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一生

人生観と死生観

恨みを越える喜び

2010-08-02 12:38:08 | 人生人間
8月2日 曇り一時雨
 昨日吉村孝雄氏が我が家を訪問され、2時間足らずいろいろの話をした。吉村氏は四国徳島のキリスト教伝道者である。障害者のための学校の教師として働いたが、使命を感じて学校を辞め、独立伝道者として立った立派な人物である。風貌はかって山陰米子で伝道した藤澤武義先生を思わせる。飾らず、驕らず、ひたすらキリストの福音のために尽くし、わき目をふらない熱心さは多くの無教会信徒の賞賛するところだ。この人はパソコンを駆使し、映像と音声を使いこなして、聖書の解き明かしにあたっている。
 その中で医療事故で脊椎を損傷され、全身麻痺になった障害者の姿があった。裁判で争い、最高裁判所まで行って部分勝訴を得たとのことであった。彼は医師を恨み、病院を恨み、自分の人生を呪い、周りの健全な人々を羨み、あらゆることをマイナスにとる、そういう存在になってしまった。ある機会に吉村氏の聖書の話を聞き、キリストの救いを信じて、この人は一変した。人生は喜びとなった。イエスを信じる信仰が彼を救った。生も死もイエスにまかせ、かの世の栄光にあずかる幸いを望み、彼の顔は輝いた。
 これは実話である。恨みは永遠のいのちによって止揚され、喜びがその人に満ちる。我が家の二男の充はそういう笑顔をもって多くの人に接していたことを思い出す。

T先生とのお別れと再会

2010-06-28 21:10:55 | 人生人間
6月28日 東京は曇り後小雨
 上京しT先生のお別れ会に出席した。89歳という年齢でいつお召しが来てもよいと云う覚悟でおられた先生の生き方が如実に表れ、葬儀のスケジュールも準備し、自分の略歴を書いたものを用意して後輩に託していた、それは一種のすがすがしささえ感じさせられるものであった。キリスト教伝道者としての使命のもとに生き、自分のすべてを神の国に捧げられた姿は感動的であった。日本の社会のためだけでなく、海を越えた隣国にも奉仕の心を示された。弔辞は海外からもやって来た。
 お別れの献花のときに静かに眠るが如く横たわる先生のお顔が小さく見えて傷ましい思いが一瞬私の心をよぎった。わが家の息子が召されたおり、年齢は壮年でも、顔立ちは幼子のように見えたことを思い出した。この国のもろもろの問題に対する長い戦いの日々がそこに反映していると思った。T先生の戦いは日本を越えた大きなスケールのものであったが、その戦いを終えて静かに天に帰られたことを思い、心のうちで涙が湧いてきた。神の国は可見的なものではないが、信仰的には「あってある」ものである。そのみ国での再会を待つ。

環境を超えるもの

2010-06-27 15:30:02 | 人生人間
6月27日 雨
 天気と人の気分はよく言われるように相関関係が強い。梅雨時のじめじめしたお天気のとき、憂鬱になりやすいのは当然のことである。また爽やかな晴れた日に気分爽快になることも至極自然のことである。人が外的環境の支配を超えてよい仕事の結果を出せるとしたら、その人の内的活動ポテンシャルが高い、つまり環境にあまり左右されずに自分の力が出せるということである。それはその人の健全性を表わすもので、社会の中でそういう人が多ければ多いほど社会は健全に動くはずである。そういう人は生まれつきの性格もあり、やたらに増殖することができるわけではない。しかし宗教的な悟りに到達した達人がいるーたとえば使徒パウロのような人がいるとすれば、最低の環境、監獄のような環境にも耐えて絶対者、神を讃えて至福のときを持つことができる。生死を超える心境というものがある。晩年の日々を過ごす私は、若い人のような様々な未来の夢を描くことはできないが、年寄りは年寄りなりの夢をもてるものと信じている。

医師の廃業

2010-06-09 21:53:44 | 人生人間
6月9日 晴れ後曇り
 かかりつけの皮膚科の医師が突然廃業することになった。私の持病と長く付き合ってくれた医師で、人柄がよく、明朗で、患者からも、看護師などからも信頼されていた人であったから驚いた。理由はご自身の病気とのことであった。働き盛りの年齢で、まだまだ十分活躍できるとばかり思われていたのに残念である。何の病気か詳しいことは分からないが、廃業を決意するほどだから、そう簡単なものではなさそうだ。
 患者としては大いに困った立場になるが、別の病院を紹介され、この次からはそちらに行くことになる。今までより遠くなるのでその点気懸かりだがやむを得ない。この病院に来ていた多くの患者がそれぞれ別々の病院に散ってゆく。なかなか医師の不足が言われる昨今困る人が多いようだ。社会は流動し、人々は最少不幸の状態にたどり着けないのが現実である。政治に頑張ってもらわねばならないが。一朝一夕に改善されるとは思えない。個々人の心掛けに任されるとは困った状況である。

