだったが、当の本人は「博物館=退屈」という固定観念から絵に向き合おうともしない。仕方ないので健は放っておいて龍と2人で絵の横の解説を読みながら回っていたら、意外に龍が居眠りすることなくじっと絵を見てるんだよね。一つ一つの絵の波長を感じていたのかも。

美大卒のマークも「いい絵画展だった」と満足そうだった。健とのバランスを取りながらも、またみんなで絵を見に行こうと思った。
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募金活動

2014年04月06日 | Weblog
龍の学校が車椅子使用者も使える遊具を購入したいと2万ポンド(今のレートで約350万円)の募金活動を始めた。

こっちの募金活動は「私たちは頑張って○○(ちょっと労力や勇気がいることや、ちょっと変わったこと)をしますので、募金にご協力下さい」という形を取ることが多い。

龍の学校も近くの大手スーパーの協力を得て、母の日(こっちは3月にある)の直前に「プレゼントの包装をしますので、募金にご協力下さい」というのをやったし、その翌週には同じスーパーの入り口付近で「エクササイズバイクをがんばってこぎますので、募金にご協力下さい」というのをやった。

これまで龍の学校はどこかのチャリティ団体のために募金活動をすることはあったが、自分たちのために募金を募ることはほとんどなかった。なので私達も張り切って参加した。特にエクササイズバイクではマークだけでなく健も参加し、2台のエクササイズバイクで他の家族や子供達と一緒に1人30分ずつこぐというのをやった。

こんなことを言うと本当に失礼なのだが、そのスーパーの支店はどちらかというと高級住宅街とは逆の地域にあったので、みんなあまり募金には関心を持ってくれないような気もしていた。が、"この人は他人のことに関心なさそうだな" と思えるような人が快く募金に応じてくれたり、人によっては日本の千円札に相当する10ポンド札をポンと入れて行ってくれた。プレゼントの包装がうまくいかなくても、「いいよいいよ、it's for a good cause ([このお金が]人の役に立つのなら)」と笑って許してくれた。

この ”It's for a good cause” というフレーズは、東北大震災以来オックスフォード近辺在住の日本人が毎年行っている復興資金募金のチャリティイベントでもよく聞かれる。

いつもイギリス人のいい加減さにあきれたり腹を立てている私だが、困った人を助けようとする正義感みたいなものはみんなしっかり持ってるんだなと感心&感動した。ハートは熱いぞ、イギリス人♪。

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最近の龍 (動画)

2014年04月06日 | Weblog
先週、龍さんが学校を休んでいた日に撮った動画。
カメラの後ろの私にほのかに笑いかけてます



この日のお休みはちょっといわく付きなんだけど、それについてはまた別途触れようと思います。
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春のある日

2014年04月05日 | Weblog
気性が荒くて、知らない人にかみついたり、鋭い爪で引っかいたりするゆえ、「黒い暗殺者 (Black Assassin)」という異名をとるうちのチビ。

こうしてのどかな春の庭にちょこんと座っている姿からはそんなこと想像できないんだけどね。
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久々に・・

2014年04月03日 | Weblog
龍の車椅子が大きくなった。
すくすくと身長が伸びて、いろんな機材が小さくなっていたため、車も大きいのを手配、立つための補助機(立位台)も大きいのを学校が購入、車椅子用のケープも大きいのを作成。そして先日車椅子もサイズアップと相成った。

上の写真は Wheelchair Service という所にて車椅子を調節してもらっている最中の龍。


しかし!この Wheelchair Service を相手にした新しい車椅子までの道のりはおそろしく長かった!

去年の9月に「小さくなった」と判断され、Wheelchair Service から新しい車椅子の発注手続きが行われた。その3カ月後の12月に「新しい車椅子が来た。学校で受け渡すから」とのことで私も学校へ呼び出された。が、実際に行ってみると、Wheelchair Serviceの担当者に「新しい車椅子は明後日届くことになっているから今日は車椅子を渡せない。到着次第、受け渡しの日時を連絡する」と言われた。

はいー?!こちらは仕事を休んで来たんですけど。届いてないのが分かっているなら前日にでも連絡してくれればいいのに。

そしてその後1カ月ほどたったがWheelchair Serviceからは一向に連絡がない。こちらから電話してみたが、電話に出てきた人は龍の車椅子が到着したかどうか全く分からなかったし、注文がされたこと自体まったく知らなかった。「詳細を調べて折り返し連絡する」と言ったが、その後また数週間なんの音沙汰もなかった。次に電話をかけた時は留守電になっていた。

龍の学校のPT(理学療法士)の先生に相談すると彼女の方から「状況を連絡して」とメールを送ってくれた。が、なしのつぶて。いったい車椅子がWheelchair Serviceに届いているのかさえ分からない。そして2カ月ほど待ち続ける日が続いた。

もういくらなんでも車椅子が届いていてもいい頃だろうと2月半ばにまた私の方から電話をし、留守電にメッセージを残しておくと向こうから折り返し電話があった。
どうも車椅子は当初の予定通り12月末に届いていたらしく、○日に学校で引き渡すので私も学校に来るようにとのこと(また!)だった。この2カ月近く、ずっと車椅子が到着しているのに、向こうからは全く何の連絡もなかったのだ! 信じられん・・。

が、Wheelchair Serviceを相手のバトル(?)はここで終わらない。
指定されたアポの日は私の仕事日だったので休みを取った。当日の朝、アポの時間の30分前に、そろそろ学校に向けて家を出ようとしていると、学校から電話があり、「Wheelchair Serviceからのことづてで、学校では車椅子の組み立て・調整ができないので、後日Wheelchair Serviceのビルまで来てほしい。日時に関してはまた後日連絡しますとのことでした。」と言われた! こ、これで2回目だぞ、無駄に仕事を休まされたの! 学校の受付に言っても仕方がないと分かっていたが、思わず「なんでもっと早く連絡してくれないの。こちらはこのアポのために仕事を休んでるのに」と愚痴ってしまった。

そしてまたWheelchair Serviceからなんの連絡も来ない日が続き、こちらから電話をする→向こうから「また予約の日時を知らせます」との空約束がある → またこちらから「予約はいつになるんだ」と連絡する →やっとWheelchair Serviceへ車椅子を受け取りに行く日が決定、となった。 注文された頃から実に7カ月。。

組み立て、調整の方は2人がかりできっちりやってくれた。腕は悪くないんだよね。車椅子の技術屋さんたちだから、事務的なことが苦手ってことか・・? いやいや、受付の人も奥の事務の人もいるぞ。。

イギリスのいい加減さにはすっかり慣れたつもりでいたが、まだまだ奥が深かった(!?)。久々に怒ってしまったぞー。

(当日の組み立て・調整は「1時間ほどかかる」と言われていたが結局3時間かかり、Wheelchair Service から電話して健の空手の送迎を友達に頼んだり、龍のケアアシスタントの夕方の訪問をキャンセルしないといけなくなったことはこの際、深く触れずにいよう・・。)
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