10月4日 雨
驚いたことに昼からのTVで「徹子の部屋」に日野原重明氏が登場した。99歳の誕生日にあわせたもののようだ。元気な様子がよく見て取れた。いのちの授業で彼は子どもたちに、大人になったら他人のために生きることを力説された。多くの人は、仕事をするのは社会的に意味があるからやっている、そこで成功すればつまりは他人の役に立っている、それで十分だ、と考える。日野原流の生き方は疲れるだけだ、特別に使命を感じた人だけがやればよい、とも考える。日本人の平均的常識はそうであろう。それは日本の社会の活力のなさを反映していて、いつもアメリカやヨーロッパの後追いをする原因になっている。
さて表題の私の経済学だがもちろん専門家でないものとして素朴な疑問や、浅い経済観をぶつけるに止まるだろうことを承知の上、少しばかり綴ってみることにする。経済学の祖といわれるアダム・スミスは見えざる神の手を考えていたらしい。この手が経済の流れを調整するので、この手に任せて自由な経済活動を進めることを推奨するということらしい。計画経済で厳格にやってみてもうまくゆかないのは、20世紀の共産主義の経験で明らかになったところだ。しかし市場経済に任せると変動が烈しくしばしば恐慌が生じる。このときは政府の介入は必要だがそれは限度がある。政府は神ではないからである。このときの神はスミスが思ったほど介入することがないようだ。
考えるに、生産、流通など経済活動は結局人の役に立つ、つまり食べられ、使われ、人を豊かにするためにある。
日本の農村ではかって食糧を生産し、衣類を調達し、時に住宅を建て替える程度でこと足りた。けれども子どもが増え、成人すると、余った子供は故郷を出なければどうにもならなかった。生産規模が小さい農村社会ではすべての人を食べさせ、生かして行く事は出来なかったからである。故郷を出て都会に出るとそこでは別のシステムが機能していた。文明社会としての種々の職業が可能になり、政治体制や商業体制、娯楽システムなどに関わることができた。田舎から出たものは下積みからでも努力すればある程度の出世はできた。そして都会の人々も人口増加に直面するとますます虚業の需要が高くなる。失業者がないように何でも良いから仕事を考える。グローバル社会というあまりわけの分からない存在におどらされる。起業家ベンチャーの必要が叫ばれる。裏社会では苦し紛れに年寄りを騙すシステムを構築するものもあらわれる。有名な振り込め詐欺は老人が対象だった。
経済はお金に還元することができる。これは経済学の絶妙な手段だ。しかしお金の末端に人がぶら下がる。どうしても貧富の差は生じやすい。公平にと努めても完全は得られない。菅首相の言う最少不幸社会とは努力しますが、完全ではないですよということだろう。どうも深い理念が感じられる言葉ではない。もっと勉強してもらいたいものだ。
驚いたことに昼からのTVで「徹子の部屋」に日野原重明氏が登場した。99歳の誕生日にあわせたもののようだ。元気な様子がよく見て取れた。いのちの授業で彼は子どもたちに、大人になったら他人のために生きることを力説された。多くの人は、仕事をするのは社会的に意味があるからやっている、そこで成功すればつまりは他人の役に立っている、それで十分だ、と考える。日野原流の生き方は疲れるだけだ、特別に使命を感じた人だけがやればよい、とも考える。日本人の平均的常識はそうであろう。それは日本の社会の活力のなさを反映していて、いつもアメリカやヨーロッパの後追いをする原因になっている。
さて表題の私の経済学だがもちろん専門家でないものとして素朴な疑問や、浅い経済観をぶつけるに止まるだろうことを承知の上、少しばかり綴ってみることにする。経済学の祖といわれるアダム・スミスは見えざる神の手を考えていたらしい。この手が経済の流れを調整するので、この手に任せて自由な経済活動を進めることを推奨するということらしい。計画経済で厳格にやってみてもうまくゆかないのは、20世紀の共産主義の経験で明らかになったところだ。しかし市場経済に任せると変動が烈しくしばしば恐慌が生じる。このときは政府の介入は必要だがそれは限度がある。政府は神ではないからである。このときの神はスミスが思ったほど介入することがないようだ。
考えるに、生産、流通など経済活動は結局人の役に立つ、つまり食べられ、使われ、人を豊かにするためにある。
日本の農村ではかって食糧を生産し、衣類を調達し、時に住宅を建て替える程度でこと足りた。けれども子どもが増え、成人すると、余った子供は故郷を出なければどうにもならなかった。生産規模が小さい農村社会ではすべての人を食べさせ、生かして行く事は出来なかったからである。故郷を出て都会に出るとそこでは別のシステムが機能していた。文明社会としての種々の職業が可能になり、政治体制や商業体制、娯楽システムなどに関わることができた。田舎から出たものは下積みからでも努力すればある程度の出世はできた。そして都会の人々も人口増加に直面するとますます虚業の需要が高くなる。失業者がないように何でも良いから仕事を考える。グローバル社会というあまりわけの分からない存在におどらされる。起業家ベンチャーの必要が叫ばれる。裏社会では苦し紛れに年寄りを騙すシステムを構築するものもあらわれる。有名な振り込め詐欺は老人が対象だった。
経済はお金に還元することができる。これは経済学の絶妙な手段だ。しかしお金の末端に人がぶら下がる。どうしても貧富の差は生じやすい。公平にと努めても完全は得られない。菅首相の言う最少不幸社会とは努力しますが、完全ではないですよということだろう。どうも深い理念が感じられる言葉ではない。もっと勉強してもらいたいものだ。