またか政権投げ出し

2010-06-02 17:29:59 | 人生人間
6月2日 晴れ
 お昼のニュースで鳩山首相辞任のことを聞いた。三代続いた自民党政権の短命に加えて、鳩山首相までが政権を投げ出すとは思わなかった。これで四代の短命内閣である。こんなことでは対外的にも大変まずい。日本人がしょっちゅうぐらぐらする民族であることを世界に宣伝するようなものだ。国民性が問われる。目の先のことばかり見て、遠くを見ない。困ったものである。鳩山首相も支持率が下がったくらいで辞めるとは情けない。支持率を上げる政策を打ち出すなり、パーフォーマンスやるなり、頑張ったらよかったのだ。支持率低下に悩んだ小泉首相は北朝鮮に行って金正日と会い、拉致問題に取組んで一定の成果を挙げ、支持率を回復させたではないか。支持率をいちいち気にしているような政治家は頼りない。気分一新は選挙には有効かもしれないが、本当の大政治家のとるべき道ではない。そして国民も民主党に政権を任せたからには、ちょっとぐらいで一喜一憂してはならないのだ。たった八ヶ月のことだ。遠くを見る目もなく太平洋戦争で大失敗をしたことを忘れたか。

ケチもほどほど

2010-03-20 20:25:33 | 人生人間
3月20日 晴れ
 私は田舎者であることを恥としない。日本人はもともと世界の田舎者。辺境の民であったのだ。今更世界の最先端を行くと自称してもどこかでボロが出る。それくらいなら初めから田舎者として振舞い、偉そうな口は利かない。その代わりやることはちゃんとやる。それでよいと思う。
 ところで私は昔豊かな家に生まれたらしい。らしいというのは、父が早くなくなり物心がつく一寸手前のことで、小学生のころはつましい暮らしだったから。その上太平洋戦争の敗戦後はほんとに貧しくなり、学校を出るのがやっと。貧乏はいつも私の背中にへばりついていた。しかし私は心は割と豊かな積りで文学青年気取り、理系の大学に入る頃はあまり勉強もせずにいた。東大京大に入れるくらいの自信はあったはずだが、地方の大学に入った。それでよかったと今は思う。
 ところが息子の事故で、重度心身障害者となった彼を守るために、私はケチになった。その戦いは半生を超えるほどであった。だからケチの習いが染み付いた。しかしその割りに鷹揚なところもある。本の出版は身分不相応だった。ケチもほどほどと思っているが今日は家内にケチを指摘された。家内は息子が亡くなったら少し贅沢になった。といっても息子の鎮魂のための仕事をしていることが分かっているから、私は何も言わないことにしている。すべてはかの世で分かるだろう。

旅行家にあやかる

2010-03-19 20:11:09 | 人生人間
3月19日 晴れ後曇り
 今日は早速クラブ事務局から申し込んだ本が届く。迅速行動のIさんのことだ。アクションが早いこと。『菅江真澄 みちのく漂流』(岩波書店2001)という少し変わった本で、2001年日本エッセイストクラブ賞を貰ったものだ。読んでみるとなかなか面白く、一日で読み終わった。江戸時代の旅行家の菅江真澄が東北を行脚した記録は歴史的にも民俗学的にも興味あるものとされているが、東北秋田の作家がこの菅江にあやかってドライブと自分の足で菅江の足跡をたずね、感想を綴る。みちのくは西行や芭蕉の昔から旅心をそそる何かがある。自然が美しく、民心が素朴だからであろう。私は菅江の本を見てはいないのだが、この少し変わった旅行家の名前は有名だし、東北の方々を十数年にわたり訪ね歩き、三河の故郷に帰ることなくこの東北で客死するその生涯はなんだったかと問う。忙しい今日には珍しい大切なものを含んでいると感じられるものがある。

