楽学天真のRead & Think

読書はこころの泉。
目がかすれるほどに読みたくなる。
私の乱読記録として、このサイトを再開する。

論語 第1部 孔子の生涯

2019-09-02 09:43:59 | 読書

論語 第1部 孔子の生涯

 私も古稀が近づき、人生の黄昏にさしかかっている。理系バカの私は、文系であれば恐らく基本である漢文や漢詩が大の苦手。50年前、高校一年で登場した段階で早くも脱落したまま「読まず、聞かず、言わず」で来た。しかし、明治初期に時代を開き、国を担った若者たちは、儒学を学んだ江戸時代の下級武士や庄屋名主の類の上層農民出身がほとんどであった。そこで、人生の締めくくり方を学ぶためにも「論語」に接することにした。ゆっくりと。

 この書は、論語に熟知した著者が、これから人生を始める子たちへ向けて記されているので、分かり易い! 若い時代にこのような書、あるいは教育に出会ったいたら人生も全く違ったもの、あるいは更なる深みのあるものになっていたかもしれない。と、嘆いていても、始まらない。

そのような事柄は他にも山のようにあるのだから。

 もっとも有名な

 15にして学を志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳したがう。70にして心欲するところ、外れなし。

って、孔子が亡くなる(72歳)前の彼の人生の振り返り。

孔子が生きたのは今から2500年以上も前、日本では弥生時代が始まる頃のこと。日本列島には文字もなく、原日本人の縄文人があちこちにいた時代のことである。その時代に、現代人とほとんど変わらない心を持った人がいたこと、それが巡り巡って今へ伝わっていること、そのことに改めての驚きがある

この驚きを高校生の時にもっと深く知っておきたかった。でも知らなかったからこそ人生を歩めたという側面もあるかもしれない。論語のいう十年刻みの振り返りで、別途整理し、それを残しておこうとまずは改めて思った次第。

 

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海辺のカフカ

2019-08-31 08:42:19 | 読書

海辺のカフカ

2ヶ月程度かけて、通勤時の信号待ち時間などを繋いで読み終えた。

舞台が、高松の施設図書館らしき場面が舞台。東京から徳島、そしておそらく津田の松原を抜けて運命の出会いに到るまでの場が、かつて過ごした讃岐の空気が蘇る。人は、皆それぞれが別世界のマイノリティーに生き、彼岸(あの世)も我岸(この世)も超えた世界の共有に最後の安らぎを得る。村上春樹がなぜこんなにも受けているのか、若い時に周りではざわめいているのに関心もなく、関心を持とうともしなかった。しかし1Q86を読んで以来、これだ!と思い、村上の全著作を、相当に遅ればせながらも読んだ。彼の作には最後に救いがあるので、それを求めて読みたくなるのだと、1読者になり切った。場面を飽きさせずつなぐ。サスペンスと人のつながりを求めるロマンと夢の世界のファンタジーをつなぐ世界。次は、ノルウェーの森をまたゆっくり読もう。

それにしても文庫本は目に辛い。

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サバイバル組織術 佐藤優

2019-08-31 07:57:59 | 読書

 

風貌が怪しげである(失礼!)が、堀の内を経験した人であるが故に筆は鋭い。自分の読書感想を使いながら人間社会のつながりなしにしか生きられない人と組織を論ずる。組織も結局人で決まる。社会的動物としての性と生存本能に裏打ちされた人間。幼き時から老い、そして世を去るまで苛まれる組織と人間の問題、永遠のテーマである。

 私も還暦を過ぎ、定年退職を過ぎ、定年後の研究費の継続を背景とした臨時雇用も終わり、様々な組織も古希を前に終了しようとしている。そのどうしようもない過ぎゆく時間をどのように生きるべきか。おそらく多くの人が抱えているテーマなのだろう。様々に関わってきた組織と自分、何を残して去っていくべきか、そのような動機で本書を手に取った。人間関係を3区分せよ。

 

それぞれの関わりにおいてA,B.Cという具体例を挙げてのメッセージは印象的であった。これは決して口に出せるような事柄ではないが重要だ。

私は、人間関係を家族を含めたプライベート、研究活動、そして学界を含めたコミュニティーと3区分している。それらの人間関係を更に濃厚に応じて3区分するのが良いということらしい。ポイントはそれらの濃淡は経験を通して流動して行くということである。きちんと整理して粛々と、と勇気をいただいた。

