嵐の世 2007-10-26 22:26:50 | 生活 10月26日 雨 東京より帰る。一時間寝る。病院へ定期の検診。 用事多く、力不足。それでもやらねばならぬことはやる。 気象の情報は南からの台風の接近を伝える。嵐近く、この世の平安は束の間のものと知る。しかし挫けるなかれ。試練の後の栄光を望み見るのだ。
大野正男弁護士の追悼 2007-10-25 12:43:06 | 生活 10月25日 一昨日NHKの「知るは楽しみ」番組のための取材協力で東北大学史料館や金研へゆき、また夜西勝山の自宅でインタビューを受けた。上出来とは言い難い受け答えであったが、もうこんなことで悩まない。ただ小川正孝顕彰が進むことを祈るばかりだ。昨日昼ごろいわきに戻る。 そして今日の午後、東京へ。大野正男前最高裁判所判事、われわれのワクチン禍訴訟の弁護団の知恵袋的存在だった先生の追悼の会に出席。先生は私の岩波新書「私憤から公憤へ」を読まれ、弁護団に加わることを決意された人だ。千人規模のワクチン禍被害者の恩人というべき人だ。吉原充が亡くなったあと、「この生命は人の光」の序文を書いて下さった。今感慨は尽きない。 宮城県の中央児童館にいのち像を設立するとき弁護士さんたちは多額のカンパをしてくださった。大野先生もその一人だった。今回児童館の廃止問題が起こるについてわれわれは本当に怒りを感じる。被害者たちに申し訳ないし、大野先生たちカンパして下さったかたがたにも申し訳ない。宮城県の方針を撤回させるべく全力をあげたい。
忙しさ心を亡ぼす 2007-10-21 21:35:11 | 生活 10月21日 仙台でNHKの取材・撮影に応ずることになり、忙しい上に、今日はいのちの尊厳を考える会十周年記念誌の3回目の校正が届いた。イヤハヤ多忙も多忙、頭が廻らない。
請願、署名運動 2007-10-20 10:28:21 | 生活 10月20日 晴れ 秋深まり行く。紅葉の美しさに心奪われ、もののあわれさをひたすらに覚える。日本人の私は季節の移ろいに敏感な詩情を持っている。 それはともかく、宮城県の中央児童館廃止問題は正念場を迎える。伊藤俊子さんたちの請願運動は宮城県だけの問題ではない。いのち像は千人規模の日本のワクチン禍の犠牲者にとって唯一の慰めのシンボルだ。そんなに大事なものをどうしようというのか。請願書の署名集めは県を超えてやる。行動は早く、そして広く。
ブログに種切れなし 2007-10-19 15:58:14 | 生活 10月19日 曇り ブログに種切れなしーまったくだ。ブログを日記と思えば種はいくらでもある。だからブログは便利なのだ。ブログを簡易哲学帖として使いたかったのが初期の頃、しかしこれは種切れになることが時々あるのは私ののような頭のよくない人間の常で、仕方がない。また歴史に興味をもって書きたいと思っても、研究不足でやはり途中で一休みとなる。そこで日記風の記録が出てくるーブログはなんて便利なんだろう。
大忙しの日々 2007-10-18 12:48:58 | 生活 10月18日 晴れ 10月15日、宮城県子ども家庭課長会見、いのちの尊厳を考える会メンバーとともに。理不尽な一方的通告は承服しかねることを言う。来年度は耐震上問題ないところは使用しても良いことに言質を取る。主幹が課長との仲を取り持ったかたちになる。そのあと河北新報社記者2人と会い、宮城県中央児童館の閉鎖問題を取り上げる。記事になるのはまだあとらしい。福祉と子ども育成を統合してしまえば、子ども育成にメリットがあるという県あるいは審議会(諮問委員会というのかも)の主張は不満に思う人も多い。宮城県は中央児童館の使命は終わったと主張するが、新しい設備は子どもの育成に専心するものではないようで、それが不満の主な原因のようだ。今社会病理的現象となっている子どものいじめ、不登校に対症療法的に対応することは必要であろうが、それだけでなく、その根っこのところにある子どもの健全育成をなおざりにすることはできない。児童館は過去においてジュニア・リーダーの育成ですぐれた実績を積んできた。そのリーダーたちの現在の活躍を私は身近に知っているだけに、児童館の使命が終わったという人の気が知れない。ボランテア精神に富んだ人々がとにかく老朽化した児童館を耐震補強してくれ、そしてそこで子どもの育成事業を実行したいといっている。3000万、4000万の経費は惜しんではいけないのではないか。ほっておいても危ないし、解体撤去には補修の倍の8000万円の経費がかかるというのだからなおさらのことだ。