役人天国

2010-03-10 21:01:21 | 人生人間
3月10日 曇り後雨のち晴れ
 3月10日は65年前の東京大空襲の日。この日から続々と新潟市に避難してきた人たちがいた。その家族の中で、中学生も多かった。私は当時中学3年生であった。クラスは45人くらいだったと思うがそれが70人くらいに膨れ上がったから大入り満員で、先生も授業に苦労したであろうと察せられる。
 さて今日は役人の無気力さについて。知事が約束したことを役人が適当にごまかそうとすることについて憤慨に堪えない。宮城県中央児童館の閉鎖問題については何回かここで問題にした。宮城県は児童館を閉鎖することに決め、その敷地の半分を児童公園とし、仙台市の管理下におき、残りは売却する方針とした。児童公園は一部の建物を改修してそこに管理室を置いて、私どものいのち三点セットの二点ーすなわちランタンと愛の姉弟像を納める筈であった。全体は小規模な移動ということでおさまるはずであった。ところが仙台市側は面倒な管理を嫌がり、ほとんど裸の公園ならば受け取るが、管理室はおかない方針であるという返事であった。いのち三点セットは新しい県の建物ー隣はパチンコ屋だということだーに引越しという方針で、これを呑めとわれわれに言ってきた。ひどい話だ。いのち像が置かれたとき、あの美しい自然ーいのちの杜に歌声を響かせた。それを役人の都合で潰そうというのだ。
 県役人の態度は真剣みを欠いている。課長も部長も市に出かけてゆくでなし、県の係長が市に出かけていって市の下っ端役人と話して決めたらしい。その状況が分かってきたのはNPO法人の新田氏の電話によってである。これは許せないことだ。われわれも市長と直接話し合って市に実情を訴え、市の役人に受け入れさせる。真剣な交渉をしない怠惰な役人天国は絶対反対。それが宮城県民と仙台市民のまことの誇りに直結することである。

虹鱒のいのちの復活

2010-02-25 20:52:42 | 人生人間
2月25日 晴れ後曇り
 二月は後幾ばくもない。日差しが強くなっていることは日に日に明らかだ。時の進みは早い。いわきの地に桜がやってくる日もそれほど遠いことではない。人は前途に希望を見出すとき自らが無意味の世界におかれているのではないことを痛感するのだ。
 テレビを見ていたら、アメリカの高校教師と彼を取り巻く生徒たちがダムによって流れが消えかかった川を復活させる話であった。虹鱒はその川のいのちの象徴だった。虹鱒は絶滅寸前だった。ダムを取り壊せば川は復活し、虹鱒のいのちはよみがえる。しかしダムは市当局の頑固な反対によって守られ、容易なことでは取り壊せない。教師と生徒たちはその間も諦めず、虹鱒の保護に努めていた。養殖場までつくったのだ。そしてあるときダムがさっぱり役に立っていないことを立証するデータが明らかになった。それをもって市に交渉にいったが、市は折れなかった。そしてまたダムの下に断層線が走っていることが分かり、市は遂に彼らの言い分を認めた。9年の後のことであった。虹鱒のいのちは帰ってきた。
 忍耐は美徳であるが、その忍耐は希望によって支えられ、そして実を結んだのだ。

原爆の碑、御巣鷹の慰霊塔に比すべき

2010-02-24 15:27:33 | 人生人間
2月24日 晴れ
 女子フィギュアスケートの競技始まる。韓国のキムヨナの完璧に近い演技もさることながら、日本の安藤美紀のレクエムに合わせた演技と胸に銀の十字架を付けたコスチュウムには驚かされた。彼女は何を思ってこのような洗濯をしたのだろうか。明日の新聞で解説が出るかどうか調べたい。
 さて仙台市の中央児童館にいのち像が設立されていることは関係者はよく知っているが、宮城県以外では知る人も少なく、ここでまた書き込んで全国の心ある人々に訴えたい。像はドイツの女流彫刻家イングリット・バウムゲルトナー女史の制作。子どもを愛し、子どもの像にすぐれた作品を残している。像の目的は予防接種禍を契機として、いのちの尊厳に目覚めた人たちの思いをこめ、慰霊とこれからの子どもたちの健やかな成長を祈る主旨である。
予防接種禍では520人以上の死者と、一ニ三級合わせて約500人程、すなわちおおよそ1000人の重い犠牲者を出している。20万と言われる広島原爆の犠牲者の規模にはもちろん及ばないが、日本航空の御巣鷹の犠牲者よりは多く、社会的意味は非常に重要である。その割りに注目されることの少ないのは遺憾である。
 この記念像が危機を迎えている。宮城県中央児童館廃止を決めた県の無理解と迷走のためである。記念像は仙台市民だけでなく、全国から集まる人たちに愛されて十数年、今日に至った。像に関連するランタンや木彫りの姉弟像の行方を含めてどうなるのかが、さっぱり分からない。記念像の価値を知らない政治家や役人が思いつきで行政をやっているように見える。記念像は日本全体の問題としての予防接種禍に関わる。どうして倒れた幾多の幼子たちを忘れ去ってよかろうか。