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ことば (6)純文章

2012-07-20 05:03:59 | 読書
自分づくりの文章術 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房



純文章
 文芸評論家の清水良典氏「自分づくりの文章術」(ちくま新書)の中に純文章に注目せよと主張されている。清水氏は文芸評論家であり、私は小説等をほとんど読まない人間である。が、なぜか大変迫って来る。本棚にたくさん積んであった文章術本の中で斉藤孝氏に従い、線を引き付箋をつけて読んだ。


 そして、本書読書後、もはや人生に残された時間は少ないのであるが、このような視点でたくさんの文芸作品を読んでみたいと思うようになった。
 夜の地球を人工衛星から眺めた映像を見ると、人の住む街が光り、それがネットワークのように地球を覆う。それは清清水氏的視点、いやそこに引用されているSFの傑作「マトリックス」的視点からいうと言葉と文章の四次元空間といえる。清水氏が地球映像を引用していたわけではないが、その部分を読んだ時に私の中に浮かんだ映像だ。そこにはあらゆる情報が言葉として行き交って点滅している。そこには文章のジャンルわけもなければ、当然にも日本語だけではない。
 その言葉の構成要素が、単語の壁をちょっと超えた「純文章」。そこに注目せよというのが清水氏の主張である。文芸の世界は、小説、エッセイ、随筆、詩、紀行、ドキュメント・・などジャンヌ区分がややこしい。それを超えて「純文章」という視点から文芸全体の世界を再俯瞰、再構成したいというのが清水氏の野望だ。


そのエッセンスは、


自分にしか書けないことを、
だれが読んでもわかるように書く。
 それを発見すること、味わうこと、評価すること、そしてさらに自ら書くこと・・「純文章」による「自分づくり」(同書212頁)をしなさいと奨励している。徒然草のような断章の累積のすすめである。
 「文は人なり」ではなく「人は文なり」であり、「奴隷の作文」から解放されなさい、という主張。実に明快。この著者は時間を見つけてフォローしたいと思わせてくれた。

(つづく)
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ことば (3)斉藤孝の文章術

2012-07-17 23:33:05 | 読書
原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)
クリエーター情報なし
大和書房



 この人の本で私の書棚にあるものを拾い上げてみると、読書力(岩波新書二〇〇二)、原稿用紙一〇枚を書く力(だいわ文庫二〇〇七)、誰も教えてくれない人を動かす文章術(講談社現代新書、二〇一〇)がある。その他にも教育に関する本や歴史に関するものもある。マスコミにも登場する有名人でもあり、一般向けのブログをはじめた時に本のタイトルに惹かれて、書店で思わず買ってしまったものだ。氏の記す文章の書き方に関する示唆は、ほとんど英語でしか書かない論文の執筆にも十分通ずる。そのことは後でまた記すとしよう。
 斉藤氏の示唆は、学界などで書かねばならないメッセージやレジュメ、大学における会議のための文書、科学研究費の申請書などの全てに通ずるので大変参考になる。時々、読み返してはいまでも参考にさせていただいている。
 氏の示唆に従って、私が前記の文章術三部作から使わせていただいている3つのことがらについて記そう。
 まず前提として、文章の説得性は、その技巧ではなく中身であり、独創のメッセージがそこにあるかどうかによるという。当たり前のようであるのだが、日本語のへたくそな私としては大変勇気を与えられる。
 技巧ではなく中身重視は、絵画世界において、フランス印象派がそれまでの写実世界を打ち破ったことに似ており、印象派の絵を当時の常識的な絵画技巧の世界では誰もうまいとは認めなかったことと同じだと言うのだ。なんとも小気味好く勇気づけられる一言だろうか。
 結論は、「文章は3の法則」ということだ(書く力,だいわ文庫)。
 本を読む時は、その本から3つの事柄を引き出し、それらの関連を整理しておく。書く時も3つの部、3つの章、3つの節と階層を作り、エッセイ程度のものから大著に至るまで貫く。
 文章は、3つのキーコンセプト(キーワード)をつなぐ3つの関係を整理すると必ずオリジナルな読書エッセイや、独創的なメッセージとなる。
そして著者の文章を特徴づける「文体」は、その文章を書く立ち位置によって決まるというのだ(「読書力」:岩波書店)。
つづく
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