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一生

人生観と死生観

顔、その中に何か

2010-08-22 13:59:10 | 生活
8月22日 晴れ
 この頃少し悟りが出来たか、あまり難しいことをブログには書かない。書いても見る人もいないし、書くためにない知恵を搾り出す努力が馬鹿らしくなった。
 日曜日ののど自慢の番組みは時たま見る。鐘三つ鳴らす人を当てるのだ。たいていはあたる。たまにはこれはプロになる素質があると思うような人もいる。雰囲気が庶民的なので気取りもいらない。地域おこしの行事と思えばよいのだ。
 今日は鳥取県三朝町だった。ゲゲゲの女房のふるさとに近い。私は前から日本人の顔分類に興味がある言っているが、その積りで見ると出演者の顔を見るだけでも面白い。出雲に近い日本海側の町で、温泉で有名なところだ。やはり多いのはヤマタイ顔だ。音楽指揮者の小沢征爾氏や建築家の安藤忠雄氏などの系統の顔だ。そして恵比須顔もある。小柄でスマートな顔をしている。またツングース的な顔もあるようだし、中国的な顔、モンゴル顔、いろいろな型が混じり合っている。これが日本人の顔というものだ。水木茂はツングース顔、恵比須に近い系統だが、庶民的。奥さんはおかめ顔で中国朝鮮半島からやってきたものの子孫の血がはいっているかも知れない。勝手な想像をしているとまったく楽しい。
 要するに顔の中にはその人のDNAを示すものがあるのだ。

夏草や茂れる庭の

2010-08-21 09:28:05 | 生活
8月21日 薄曇のち晴れ
 早暁発汗と動悸で目が覚めた。インスリンの効き過ぎによる低血糖だった。測定値は34、私の場合低血糖のはじめは目がかすむことで前兆が分かる。ブドウ糖、牛乳を補給してその後は何ともなかった。
 生活者としての私は家内から見るとあまり役に立たないゴロタ石のようなものらしく、いらいらしていたようだが、近頃は本人も体調が本調子でないので小言も少ない。私も前庭の草の茂りを気にしていたが、連日の暑さで働けなかった。熱中症になる恐れがあり、現に3日ほど前には頭が急にくらくらして、すぐ横になり、30分か1時間後に回復した。水分補給はこまめにやっている積りだが、この猛暑では老齢者に何が起こるかわからない。そこで少し涼しい今朝やっと前庭と裏庭の雑草の茂りで目立つものだけむしり取った。その間20か30分でたちまち蚊と蚋の襲撃するところとなった。腕には小さな腫れがポツリポツリ。こんな暑さでは風流も成り立たないようだ。

月遅れ盂蘭盆会

2010-08-12 11:16:13 | 生活
8月12日 晴れ後?
 台風は日本海上にあり、これから北東北に向かうらしい。嵐の前の静けさ。
 お盆の帰省ラッシュで高速道路は大変な混雑のようだが、私どもは今は静かに家で過ごす。幼いときにお盆の行事は必ず父の故郷で祖母と共に過ごすのが、私たち母子家庭となった一家5人の慣わしであった。わが家は父方が冒険心のある家系で、祖父は新潟市で明治時代に証券会社を開き、東京としょっちゅう往復して手広く業務を展開していたよし。私の父はアメリカから帰国後は茨城県でアメリカ式の農場を開き、東京人に高級野菜や果物など供給する計画で走り出した。祖父は浮き沈みの多い時代を乗り切ったそうだが、大変だったときもあって祖母ははらはらしながら生活した。父は志半ばで病気になり、療養の後茨城でなくなった。祖母は新潟近郊の田舎の小地主として土地を後生大事に守っていた。けちけちばあさんだったが、今ではそのことも理解できる。母はなに不自由のない暮らしだったのが一変した。子どもの教育のためといって新潟市に出てつましい暮らしをしながら5人の子どもを必死で育てた。父の遺産で当面は暮らせる程度の経済は可能であった。そんな訳で夏休みにはお盆の頃に必ず田舎へ帰ったのだ。竹やぶの中の古い家はお世辞にも立派といえなかった。藪蚊がすごかった。夜お墓参りにゆくときに提灯に灯をともして細い田舎道を通る。道端の田んぼには蛍が飛んでいた。そして墓地に着くとお墓にろうそくの火をともしてお参りする。そんな光景も思い出される。古い、古い、記憶の果ての光景のようだ。70年も昔のことになった。今ではすっかり様変わりの世の中になった。こんなことも今の時期には語りたくなる。

