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一生

人生観と死生観

三都構想の上昇志向

2010-12-10 21:16:18 | 人生人間
12月10日 晴れ
 東京都に続く中京都・大阪都構想が浮上し、現実味を帯びてきているそうだ。私ははじめ単なる上昇志向かと考えていたが、沈没する大阪や、名古屋に活を入れるある意味で切実な要求であるように思えるようになった。三つの都で日本を引っ張り、活性化する狙いがあるという。橋下知事や川村市長は張り切っているようだ。そのほかの県も苦しい状況にあるところが多いから、これはかなり大きな影響を日本にもたらすことになろう。上昇志向は個人の場から出発して、より広いところに発展するのである。しかし勿論これには生みの苦しみが伴うであろうことが予想される。また試行錯誤の必要な部分もあるであろう。消極的に構えるだけでは日本はどうにもならない。借金大国が健全化するために冒険も必要であろう。
 私の目が黒いうちに実現するとは思えないが、日本に希望を作ってゆかなければならない。

生命体の不思議の暗中模索

2010-12-03 10:51:59 | 人生人間
12月3日 雨
 TVは新しいニュースとしてDNAにヒ素を取り込む細菌があることを報じた。新聞にも出た。アメリカでNASAが発表したという。NASAは良くも悪くもおおきく宣伝するところだからちょっとどうかなと思った。コメントする人はNASAが政府から予算を減らされると困るので予防線を張っているといった。それはともかくこれは新しい発見には違いない。
 DNAの構成元素は水素、酸素、炭素、窒素、硫黄、リンの6元素である。ヒ素はリンに似た元素で、周期表上リンの下に位置するから、生物がリンの替わりにヒ素を取り込むことはありうることだが、普通ヒ素は生体には毒であり、人間が食べると死んでしまう。ヒ素入り薬剤でシロアリを退治するのは常識だから、いろんな生物にヒ素は有害物質であることは素人にも分かる。ヒ素は生物の敵とされていた。ヒ素を主成分とする生物など想定外のことであった。
 今回の発表はアメリカ・カリフォルニア州モノ湖の細菌GFAJ-1という変な細菌についてであった。この細菌のDNAはヒ素を含んでいるということから発展したらしい。ヒ素を培養液に入れてこの細菌を培養したらヒ素入りDNAができ、明らかにDNAの増殖が認められたということのようだ。つまりこの細菌はリンの替わりに砒素を食べて生きてゆけるということになる。生物にはいろいろな可能性があることを示す良い例だろう。
 普通なら科学者は上のように考える。それ以上のことは実験がもっと必要で、余計なことは言わない。というより言えない。しかしNASAは膨大な予算を必要とするところだから、政府の査定を少しでも上げようとする。今回の発表のさいに地球外生命の可能性まで考えられるといったようだ。大変な飛躍だ。どこかの星で生命が存在する可能性はまったくないとは言えないが、まだまだ霧の中である。五里霧中という言葉があるが、五里どころか何万光年暗黒である。科学からはまだ何も言えないのだ。
 ただヒ素の汚染に苦しむ地方などでこの細菌を使ってヒ素を除去する応用が可能になれば、大した有益な発見である。

福祉施設の見学

2010-12-02 19:38:20 | 人生人間
12月2日 晴れ後曇り
 今日新しい施設ができ、内覧会を開くというので出かけてみた。知的障害者のためのものである。約50名の入居者を予定しているという。関係家族と思われる人の姿もあった。豪華なものではないけれども、それなりに工夫を凝らしてやっていることがうかがわれた。
 私はこの施設の総括の協会の役員をしている関係で施設の職員から案内してもらった。猫の目のように変わる政策で将来の展望に不安がある日本の福祉ははっきりいって心細い。しかし関係職員はよくやっている。
 これから何年生きられるかは分からないが、できるだけ勉強もし、この協会のために役に立ちたい。私のことを若々しいと見た人がいるそうだが、それは当然のこと。自分を年配者と思わないのが新老人の会のメンバーのモットーだ。み霊の働くところに創造あり、自由あり、年齢に無関係の真理の力が作用するのだ。

