牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王とキルケゴール

2010-12-24 00:57:13 | 日記
 本日はクリスマスイヴ・・・・・・・・・
 牛頭天王について考える時必ずと言っていいほどわたしの頭をかすめるのは、デンマークの思想家・クリスチャンキルケゴールです。宗教学的に見て牛頭天王とキルケゴールとは全く関係ありません。薬神牛頭天王は仏教の神様で、後に神道の神様スサノヲノミコトと習合するようになり、近世日本を代表する神様となります。
 キルケゴールは、ヨーロッパ近世のキリスト教世界を批判し、新たなキリスト教をめざしました。彼は「単独者」(ひとり・個人)として神の前に立ち、超越者(永遠の生命)になろうとしました。「単独者」という観念をもってきますと、キリスト教会はいらなくなります。彼のキリスト教は無教会派のキリスト教を生むことにもなりました。彼の「単独者」観念は、「個」を重視する「実存哲学」「実存主義」を生むことにもなりました。ヨーロッパの近代哲学・宗教学において、キルケゴールを無視することはできません。
 わたしはキルケゴールの最大の功績は、人間を「個(主観)」と「共(客観)」と「無」との三つに「心理分析」して、そこには「違い」のあることを認めたということです。この「違い=溝」は埋めることができないので、宗教心で「超越」しようとしたのです。ここが、マルクス主義や他の近代合理主義と大きく違うところです。
 わたしは心理関係の仕事に携わっていたことがあるのですが、神経症的症状の治療・心身症の治療など、心の病の治療に一番必要なのは、「個(個的行動)」「共(共同行動)」「無」のバランス感覚で、これはキルケゴールの「心理分析」のおかげだと思っています。そのキルケゴールと薬神牛頭天王とがどうしてわたしの場合結びつくのかというと、キルケゴールの「心理分析」が「精神の病の薬」だからです。20世紀の入って、キルケゴールの「心理分析」は「実存分析」「実存療法」をうむことになります。
 キルケゴールは大金持ちの家に生まれ、豪邸に住み、王族・貴族とつきあうこともできる身分でしたが、くる病でした。くる病が彼を「単独者」としての自覚を持たせるに至ったと考える学者がいます。
 牛頭天王は京都大学附属図書館蔵の『牛頭天王御縁起』によりますと、王家に生まれました。しかし、頭に赤い大きな角をもつ「おそろしい容姿」で、嫁にくる女性がいませんでした。このふたりが「治療」「薬」の役割をもつこととなります。一般に「障害」「異形」と言われる状態が、「治療」「薬」の役割をもつ可能性のあることについて、牛頭天王とキルケゴールは語ってくれているようにも思うのです。