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一生

人生観と死生観

今年最後の月来る

2007-12-01 17:29:08 | 生活
12月1日 晴れ
 十周年記念誌『いのちの杜に歌声起こる』百部届いた(11月30日)。発送作業に入り大忙し。本はかなりよい出来だと思っている。宮城県中央児童館の問題未だ解決せず、中途半端、しかしよい結果が出せればよい。
 人生何事もおれがおれがと言っているうちは思うようにならないことも起こる。この問題はワクチン禍の子どもたちの魂のよりどころに関わる。必ずこのことを県当局に銘記してもらわねば。これが分からないようでは県政はの基本は無に等しい。

児童館はだれのもの?

2007-11-29 09:53:04 | 生活
11月29日 曇り
 11月もどん詰まり。寒い朝を迎えた。
 気がかりは児童館のこと。児童館廃止は暴挙としか思えないが、宮城県のその後の情報が入ってこない。県は行動を起す前に関係者によく諸般の事情を確かめておくべきなのだが、それをしないから間違った決定をしてしまうのだ。後から責め立てられても、もう決めたことだからと居直るのは本当にいけないことなのだ。児童館はだれのもの?民主主義の今の世の中、児童館は子どものもの、県民のものであり、県の役人が主人顔をするべきものでない。県民に選ばれた県知事でさえ勝手な判断をすることは許されない越権行為である。そこのところが分かっているのか?
知事が私どもによこした返事は形の上では丁寧だが、浅い知恵で事態を収めようとするわれわれにとって不本意なものだった。おそらく課長クラスの官僚機構が無理解なのだ。この機構の狂いをどうやって正すか。

モノローグ児童館

2007-11-27 10:53:18 | 生活
11月27日  曇り
 児童館についての夢のような物語。
「ボロだ、ボロだ、とおれを馬鹿にしないでもらいたい。中味こそ大切なんだ。
君たちはおれがまるでもう時代の先導者としての役割を終え、退場を待っている役者であるかのように見ている。君たちの見方は何か表面的で形式的だ。子どもの問題をさっぱり分かっていない、素人の見方だ。それが県の子ども行政を指導する役人の立場では県民が迷惑するのだ。
「おれが今までどんなことをやってきたか、思い出してもらいたい。たとえば小学高学年の子どもたちを泊り込みの研修で訓練し、キャンプ並みのバーべキュウで楽しませ、巨大遊具で遊ばせた。その思い出は当人たちにとってただの思い出でなんかない。今でも生きてはたらいている。その子どもたちが、いま、立派な社会人として積極的な生き方をしている姿は当時の児童館研修の大きな成果なんだ。
「今の時代の子どもの病理現象として、いじめ、登校拒否、きれて傷害、殺人などの犯罪にいたる。大変な問題に違いないが、これだけに目を奪われてはならない。
その根っこが大切だ。子どもの健全育成は合宿のような場を設け、共同生活をすることでずいぶん効果がある。そういった工夫を凝らしてもらいたい。そしてそれがてんでばらばらに行われている各地児童館の指標となる。」
 こんなことが明け方のころ私の頭に登場。夢なのか、うつつなのか境目が明らかでない。
 前にも少し触れたことがあるが 児童館(機能として)を福祉施設に統合しようというのは、かなり無理がある。機能重視の行政での見落としは、人間は機能ばかりで生きているのではないということ。人は心を持った存在だから機能の統合などで満足がいくわけではない。児童館は児童館として独立性がなければならぬ。子どもは正直。大人が真剣に、真正面から立ち向かなければ子どもは相手にしないだろう。

インフルエンザと濡れマスク

2007-11-21 10:20:46 | 生活
11月21日 晴れ
 晴れとはいうものの冬型。これからインフルエンザの季節だ。毎年の予防接種の掛け声大きく、その効果少なく、ワクチン学者の言い訳とこれにのるお役所の無責任変身ぶりに飽き飽きしている。
 ところが昨日スーパーマーケットで濡れマスクの新製品を見つけた。濡れマスクによって風邪予防というアイデアは歯科医の友人臼田篤伸氏創案のものだが、この製品はそれとは趣向が少し違うが、濡れた部分を含む点では一致する。臼田氏は特許を申請されなかったと思うが、新製品は発想を臼田氏に倣ったもののように思われる。
 私は早速それを買って試してみることにした。ものずきが成功するか、失敗に終わるか、この冬のお楽しみだ。

ああ児童館問題

2007-11-17 16:20:33 | 生活
11月17日 晴れのち曇り
 渡辺孝男さんからの便りで宮城県中央児童館の存続請願が11月16日付けの河北新報の記事になったことを知った。現在約1万5千の署名が集まったという。街頭署名活動もそのうちにやると書いてある。県当局にとってはかなりのショックではないか。それともこれに便乗してこの問題の政策転換により事態の収拾を図る方向へ行くか。いずれにしても早急に対応してもらいたい。
 県の態度は行政機能重視で児童館活動の実質の評価が落ちているようだ。今まで積み上げてきたジュニア・リーダー育成の宮城方式などすぐれたものを温存し、さらに発展させることだ。場所を増田地区に移すことがよいとは到底思われない。歴史的な観点も重要だ。おてんとさんの碑やいのち像の彫刻を捨て去るごとき態度はまったくいただけない。「機能重視」もここまで来ると「馬鹿のひとつおぼえ」のようで弊害の方が大きくてあきれ果てる。児童館は児童館らしく子どもに分かりやすいことが第一だ。大人の論理で機能、機能というなかれ。子どもに分からぬ機能など結局役に立たぬ。。
 子どもには愛情ーそれが児童館の中にあふれている。児童館とはそういう姿でなくてはならない。そういう児童館であったこの宮城県中央児童館が、そうであり続けるように守ろうではないか。
 