平凡と非凡

2010-08-11 09:36:27 | 生活
8月11日 晴れ後?
 台風が近付いているそうで、お天気はどうなるか分からない。しかしリンゴが落ちるようなひどい荒れにならないことを祈るのみ。
 近頃NHKの朝ドラを見ることが習慣になった。怪奇漫画家の水木茂の夫人を主題にした「ゲゲゲの女房」が面白いから見ているのだが、私はいくらか平凡になったと言えるのかも知れない。そういえば水木茂は非凡な人物である。漫画に打ち込む姿勢が凡人とはまったく違う。それを見ている夫人はどこにでもいそうな平凡な親しめる人だが、夫を尊敬している点で幸せな家庭を築いている。昔風の夫唱婦随が懐かしささえ呼び起こす。NHKもこんな企画を成功させて味なことをやるものだ。しかし貧乏時代の水木家に親しみと同情を持っていた私も、漫画の当たりをとり、有名になってお金も潤沢に入るようになってからの水木家には、どうも一寸違和感を覚えるようになった。貧乏して努力をしている姿が一番よいが、努力が報いられているところはお釣りのようなものと思えばよいか。

土曜日の夢に

2010-07-31 14:45:22 | 生活
7月31日 晴れ後曇り
 7月最後の日、天気予報に反して午前には日射しがあった。洗濯は朝のうちに済ませ、静かに読書したいと思っていると、岩波の『図書』8月号が配達された。岩波系の文章は硬いので、しばしば文春系の読者に敬遠されるが、内容は濃い。私は予防接種改革運動の過程では文春も参考としていた。文春は常識的で、文が読みやすい特色がある。両者のよいところをとるのが最善のやり方と思い、作文修行をしたのである。その結果読売新聞記者であった谷川俊氏が私を日本エッセイストクラブ会員に推薦してくれたのである。
 私の『夕映えの杜に』の本に読者から感想が届いた。中味は私流に適当に硬派と常識派を取り混ぜた観があるので、それに対応するものであった。反響と言うものは著者にとって参考になりありがたいものである。この人もまた障害をもつ子どものことで苦労している。社会的サービスとしての禁酒運動や、世界連邦運動が触れてあって意外であった。
 土曜日は心休まる日であって、この日の夢にいろいろな人間模様を織り込みたいものだ。

疲労の蓄積

2010-07-25 21:26:02 | 生活
7月25日 晴れ後雨
 暑い日であった。今日の仙台でのいのちの尊厳を考える会の役員会はクーラーのない部屋でおこなわれ、もう頭がボーとして十分な議論などできない。役員が気を利かして早めに終った。
 会議を終っていわきに戻る。足の筋肉のこむらがえりは昨夜から起こり、一たんは治ったのだが、重いかばんを持っていわきに帰る途中でまた始まって、閉口した。これはわが家の遺伝的持病らしいが困ったものだ。死に至る病と言うようなものでないが、厄介だ。
 疲労が蓄積するとものの考え方が、消極的になりやすい。こんな時は早く休むに限る。休息に華を求めよ。甘美な休息と言うもの、その極みは人生最後の時かもしれない。

暑さは盛り

2010-07-21 20:05:03 | 生活
7月21日 晴れ
 いわきでも30度を越え真夏日になった。いやはや、だるいことだるいこと。いわきは寒暖の差が少ないことで日本有数の都市と言われるが、このいわきでさえもこの始末。
 大陸の東側では、大陸の西側よりも気候がひどいようだ。同じ緯度で比べれば日本はヨーロッパより気候が悪い。暑いときはより暑く、寒いときはより寒いという。海流の関係もあろう。
 暑いと思考力が衰える。脳内神経回路がおかしくなっているらしく、ぼんやりして、いろんなことを同時にやる気力も能力もない。
 こんな時は早く寝るに限る。眠りは人に優しく、母が子をあやすがごとく、天使が傷ついた人を慰めるごとくやってくる。