孫との会話 2007-10-11 13:53:48 | 生活 10月11日 晴れのちうす曇り 試験期間が始まった。一昨日高熱を出した孫は元気になって試験を受けた。結果はまだ分からないが、最善の条件でなかったのだから良くなくても仕方がない。それよりも早く元気になることだ。 送迎の車で、彼と話す言葉。連休明けの日には「いやだな、また学校だ」とか、「心臓がどきどきするよ」とか言っている。でも帰りには友達と楽しそうに話しながら戻ってくる。適応力はあるのだ。
秋には 2007-10-10 09:40:14 | 生活 10月10日 晴れ この日以前は体育の日だったはず。今はお休みの日を増やすための便宜的な日取りで、私のような年寄はさっぱり覚えられない。 若いときの苦労は役に立つ、人格形成に有益である、と言われる。しかし年とってからの苦労は心身にこたえる。にもかかわらず年とりの知恵を働かせて、若いものの未来のために尽くさねばならぬ。 宮城県中央児童館の廃止問題で直面したのは、役人の事なかれ主義と政治家のビジョンのなさである。事なかれ主義の役人はミイラのごとし。やる気のない、生気のない彼らに付き合わねばならぬ民衆こそ不幸である。 この秋には私は自分に鞭打ってでも働く。子ども像ーいのち像のため、未来の子どものため。
宮城県中央児童館の閉鎖問題 2007-10-09 22:27:46 | 生活 10月9日 宮城県中央児童館閉鎖についての問題もう一度。まず前回10月8日のブログの訂正。去年県は「500万円かけて耐震補強した」は「耐震診断した」に訂正。したがってつずく3行は「予算無駄使いだ」まで削除。「しかし」を加え、「そのまま放置したら」につずく。 さてしも困ったことだ。私は児童館の裏庭一帯が実に美しい天下の名所だと思っている。現に仙台市の名所百選のひとつとしてガイドブックに載っている。そして ドイツの彫刻家イングリット・バウムゲルトナー女史制作のいのち像などいのち3点セットの芸術品がここにあり、いのち像に近寄るとオルゴールが鳴るようになっている。よく知られたウェルナーの「わらべは見たり」の曲だ。また大正期の童謡文学を記念するおてんとさんの詩碑3点がどっしりと座り、重みを加えている。そして日本最初の巨大遊具を用いたモデル遊園も見事だ。これらのものはいずれも文化財的価値が高いものばかりである。どうして見捨ててよかろうか。緑豊かな庭も愛好家にはたまらない魅力である。仙台市や宮城県のみでなく、日本各地から来る旅行者も感心している。ときたま訪れる外国からの旅行者が素晴らしいところだというではないか。これらの宝を県は放棄するのだろうか。あまりにも短慮と言うべきではなかろうか。経済や効率より心の問題。それを無視して子どもの育成や教育ができるはずがない。
いのち像の問題を真剣に 2007-10-08 02:38:36 | 生活 10月8日 仙台より帰る。昨日宮城県立美術館で伊藤俊子さんに会い、さらにいのちの尊厳を考える会役員会を西勝山の自宅で開く。宮城県が中央児童館を放棄する方針は確定的と知る。建物老朽化のため建物の使用さえ不可能とのこと。来年3月閉鎖を代表者に申し渡したのは事実だった。理由は耐震強度不足、来るべき宮城県の地震に耐えられない。去年500万円かけて耐震補強したが、その後のテストで不合格だったよし。これ以上予算もない。 待てよ、なんで500万ぽっちりの金で補強をやったのだ。そんな中途半端な金で補強しようとするから検査に不合格なのだ。予算無駄使いだ。そのまま放置したら危ないし、もう少し利用したい人もいる。建物廃止は反対だ。現にわれわれの会ではいのち像のオルゴールの制御装置は本館事務室の内部にあり、これが使えないと会そのものの死活に関わる大問題だ。本年9月23日の役員会で来年5月12日の行事開催を決めたのだ。われわれに何も知らせずに一方的に建物利用停止とは納得できない。耐震強度に不足のないところは使わせろ。予算はケチらずもっと真剣に補強しなさい。 いのち像はワクチン禍犠牲者のために建てられ、館長室に置かれたいのちのランタンには県立会いのもとに死亡者名簿も納められている。こんな大事なものを県はどうしようと言うか。いのち像のすぐそばにあってこその名簿なのだ。ランタンと一体になり、ランタンはいのち像と一体なのだ。建物閉鎖と言ってもわれわれの行き所のないような冷酷なやり方は止めて欲しい。 いのち像の行事は毎年5月に行われ、仙台だけでなく、全国から人が集まる。ワクチン禍そのものを二度と起こしてはならぬという社会的道義的決意の表明なのだ。われわれはあの児童館に居座るしかない。ほかに行きどころもないのだ。どうしてくれるのだ。宮城県の児童行政担当者よ。福祉との統合などと言う一見見栄えのよい政策の下に本当に困る人たちのいることを忘れているのではないですか。きめ細かい児童行政こそ必要なのではありませんか。