間もなく桜の通り抜け(4月9日~4月15日)でにぎわう、大阪の造幣局。
その造幣局の北、国道1号線を隔てた一角に、明治4年(1871年)造幣局の応接所として建てられた「泉布観(せんぷかん)」があります。
明治初期の面影を残す「泉布観(せんぷかん)」(3月14日撮影)。大阪市内に現存する最古の洋風建築で、国の重要文化財。
泉布観のそばには、石造りの旧桜宮公会堂が結婚式場・レストラン(ノバレーゼ)として開業、レトロな雰囲気が漂う地区。庭園も整備されています。
桜の通り抜けのついでに少し足を延ばし、このあたりを散策するのもおすすめです。
◆泉布観内部の一般公開
保存上の理由から、例年3月ごろに限って内部の一般公開をしていた泉布観ですが、老朽化が目立ってきたため、「ふるさと納税制度」を活用した寄付で、外観を補修。この工事の間、平成23年~24年は一般公開を中止し、25年3月から3年ぶりに再開しました(当時の大阪府発表資料参照)。
実はこのとき、大勢の市民が詰めかけて、入館まで大変な時間がかかったため、翌年からは事前申し込み制になってしまいました。
私も申し込んだところ、最初はみごと抽選にハズレ!(2014年2月28日の記事参照) 。
今年の一般公開(3/13~3/15)で、ようやく当たりました。
一般公開の抽選に当選したという通知のはがき。
「当選」といっても、何かもらえるわけではなく…
やれやれ、たいそうな手続き。
2人まで入館できるので、ヨメさんを誘ったところ、乗り気に。しかし、その後用事が出来て、結局1人で行ってきました。
以下、3月14日に撮影した写真です。雑事にまぎれ、掲載がずいぶん遅ればせになってしまいました。
撮影カメラはキヤノンEOS 6D、レンズはおもに広角ズームのEF16-35mm F4L IS USM。一部でEF50mm F1.8 II を使用。
(EF16-35mm F4L IS USMは建物の外観や室内の全体をとらえるのに好適なのですが、超広角側で撮ると建物が過度に上すぼまりになったり、歪みが出ます。そのため、撮影後にPhotoshop の「レンズ補正」を適用、疑似的なアオリ補正を行っています)
泉布観の正面。
東側の大川に向かって建っているので、午前中なら順光で撮れそう。
でも建築写真としては、前の桜の木が邪魔ですね。
ちなみに、桜の木がまだ小さいころの写真が造幣博物館(造幣局内)にあります。(泉布観を見た後、見学しました)
造幣博物館にある、泉布観の紹介パネル。
これだと、建物の正面からの姿がはっきり分かります。
泉布観の概略も、このパネルで説明されています。簡潔にして十分な内容。
ただ、読みにくいかもしれませんので改めて 大阪市のホームページから抜粋します。
『泉布観は、市内で現存する最も古い洋風建築の一つであり、明治4年(1871)2月に落成しました。当初は造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建てられましたが、明治5年に天皇が行幸し、泉布観の名称はその際に天皇自身により命名されました。泉布観の「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」を意味します。
建築の設計には、アイルランド出身の技師ウォートルスがあたりました。ウォートルスは泉布観のほか、造幣寮の工場群、東京の銀座煉瓦街などを設計し、明治初期の日本の洋風建築の歴史に大きな業績を残した人物です。
泉布観の主な特徴は、煉瓦造であること、周囲にベランダを持つこと、照明器具などに古い要素を残すことなどがあります。泉布観の壁面は一見すると白い漆喰塗りですが、その内部は煉瓦で積まれており、そのため木造建築とくらべると非常に壁が厚くなっています。またベランダは建物の全体にめぐっています。これは「ベランダ・コロニアル」式と呼ばれ、幕末から明治期の日本の洋風建築の特色のひとつです。内部は天井が高く、ガス灯時代の照明器具が電球式に変わったいまも使われています。
