あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅城戸 久枝情報センター出版局このアイテムの詳細を見る |
東京駅の書店、ドキュメントコーナーで手にした。大宅賞作品。
第二次大戦の評価をめぐって揺れ動く昨今、そこに生きた人間がいた、いや、まだまだ生きていることを置き去りにした、ヒステリックな単純化された議論が展開されている。そのようなありようはどこか変だと、思えてならない。
この著作は、残留日本人孤児を父とした娘が、その父の物語を追いかけ、歴史と国とに翻弄されながら前を向いて生きている確かな足取りを記している。そしてそれを受け継ぐ自分の生きる道を強いメッセージとして伝える。強い感動とさわやかな生きる勇気を与え、余韻の強く残る作品である。このような著作を書き記した著者とその意義を高く評価した大宅賞審査委員の識見に敬意を表するばかりである。
なぜ私はこの本を書店で手にしたか。
それは次の経験があったからである。
私は今から20年前、1986年と1987年、実は中国の旧満州、中国の研究者らとともに、当時はまだ外国人立ち入りが禁止されていた吉林省、遼寧省、黒竜江省へ行った事がある。学術的に中国大陸の大地の変動調査するのが目的であった。
私たちは外国人であり、北京からの研究者とともに、それぞれの村の招待所に宿泊したので、そこに住む人々の実際の生活など知る由もなかった。しかし、調査中にかいま見える人々の様子は、春秋戦国時代や三国志の時代と何も変わらないのではないか、と強烈に思わせるものであった。しかし、岩石などの調査対象、自然の風景以外の一切の撮影は同行した共産党の人によって制止された。
道はどろんこであり、水たまりはゴミ捨て場であり、それを大きな黒い豚が食していた。
そのとき私は思った。
戦前、同じように激しく貧しかった日本の農村から、「満州に楽園あり」との作られた宣伝によって、100万を超える多くの人が移り住み、壮大な悲劇へ突き進んだ。
そして、1986年にはもう既に風化してはいたが、小さな農村のレンガ作りの家の壁に残る「毛沢東万歳!」の文字。
それは、1960年代末から70年代、中国内部で吹き荒れた嵐であり、やはり多くの悲劇を生んだ、と伝えられる。
<ああ、こんな小さな村にも文化大革命は吹き荒れたのか!>と。
そこが、残留孤児問題の舞台であったことを後に知ることとなったからである。その現場に調査に出かけた時には<専門馬鹿>であった私には知る由もなかった。そして、そこは今、また政治と歴史に翻弄されている北朝鮮からの脱出の場である。
<先週、20年ぶりに北京に仕事で出かけ、一昨日帰国したが、驚くべき変化に目を見張った!>。