侍とは

2007-11-11 15:01:53 | 生活
11月11日 雨
 11月11日は11が二つ重なる日。11は漢数字で士とかくから侍の日となる。侍は封建時代士農工商の4階級の最上階級だったが、とかく名と実は伴わぬものであった。経済的にみても下級武士は農民のうち庄屋などには豊かさが及ばぬ。
武士は威張っているだけで、それはうわべだけ、と言われることもあった。
 人を切ったり殺したりすることのできる武士が職業的になったのは日本歴史の中で平安時代頃からか。奈良時代の防人は農民からの徴発だった。
 侍のよさはある。忠誠心、単純明快を好む習性、卑怯を嫌う、などなど。武士道と言うものが確立して日本人は骨格が出来た。近頃はくずれるばかり、どこに骨があるのか分からない連中が増えてきた。そうは言ってもやはり日本は日本人で構成されているのだから、これからますます悪くならないようにみんなで努めなければならぬ。やっぱり教育、幼児教育の重要性に突き当たるのだ。

わが子の日に

2007-11-09 15:13:58 | 生活
11月9日 穏やかな日 晴れ
 明け方こむら返りの癖が出て寝苦しかった。充の日。今から43年前のこの日、インフルエンザの予防接種により、充は烈しい副作用に見舞われ、そして遂に重度の心身障害をおう身となった。そのときから35年、彼はこの世にあって私たちの光となり、行く手を照らすたいまつのようであった。
 今、児童館の危機に際し、彼がかの国から送ってくるメッセージを聞き取ることが出来ますように。

茗荷の里

2007-11-07 12:10:00 | 生活
11月7日 晴れ
 変な表題で失礼。茗荷とは植物の名前だが、このものの独特なにおいが取り上げられたのだろう。物忘れの象徴となっているようだ。狂言にもある。
 さて物忘れの善し悪し。もちろん物忘れはしない方がよい。しかし一定の年齢を過ぎれば物忘れは必然的に起こってくる。アルツハイマーの前兆だといって騒がぬ方がよい。脳が老化して機能しなくなってくるのはだれにでもある人間の運命みたいなものだ。苦しいことを忘れさせる神様の恩恵かもしれない。
 ゴタゴタ書いたが、運転免許を更新することになって交番に届け出たけれど、新免許証はすぐには出来ないので、1ヶ月したらまた来なさいと言われていたのを忘れていた。交番から電話があって八っとした。忙しさに浸かってこっちの方を忘れていた。忙しくても肝心のことは冷静に、冷静に。

パソコンのテンプレート

2007-10-31 09:40:46 | 生活
10月31日 晴れ
 確か宗教改革記念の日。16世紀ドイツでルターが法王庁の免罪符問題を取り上げて糾弾した。命がけの行為だった。
 私は生涯かけていのちの問題を追及した。二男のワクチン禍からそれは始まった。そしてそれは次第に拡がる勢いを見せた。科学の方面ではニッポニウムの解明に発展した。社会問題となる中央児童館もそうだ。子どもの育成は天下国家の大事だ。
 新仙台歴史巡礼道の行事は仙台市片平地区の東北大学キャンパスと向山の宮城県中央児童館を結ぶ歴史散歩道を歩く主旨だったが、お年寄が参加しやすい車での移動に変更せざるをえなかった。
 片平の歴史はどうしても東北大学中心になる。初期の歴史は大正リベラリズム発祥の頃で面白い。初代の教授たちも個性的で魅力がある。私が真島利行の遺族に依頼して入手した百年前のヨーロッパ留学生たちの間で交わされた絵はがきのコレクションは新発見史料となった。これをパソコンでワープロしているうちに、奇妙なことにぶつかった。
 「拝啓」は今でも使われる書簡の文の冒頭の句。その「拝啓」と打つと自動的に「敬具」が表われる。これがテンプレートである。便利なようにプログラムが入っているのだ。
 しかし葉書などでは終わりの敬具はほとんど省略されていることが多いから,これは有りがた迷惑のテンプレートである。しかも設定した文字の大きさが勝手に小さくなったりするのは全くいただけない。
 テンプレートは形式主義のあらわれ。これはよいこともあるが弊害が多いと思うのは多分私一人ではあるまい。人様に勝手に形式を押し付け、親切顔をする。世の中にこんなことは案外多い。お役所のやり方などはこんなことがワンサとあるのではなかろうか。

嵐、嵐、嵐

2007-10-27 18:57:29 | 生活
10月27日 嵐は今
 台風20号接近。その中で急ぎのコピーにコンビニへ。
 書類が濡れないように、人間は濡れても仕方がない。
 お客は少なくニ三人。
 店員は暇そうにおしゃべりにはげむ。
 暢気な詩情をコピーしながら楽しんでいる私ー
 しかしホンとは忙しく
 児童館の補強工事、存続請願のためなのだ。