このように、泉布観は明治時代の洋風建築の特色を色濃く残し、大正6年(1917)には大阪市に移管され、昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されました。』(平成25年、大阪市のページより)
ということで、ともかく中に入って1階から見ていきましょう。
◆泉布観1階
泉布観1階の廊下。
ガラーンとして、天井が高い印象。高さは4. 5m あり、当時のガス灯が吊り下げられています(今は電灯)。
廊下の両側に広い部屋が3つ。見取図は下の通り。
泉布観1階の見取図(造幣博物館のパネルから複写)。
1階で最も広い南室。
列柱が並び、ケヤキ材張りの床が黒光りしていました。
1階南室。
泉布観はもともと応接所。ここは食堂として使われていました。写真奥に見える小窓を通して、隣の配膳室から料理が運び込まれたそうです。
配膳室とつながっていた別棟の厨房は、今はなくなっています。
今も残るガス灯時代のシャンデリア。
どういう寓意なのか、ひげ面の男性の顔が彫られ、いかにも西洋的。イギリスからの輸入品ではないかとのこと。
EF50mm F1.8 II でアップにすると、こんな感じ。
重厚な暖炉。
イギリス製と推定されています。
「イギリス製の根拠は… 」と、係の人(たぶん学芸員)がペンライトで暖炉の奥を照らしてくれました。
浮かび上がったのは、盾の両側に獅子と一角獣(ユニコーン)、上部に王冠を頂いた英国王の紋章。
暖炉に使われていた耐火煉瓦などをガラスケースで展示。
泉布観の建物自体の煉瓦は日本製でまかなわれており、「当時の時代としては、大したもの」だそうですが、耐火煉瓦だけは日本で作れなかったので輸入されていました。「UFFO」の刻印から、滋賀県の旧長浜駅舎に使われたものと同じ製品らしいとの説明。
次は1階東室へ。応接に使われた部屋ではないかということです。
大きな鏡のある暖炉。前には一対のグリフォン(獅子の体に鷲の羽を持った想像上の動物)。
左側のグリフォン。
右側のグリフォン。
さて、何を象徴したものか…
暖炉の奥、両側面にはドングリの模様の装飾。
豪華なカットグラスのシャンデリアがありました。ガラスケースに囲まれ、見やすいように少し低い位置に吊り下げられています。この建物で一番目を引く展示物。
華麗なる明治。
当時はガス灯の明かりにきらめき、部屋に入った人が思わず息をのんだのでは…
あの鹿鳴館の完成は、この泉布観に遅れること12 年、明治16年でした。
こちらは1階西室。
床の模様は、当時高価だったタイルを模してペンキで描かれたもの。
左の暖炉の前には、本物のタイルが敷かれています。
暖炉の前に使われている装飾タイル(1階南室で別に展示されていたものを撮影)。
イギリス製で、日本での暖炉周りのタイルの最も初期の例だとのこと。
暖炉の内側、左右に張られた装飾タイルが見もの。
暖炉左側のタイル | 暖炉右側のタイル |
ギリシャ・ローマの女神でしょうか、2人の女性像。
同じような姿ですが、違っているところが少なくとも3つあります(間違い探しパズル!)。
・手に持っているもの(トーチとランプ)
・衣装
・顔や体の向き
それと、何となく2人の年齢が違う印象も。
何を表しているのでしょうね。
ウ~ン、よく分かりません。(分からないことが多い… )
古色蒼然としたカーテン。
もとは昇降式だったという照明器具。
1階西室を出て、2階に上がる階段へ。
2階への階段。
建物の保存上、階段に大勢の人が集中しないように、との注意書きが。
なにしろ、古い建物ですから…
2階の写真は次回に。
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撮影カメラ・レンズ
キヤノンEOS 6D
EF16-35mm F4L IS USM
EF50mm F1.8 II
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