一生

人生観と死生観

やさしくやさしく、悔恨するものへ

2008-03-04 15:02:17 | 歴史
3月4日 晴れ
 こんなタイトルをつければ、おや牧師さんか、特殊な学校の先生のブログかと思うだろう。しかし歴史のカテゴリーに入れてある。疑問はますます深まるだろう。
 人間の歴史、本当は悔恨のまったくない人などまずないだろう。あの時ああすればよかった、こうすればよかった、はほとんどすべての人につきまとう。人は悔恨の動物であるといったら、少し過激すぎるかもしれない。しかしそれほど人に後悔が取り付きやすいということである。
 自然科学でさえもその発展の歴史を見れば、成功者の陰に無数の成功しなかった人がいる。あと一息で成功するはずだったという嘆きも聞こえる。そういう後悔とも自己反省ともつかぬ文言をいちいち相手にしていたらきりがないというので、普通は問題にされていない。
 ただ私が関わっている小川正孝のニッポニウムの件はあまりにも小川が気の毒だ。彼はあれほど苦労してこの新元素を発見したのに、周期表に入れる段階でその位置をわずかに誤った。不運もあった。彼の見通しの至らない点もあった。それは彼が自らを省みて一番よく分かっていただろうと思う。しかし彼はサムライの子、
言い訳をすることを恥じた。ニッポニウムのミステリーはこうして生じ、長いこと解けなかった。
 私はだから言う。悔恨の状態にある人をさらに鞭打つな。サムライの誇りをあえて傷つけるなと。
(このことは他の場合にも通用するかもしれないが、ここまでにしておく)

最新の画像もっと見る