一生

人生観と死生観

対話と哲学

2008-03-05 07:40:05 | 哲学
3月5日 
 西洋の哲学史をかじった旧制の高等学校時代、ターレスから始まった思弁哲学の概論に接していろいろな感想を持った。初期の哲学者は、よく言えば、世界観を持とうとして努力の結果、一定の見栄えある哲学的考察を提示することができた。悪く言えば、金持ちのご隠居または番頭にすべてを委ねる暇人の若旦那の、尽きることのない繰り言を、変わり者の取り巻きが記録して、何とか後世に残ることができたもの。いずれにしても多くは一方的な演説であった。時代を下るにつれ、相手の存在を意識した哲学が出てくる。対話的要素は哲学となり、弁証法を生み出した。
ヘーゲルやマルクスが哲学史に残した大きな功績だと思った。しかし二十歳やそこらの若者に人間の思想の深みがしっかりつかめるはずもなく、私の哲学の学習は頭打ちとなりそこで終わった。
 人生でいろいろな経験をする、多くの人との対話は必要だし、それによって自分の知識も磨かれ、深みが増してくる。当然のことながら他人の意見に流されるだけではいけない。対話を通じた真理性への追究は生涯かけて行いたいものだ。これはできるだけやさしい言葉で。

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