8月2日 曇り一時雨
昨日吉村孝雄氏が我が家を訪問され、2時間足らずいろいろの話をした。吉村氏は四国徳島のキリスト教伝道者である。障害者のための学校の教師として働いたが、使命を感じて学校を辞め、独立伝道者として立った立派な人物である。風貌はかって山陰米子で伝道した藤澤武義先生を思わせる。飾らず、驕らず、ひたすらキリストの福音のために尽くし、わき目をふらない熱心さは多くの無教会信徒の賞賛するところだ。この人はパソコンを駆使し、映像と音声を使いこなして、聖書の解き明かしにあたっている。
その中で医療事故で脊椎を損傷され、全身麻痺になった障害者の姿があった。裁判で争い、最高裁判所まで行って部分勝訴を得たとのことであった。彼は医師を恨み、病院を恨み、自分の人生を呪い、周りの健全な人々を羨み、あらゆることをマイナスにとる、そういう存在になってしまった。ある機会に吉村氏の聖書の話を聞き、キリストの救いを信じて、この人は一変した。人生は喜びとなった。イエスを信じる信仰が彼を救った。生も死もイエスにまかせ、かの世の栄光にあずかる幸いを望み、彼の顔は輝いた。
これは実話である。恨みは永遠のいのちによって止揚され、喜びがその人に満ちる。我が家の二男の充はそういう笑顔をもって多くの人に接していたことを思い出す。
昨日吉村孝雄氏が我が家を訪問され、2時間足らずいろいろの話をした。吉村氏は四国徳島のキリスト教伝道者である。障害者のための学校の教師として働いたが、使命を感じて学校を辞め、独立伝道者として立った立派な人物である。風貌はかって山陰米子で伝道した藤澤武義先生を思わせる。飾らず、驕らず、ひたすらキリストの福音のために尽くし、わき目をふらない熱心さは多くの無教会信徒の賞賛するところだ。この人はパソコンを駆使し、映像と音声を使いこなして、聖書の解き明かしにあたっている。
その中で医療事故で脊椎を損傷され、全身麻痺になった障害者の姿があった。裁判で争い、最高裁判所まで行って部分勝訴を得たとのことであった。彼は医師を恨み、病院を恨み、自分の人生を呪い、周りの健全な人々を羨み、あらゆることをマイナスにとる、そういう存在になってしまった。ある機会に吉村氏の聖書の話を聞き、キリストの救いを信じて、この人は一変した。人生は喜びとなった。イエスを信じる信仰が彼を救った。生も死もイエスにまかせ、かの世の栄光にあずかる幸いを望み、彼の顔は輝いた。
これは実話である。恨みは永遠のいのちによって止揚され、喜びがその人に満ちる。我が家の二男の充はそういう笑顔をもって多くの人に接していたことを思い出す。