ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の擬宝珠(3)

2019-07-26 19:54:31 | 水戸

  擬宝珠(ぎぼうし、ぎぼし)は、あくまでも「擬(もどき)」であって、本来の宝珠ではないということのようです。それでは本来の宝珠はというと、仏や神が手にする珠、五輪塔などの仏塔や、方形造りの建物、灯籠の上部にとり付けられる珠などをいうようですが、あまりはっきりとした区別点は感じられません。たぶん、古くからあった宝珠に対して、後発の似たような飾りを区別するために付けられた名前なのでしょう。

 

水戸八幡(八幡町8-54)
 拝殿前にある擬宝珠です。文化4年(1807)とあり、奉納者の名前も刻まれています。胴部分の上下にある輪がそれぞれ2段になっていて、全体的に均整のとれた形をしています。

 

杓子稲荷(平戸町938)
 拝殿背後にある本殿の神域に入る入口を示す左右にある石柱なのでしょうが、その上部に擬宝珠がついていました。写真左が拝殿、右が本殿です。

 

竃神社(本町1-2-6)
 本殿周囲の縁に設置された高欄(こうらん)の上につけられた擬宝珠です。だいぶスリムな形をしています。

 

円通寺(千波町1227)
 本堂の向背下に、蓮の花弁を反らせたような反り花風の飾りを下にほどこした擬宝珠がありました。

 

東照宮(宮町2-5-13)
 南側石段下にある車止めの石柱の上に擬宝珠がありました。

水戸の擬宝珠(2)

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水戸のひこばえのようなもの

2019-07-25 20:51:47 | 水戸

 ひこばえは、本来、木の切り株や根元からはえた芽だそうですが、枯れて朽ちた株の中からはえた別の木もよく見ます。これらは、世代の交代を象徴するようなので、みな一緒にして、ひこばえのようなものとして寺社にあったものを並べてみました。

 

息栖神社(鯉淵町)
 朽ちた切り株からシラカシの若木が育っていました。肥料たっぷりの切り株の中は絶好の木の実のベットで発芽しやすいのでしょう。

 

住吉神社(東前2)
 これは本来の意味のひこばえでしょう。ひこばえとは、「ひこ(孫)生え」ということだそうです。

 

妙雲寺(見川2-103)
 スギの切り株の中からシダレザクラが生えているようでした。そうとう大きくなっています。

 

芳賀神社(栗崎町1677)
 スギの切り株の中からシロカシがもうだいぶ大きく育っていました。

 

六地蔵寺(六反田町767)
 スギの切り株の中に生えたコナラは一度灌木伐採されているようで、スギの切り株がなくても今の枝はひこばえといってよいのでしょう。

 

鯉淵町
 これはコナラの倒木から生えた芽のようですが、胴吹きというようです。

水戸の切り株(2)

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水戸の五叉路(9)

2019-07-24 20:44:57 | 水戸

  今回で50個を越えましたが、五叉路がたくさんあるということが実感できました。六叉路も一つありました。

ローズヴィラ水戸(堀町1444-1)南約100m

 

ローソン水戸四中入口店(元吉田町1974-2)

 

日吉神社(北側入口付近 見和)

 

元吉田町西組児童遊園(元吉田町4-18)あたり

 

㈲日之出屋(中河内町2412-1)あたり(これは六叉路です)

水戸の五叉路(8)

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徳川光圀の酒(6)

2019-07-23 20:08:10 | 水戸

 「寺で葬儀を行うときに寺が酒を勧めることは間違いだ。元来寺へは酒を門内に入れてはならない。酒は人を喜ばせるためのもので、悲しみの葬儀の場でなぜ酒を用いるのか、心ある出家は絶対にやめるべきだ。」といったことが西山公随筆にあります。西山公随筆は徳川光圀の著作となっていますが、光圀の話を家臣が筆記してまとめたもののようです。

 

 元禄9(1696)年に行われた潮来の妙行寺での酒宴で、光圀は寺の弟子から堂守にまでお酌をして、その後、地元の庄屋、檀家20人にもお酌をしてまわったそうです。日乗という坊さんの日記にあるそうです。封建時代に、元藩主がこうしたことをするのは珍しいことだったのでしょう。

 

 元禄11年(1698)に書かれ、享保7年(1722)には江戸城にも飾られたという、光圀作とされる「徳川光圀卿九ケ条禁書」という子孫に残した訓戒があります。「苦は楽の種 楽は苦の種と知べし」「小なる事は分別(ふんべつ)せよ 大なる事驚かざる事」「分別は堪忍に有と知べし」などとともに、「欲と色と酒とは敵(かたき)と知べし」があります。私の場合、大田蜀山人の「どうぞ敵にめぐりあいたい」という下の句が、つい続いて出てきてしまって困っています。ただし3つ目の敵ですが。

 

 ある寒い夜に、隠居場の西山荘で光圀が酒を飲んだとき、「まことに暖かくて春のようで、寒さを消してくれる、まったく杯の中には別に春を置いているようだ、宴会を別春会というべきだ」といったそうです。それにより、西山荘に伺候する人たちは、宴会のことを別春会というようになったそうです。

 

 花見の酒宴で「誰もできないことのできる者はいないか」と光圀が言ったものの、誰も手をあげなかったそうです。酒の酔いも手伝ってか、そのため光圀はすっかり不機嫌になってしまったそうです。家臣達が困っていると、それを見た光圀の侍医で鍼術(しんじゅつ はり)をよくした西村元春が、3間(約5.5m)離れた人の腕や足に5本の鍼を投げてさしたり、光圀の持つ絹糸に極細の鍼を差し通して光圀の希望にこたえたそうです。

徳川光圀の酒(5)

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水戸の木鼻(5)

2019-07-22 20:56:58 | 水戸

  神社の拝殿や本殿の前に向背がついています。それを支える柱の上方についている両方向の木鼻が、ともに動物である場合があります。今回はお寺も含めて、それを取り上げてみます。見ていると3種類あるようで、1つは正面が獅子で横が獏、2つは正面が獅子で横が象、3つ目は正面が獅子で横も獅子です。水戸で一番多いのは1で、少ないのは3のようです。

 

和光院不動堂(田島町415)
 本堂にある獅子と獏の木鼻です。獏の特徴は、目が丸っぽくて眉があり、耳が小さくて、体の毛が渦巻いているといったところのようです。不動堂は市の指定文化財です。

 

杉崎八幡神社(杉崎町1600)
 本殿向背にある獅子と獏の木鼻です。ここの本堂は金箔が貼られたきれいな建物でで、市の指定文化財です。

 

二所神社(大足町454)
 本殿向背にある獅子と象の木鼻です。この神社は古墳の上に建っているそうです。

 

中原不動尊(中原町786)
 本堂にある獅子と象の木鼻です。この建物の蛙股の部分にほどこされた彫刻は見て楽しいものです。 ここも市の指定文化財です。

                                                        

息栖神社(鯉淵町)
 本殿にある獅子と獅子の木鼻です。本殿には、神栖の息栖神社を長久2年(1041)に勧請したと書かれているそうです。

 

素鵞神社(上河内(かみがち)町547)
 本殿にある獅子と獅子の木鼻です。城下上市の天王町から徳川斉昭が今の地に移したという神社だそうです。

水戸の木鼻(4)

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