12月が来た

2010-12-01 21:01:20 | 人生人間
12月1日 晴れ
 今年最後の月がやってきた。この年ここまで守られた。異常に暑い夏であって、何人かの知人を失った。小笠原荘子さんは夫の待つ天に還った。家内は病気がちながら、とにかく句集出版にこぎつけた。私はというと大した事は出来なかったが、東京で講演をひとつこなし、仙台で日野原先生をお迎えしたこと。神に感謝の年の瀬である。
 今ブログを整理し、本にまとめるための仕事を開始した。10回に1回程度で採用するに足るものがあるようだ。お義理で、または惰性で物事をやってはならないことを痛感する。
 クリスマスー徳島に招かれていることは光栄、心低く、熱き祈りができるよう、また希望は常に存在し、われら天に繋ぐことを、相ともに語りあおう。証し人としての幸いを感謝する。

脱兎のごとく

2010-11-29 11:19:51 | 人生人間
11月29日 晴れ
 朝は気持ちの良い快晴で、気温も上がり快い。もうじき12月だからこんな日はあまりあるまい。そう思うと惜しい気がしてくる。そうだ、一日一日が惜しい日に思える80台の日々である。できるだけ有意義に過ごしたいものだ。そうは思うが、具体的に何をやるかということになるとこれが問題だ。しゃしゃり出て人に嫌われたくはないが、嫌われないでやれる仕事はあまりない。
 ところでいちいち細かいことに気配りしているひまに、思い立ってやりたいこともある。昨日は「虎は死して・・・」と虎のことを書いた。トラ年が終わりに近付いて次はウサギの歳であることに気がついた。兎はおとなしいし可愛いが、あまり利口な動物とは評価されていないようである。
 「脱兎の如く」といえば逃げ足の速いことである。必死に逃げれば大型動物は追っかけてもなかなか追いつかない。エネルギー効率から割に合わない。逃げろ、逃げろの危急の場合は兎のような動物が得意とする飛ぶように猛烈な走りが救いの鍵である。
 しかし人生でそんなことがあるだろうか。やはり人間には兎のような逃げは相応しくない。人間は兎のようには走れないし、脱兎のような走りでは、後のことがおろそかになる。人間はやはり頭を使ってことに処するのが相応しい。
 そこでこのブログのシリーズの整理を思いついた。私の人生の軌跡を表わすブログである。すでに千何百回かの日を重ねた私のブログは、ポピュラーではないにしても、読み返すとなかなか面白い。時々立ち止まって周りを見渡し、後ろを振り返って、自分の立ち位置を知る。大事なことではないか。

損と得

2010-11-25 19:57:40 | 人生人間
11月25日 晴れ後曇り
 仙台からS氏来る。義理堅いことに日本古代東北の稲作の伝播ルートの論文を連名で出せたことのお礼に会いたいとのことであった。駅前ラトブの中の市立図書館の一室を借りて話し合う。熱心な古代史研究家であるが、アマチュアとしての経歴を積んできたが、正式の学会に投稿したことはなかったそうで、今回はじめてレフェリーのある『生物科学』に投稿したら、幸いパスしたものである。
 さて世の中は商業主義が盛りである。今の世の中政府に頼らず民間でやるという場合、コマーシャルな宣伝は欠かせないというのが常識になっている。そのために宣伝費は必要経費として予算に計上する。顧みれば明治維新で武士の世の中がひっくり返り、少数の役人のほかはみんなが商売をすることで自活せよ、さもなくば百姓をして自分の食べるものは自分で稼げ、ということだったから武士たちは不平がつのった。商人として成功する者はほとんどいなかった。いわゆる武士の商法で没落した士族は数え切れないほどいたらしい。「損して得とれ」という言葉があるが、これをうまく活用できるまでになるには時間と経験とが必要だった。商業は心にもないお世辞を言い、おべっかを使ってとにかく金になることを目論む。これは武士の建前にはなかったことであった。武士は主君のために命を捨てる覚悟で対価としての碌をもらうのだったから、卑しい商人の魂を軽蔑してきたのだ。こうして不平分子は反乱を起こし、その最大のものが明治10年の西南戦争だった。これが失敗して、ようやく日本の近代化は進んだ。
 しかし損得を優先する世の中はやはりどこかおかしい。志をもった事業のために損得を離れて働きたい人もいると思うが、それを奨励する世の中にするためにはどうしたらよいか。

