11月13日 曇り・晴れ・曇り
ドイツの友人フランツ(元ミュンヘン工科大学教授)からメールが立て続けに届いた。昨年発表した「トリチウムの生物への摂取について」の論文まで付帯文書として付いていた。9頁もある立派な論文である。驚いた。彼は81歳で私と同年、論文発表時は80歳というわけだ。老いてなお元気な姿を想像し、喜んだが、読み進むと彼は家をレンタルに出し、老人ホームに入ったとのこと。力の限界を感じたらしい。
私は新老人の会の会員としては日野原流につねに前向きに生きることをモットーとし、老いてなお生き甲斐をもって暮らすことにしているのだが、限界を感じて引退の生活を送ることにした友人の便りを見て、考えさせられた。前向きに生きるといっても、倒れるまでがんばるということではない。無理することはない。誰も永遠に生きることは出来ないのだから、限界になったらそのように暮らし方を変えればよい。
老人は若者と競争するような生活は出来ない。第一線で働くことはある年齢からは不可能だから、若い人に自分の志をつなげてもらうようなことをやりたいものだ。それは指導というとおこがましい。指導などという思い上がった態度では嫌われるに違いない。自分のペースでやる、一人でもやる、生涯の終わりまでそういう仕事を続けることが望ましい。
さらにいえば、他人と摩擦を起こさずにやれることなら大きなことは言う必要もない。それが自分一個の楽しみにおわっても悔いはないではないか。
ドイツの友人フランツ(元ミュンヘン工科大学教授)からメールが立て続けに届いた。昨年発表した「トリチウムの生物への摂取について」の論文まで付帯文書として付いていた。9頁もある立派な論文である。驚いた。彼は81歳で私と同年、論文発表時は80歳というわけだ。老いてなお元気な姿を想像し、喜んだが、読み進むと彼は家をレンタルに出し、老人ホームに入ったとのこと。力の限界を感じたらしい。
私は新老人の会の会員としては日野原流につねに前向きに生きることをモットーとし、老いてなお生き甲斐をもって暮らすことにしているのだが、限界を感じて引退の生活を送ることにした友人の便りを見て、考えさせられた。前向きに生きるといっても、倒れるまでがんばるということではない。無理することはない。誰も永遠に生きることは出来ないのだから、限界になったらそのように暮らし方を変えればよい。
老人は若者と競争するような生活は出来ない。第一線で働くことはある年齢からは不可能だから、若い人に自分の志をつなげてもらうようなことをやりたいものだ。それは指導というとおこがましい。指導などという思い上がった態度では嫌われるに違いない。自分のペースでやる、一人でもやる、生涯の終わりまでそういう仕事を続けることが望ましい。
さらにいえば、他人と摩擦を起こさずにやれることなら大きなことは言う必要もない。それが自分一個の楽しみにおわっても悔いはないではないか。