一生

人生観と死生観

ノーベル賞の福井謙一の頭の中

2008-06-25 17:12:58 | 哲学
6月25日 晴れのち曇り
 今日ノーベル賞をもらった福井謙一夫人友栄さんに電話して、近頃のご著書の『ひたすら』を読んだこと、その一部に大変重要なことが記録されており、今度改訂される私の『化学者たちのセレンディピティー』に引用したいので、お許し願いたいことを話した。夫人は快諾された。
 その記録とは何か。福井先生が若い頃、化学反応の計算に熱中して、夜中に計算に次ぐ計算をしていた姿であった。メモ用紙の何十枚か何百枚か、机の上に積りに積もる毎日であった。ある時眠っていた夫人は夫に起こされた。「起きなさい。起きなさい」と寝ている彼女の布団の襟を小さく揺り動かす。何事かと起きてみると計算の最後の一枚を見せて、満面の笑みを浮かべて「これきれいだろう!きれいだろう?」と言うのだった。そこには紙幅一杯の長い式が、一段一段短くなり、ついには3センチほどの単純な式に収斂していた。
 この様なことが何回か繰り返されたある寒い冬の夜中、大きな声で彼女は呼ばれ、式を見せられて「きれいだろう!」と行ったりきたり。よほど嬉しいのだろう。これが福井のノーベル賞の仕事の始まりであったことを、夫人は感慨深く思い出す。
 以上のことは日本の化学史上の大事件がいかにひそやかに一人の化学者の頭脳でおこなわれていたかの目撃談であり、このような生々しいお話が日本では記録されたことがなかったのだ。天才の頭の中をのぞいてみたいと私は前に書いたことがあるが、間接的にせよ、この話は天才のそば近くいる人の貴重な証言である。天才は集中し、思考の中で苦闘する。しかしその思考が実った時、彼は無邪気に喜ぶのである。アルキメデスが真理を発見した時、見つけたぞ!と叫んで裸で外を走ったと言う故事を思い起こさせる。

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