公と私

2010-11-21 18:50:15 | 人生人間
11月21日 晴れ
 柳田法務大臣の国会軽視発言が問題になっている。本人は真面目な顔をして冗談を言った積りかもしれない。大臣といえども全知全能ではないから、答えられない場合もでるだろう。しかし返事の仕方は無責任なやり方ではやはりいけない。公人はそれなりに誠実でなければならない。私人としてならば逃げられることも公人としては逃げは許されない。そのような意識に乏しい国会議員は民主党に限らず、自民党にも沢山いた。苦労を知らない人間が今の世の中で増え続けている。
 ところで国会議員でなく、私人においては公的な意味があっても、私的な立場を強調して、訴えを鮮明にすることが必要なときもある。公的に徹するだけでは面白味がないから、多くの人に聞いてもらえなかったり、いろいろの問題が生じる。公の中に私を交えて訴えを強調するのである。
 このように、場合場合によって臨機応変に構えるのである。しかし公私の区別は個人の頭の中ではっきりしていなければ、とんでもない間違いを生じることになる。

苦難の谷間の友よ

2010-11-16 16:45:55 | 人生人間
11月16日 晴れ
 寒い日となった。天気予報のとおりの気象だ。
 今日の便りでX氏の自閉症の二男のことがはじめて具体的に書かれていた。言葉はなく、動き回って一日2万歩も移動し、付き添う親もくたくたになってしまうらしい。わが家では予防接種禍で重度の心身障害になった二男の介護が大変だったが、この友の場合は別の意味で介護の大変さを偲ばせられる。このことを思うと心が痛み、首を低くして、この家族のために祈るほかない。
 ある人は人生苦難の連続だ。特別悪いことをしたわけでもないのに何故なのだろう。涙の谷間という言葉が胸に迫る。神様がおられるならば、どうして放置しておかれるのだろう。詳しいことは知るよしもないが、こういう偶然とも見える逆境の連続はなんとも介入のしようがない。
 しかし長い人生の経験から見ると、超越者の神は何らかの理由があって人に苦難を下したまう。旧約聖書ヨブの物語で、そこにヨブについての神とサタンとの賭けを見て、ひどいと思う人がいるかもしれないが、それは物語の上でのことだから本当のことは分からない。その秘められた理由が解除されるときが来る。そのとき苦難の人生を送っていた人の目が開ける。ヨブ記の記事はそれを示している。苦難であれ、幸福であれ、神の国に根ざす人生のドラマは有難く受け取ろうという人がいる。私たちの場合は二男の死によって多くのことを学び、苦難の意味を深く考えさせられた。無上の経験になったのだ。X氏に忍耐を望むことしか今は出来ないのが残念だ。