妻の入院

2010-07-20 17:44:19 | 生活
7月20日 晴れ
 朝から晴れて暑い。家内は奇妙な発熱が収まらず、近所の病院に見てもらうことにした。医師の息子が同行し、病院のかかりつけの医師に見てもらったところ、入院を勧められ、そのまま入院することになった。1週間も南国高知に旅行してきたあと、疲れが出て、ベッドに横になる。それで疲れは回復するかと思ったら烈しい発熱があり、自宅で息子に診てもらったが、抗生物質を呑んでも一時的な効果しかなく、熱はまた上がってくという繰り返しであった。運悪くどこの病院も連休で検査も出来ない。休み明けの今朝早速病院に行った次第。
 入院となったら本人気が張ってかえってしっかりしてきた。病室には点滴をしたまま入るという異例の姿であったが、息子が医師仲間の病院の院長に頼んで了解を取ったことからこんなことが出来たのである。家内は自宅にいるときは最悪の事態も含めいろいろなことを考えていたようで、私にふと漏らした言葉は、高知まで行けて、俳句の先生や仲間に親切にされ、このまま死んでも幸せだと思っている。生涯の締めくくりに出した句集は大変好評だったよし。しかしまだ死んでもらっては私も困る。3日後に78歳の誕生日を迎えるところだ。元気を出し生きる意欲を盛り返してもらいたい。

海の日記念日

2010-07-19 16:42:42 | 生活
7月19日 晴れ時に曇り
 海の日の記念日というが、7月20日に定められたものを週末の休みに合わせて、連続するようにした結果が現行のカレンダー・システムである。アメリカのHappy Monday 法案の真似と分かるやり方で、休みが続くといって子どもは喜び、大人もそれにつれて喜ぶ。しかしこの休みをなぜ記念したり、行事にしたりするその理由は遠のく。
 私が海をはじめて意識したのは新潟市で、日本海を眺めたときであった。砂山、つまり砂丘は当時砂防林の守り神のように大きく、立派であった。この砂丘から海岸にかけて砂浜が広がっていた。今は砂浜の広がりも砂丘も侵食されて、昔の面影はなくなっているそうだ。
夏の日本海は割と穏やかで、海水浴に興ずることが出来た。といっても私が泳げるようになったのは中学生になってからのことであった。海は遠浅のところと深みが岸に迫っていると頃があり、後者は危険であった。小学生で溺れる子どもはひと夏に何人かでたものである。一度そのような子が人工呼吸されている姿を見たことがあるが、結局助からなかったと聞いた。日本海に沈む夕日は美しい見ものであった。佐渡の山並みにかかって日没となり、夕暮は徐々に濃くなってゆく。海岸で遊んでいた子どもたちは砂山を越え、防風林として植えられた松林を通り越してそれぞれの家に帰る。夏の日本海は子どもたちのパラダイスとなっていた。思い出は懐かしい色合いを帯びて脳裡に蘇えるのだ。太平洋に面したいわきとは違った特色がある。

薬の効果について

2010-06-26 16:26:09 | 生活
6月26日 晴れ後曇り
 この前「病院にて」という題で私の手足の皮膚の持病である掌せき膿疱症の治療について書いた。一週間経ったので経過を記してみる。
 医師は皮が剥ける、唇が荒れるなどの薬の副作用を話した。きつい薬でなければ効かないだろうとは思うが、歳でもあり、あまり強い副作用が起こると困る、とくに胃腸の弱い私は下痢など起こしては困ると思っていた。
 病状は明らかに変化があった。まず軽い病変があった右腕の下部湿疹が明らかに治り始め、かさぶたが完全に取れた。左の掌(たなごころ)内側の炎症がおさまり、右の掌の角化剥離部分が取れて滑らかになった。3-4日以内が軽快期だった。
 ところがそのあと副作用のためか、左手の甲の皮膚のがしもやけ状に膨れ上がる状況が出現した。痛みもある。ステロイド剤を中止し、ワセリンとサトウザルベ塗布に切り替えることにした。
 胃腸の副作用は今のところない。唇は乾く。しかしひび割れるほどではない。1週間に1回しかこない医師に相談もできず、小児科医の息子に一般常識として治療のやり方を尋ねることにする。なかなか思うに任せぬ療養生活である。