愛と平和と真理のために

2010-11-15 16:02:52 | 人生人間
11月15日 雨
 寒くなり雨は断続的に強くまた弱く降り続く。明日はもっと寒くなるかも。季節は進んでいることを思わせる。2010年も残1ヵ月半。
 昨夜日曜洋画劇場でライナー監督、ニコルソン(白人)とフリーマン(黒人)主演の映画『最高の人生の見つけ方』を見た。見てない人のために概要をいうと、ある病院の相部屋に入院した二人のがん患者が余命半年から一年と医者から言われて、周囲の止めるのも聞かず、人生最後の思い切った旅に出かけ、いろいろな経験をする。お互いにお互いを干渉しない方針だった筈だが、最後に少しばかりそれが狂いはじめる。白人は大金持ちの無神論者、黒人は堅実な自動車工場の経営者で見事なクリスチャン家庭を作っている。白人が経費を負担した世界中を股にかけての大旅行に終わりに、白人は黒人に女性の誘惑を仕掛け、黒人はそれを断る。黒人は帰国したところで白人に絶縁した娘と孫に会いに行かせようとしてトラブルになる。結局黒人は家庭で倒れ再入院して死ぬ。白人は黒人家庭の中の信仰に守られた雰囲気を知り、自分の生き方を反省し始める。黒人の葬式に出て白人は感動的な話をする。そして娘と孫に会って最後の幸せを知る。白人も結局死ぬ。
 アメリカでは95%が神を信じ、残りの5%は無神論者と映画の中では言っていた。知識人では無神論ないし不可知論者はもっと多いと思うが、全体的にはそんな統計になるのかも。映画はその5%の人たちに対して信仰に戻ることを奨めていることになる。アメリカ的な単純な勧善懲悪思想といってしまうと手きびしすぎる何かがある。白人は愉快な人で、アメリカン・ドリームを実現したやり手の実業家だが、自分の現世的感覚にどっぷり浸かって、深い心の世界を無視している。黒人は苦労人で人生の労苦の襞を知り、家庭を心から愛している。信仰の雰囲気は濃厚で、アメリカの理想の家庭を具現しているようだ。結局いえることは白人が黒人に敗れ、家庭の幸せを握ろうとすることが一番だということ。
 さて映画の説明が長くなった。私の場合、人生の終わりの段階で何が言えるのかがいつも心を去来する。私はある超越者がこの世を支配し、導いておられることを疑わない。ここに至るまでにいろいろな経過があった。愚かな私は気づかないことが多かったことを恥じるが、実に劇的に神は私を導いておられたのだと告白せざるを得ない。ドイツに予防接種禍の調査に行ったときのことは再々述べた。訪問した教授の家の後ろに被害少女がいて彼女に1週間後に面会できたことは身震いするほどであった。小さくても良い、どうぞ私に愛と平和と真理のために働くことを得させてくださいと祈らざるを得ないのだ。

心から心へ

2010-11-14 16:08:37 | 人生人間
11月14日 薄曇
 明日は七五三の日で神社は忙しいそうだ。祖先伝来の行事に何がしかの意味を求めて日本人は動く。子どものすこやかな成育はどこの親でも望むところだ。
 人の心の基層にある宗教心をどう見るか。一神教は排他的だと梅原猛は言い、そこに争いの種があり、人類の救いに遠いように考える。キリスト教のアメリカとイスラム教のイラク・アフガニスタン・イランが対立抗争した歴史の根は古く、遠く十字軍の昔に遡ることを見れば、一神教同士の争いは救いようがないかと思われるかもしれない。しかし宗教的寛容の必要性は現代の政治家の多くはよく承知している。政治家だけではない。異文化交流を仕事にしている一般人も生活の習慣において宗教的なことに干渉することはない。宗教は基本的に個人のものであるからだ。
 多神教がよいという結論は一神教の争いからは出てこない。一神教が必ず争うとはいえないからだ。多神教の神道も明治の廃仏毀釈のころは烈しく攻撃的であった。仏教も根源的には多神教で、多くの仏たちがお経の中に出てくる。禅宗のように哲学的、無神論的な宗派もあるようだが、その悟りは修行の中に生まれ、一般的とはいえないようだ。
 信仰は心から心への伝達である。人の心は物質の世界とは違う。物質的証明が出来ないからといって心の存在を否定することは出来ない。キリスト教を教義としてとらえる方法は浅薄である。キリスト教は教義以上のものだ。キリスト教をいのちそのものだといった人がいたが、そのとおりだと思う。その本質を素直に受け入れる人は幸いである。