楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

日本最後の石炭と高校生

2006-10-30 12:12:27 | 教育
 今日東京駅丸の内で修学旅行とおぼしき高校生が何やら配布していた。手に取ると「釧路発!!石炭」と書かれた、プラスチックケースに入った石炭である。

そこはついに日本で最後の炭坑となってしまった!この釧路の大地は私が昔、卒論、修論と歩き回ったところでもある。懐かしさが胸に込み上げて来た。霧にむせび、夏でもストーブを焚いた釧路。凍てつく霧氷の朝に乱舞する丹頂。昔、歩き回った釧路湿原の地のメモリーがフラッシュバックした。思わず引率する先生に近づき、しばし話をしてしまった。

 ほおの赤い高校生が一生懸命、「石炭」を配っている姿も感動ものである。彼らのふるさとは釧路湿原という雄大な自然に恵まれている、しかしこれからは厳しい冬に向かう。めげずにふるさとのすばらしさを豊かな人生の糧として未来に羽ばたいて欲しい。すばらしい釧路武修館高校、修学旅行の企画である。感動と思い出をありがとう。

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人斬り以蔵(1)

2006-10-29 17:52:14 | 読書
人斬り以蔵

新潮社

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司馬遼太郎30代の短編集
 司馬は変人奇人の類いに興味がそそられる趣旨をどこかで書いていた。しかも身分が低くかつ歴史の舞台で瞬間で消えていった逸材。最初は大村益次郎。あいさつもできない、暴慢無礼。しかし、意思は貫き通し、近代戦争として明治維新を担うも、その傲慢無礼が講じて、維新後暗殺される。研究者にもこの類は多い。科学の革命期には大活躍できるが、定常科学の世界では生きていけない。それにしても、司馬はこの人を通じて何を訴えたかったのか。昭和30年代、戦後も安定期を迎え、高度成長期に向かう前夜である。人は多様であり、活躍できる時期を見失うな、という奇人変人へのメッセージ?それともあらゆる人材を生かせという、使う側へのメッセージ?あるいは所詮、人の調和は一瞬であるという、所業無常のメッセージ?
 岡田以蔵もしかり、今テレビドラマで進行中の「功名が辻」山口一豊によって、滅びた長宗我部の家臣は郷士、以蔵はさらに下の足軽。そのような出自と身分を超えた理想を掲げつつ、結局はそれに引きずられ、心深いところでは身分差別がしみついていた土佐勤王党、武市半平太と共に、最後は国も土佐も大逆流の嵐の中で消えていく。身分の卑屈と傲慢を超えられないことが、結局命を奪う。司馬は何を言いたい?所詮、そんなもの。あるいは、それをなんとかしようと人間はもがき、時間切れとなる?そして代を重ねて同じことが繰り返される。殺したり殺されたりの激動は、そのような動きを劇的に、かつ一気にすすめるが、所詮、平和であっても変わらないと言いたいのだろうか?戦後10年を経た時の司馬のメッセージはなんであるのだろうか?
 まだ短編2編である。先を読みながら、考えてみよう。
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ユンソン(儒城)

2006-10-27 10:35:52 | 

一昨日より韓国中部の温泉都市、ユンソン(儒城)にいる。韓国の筑波といわれるように多くの研究所が集中しているところでもある。韓国の私の専門分野の学会での講演を依頼されたので来た。韓国は初めてである。既に紅葉で樹木はみごとに色づいている。有名な温泉地であるというのに、毎日飲み会で、温泉につかる暇もなく、周辺を観光する暇もなく、本日の午後には帰国である。様々な看板がハングルであることと、車が反対側を走っていることをのぞけば、日本と何も変わらない。歩いている人の服装も何も変わらない。女性の茶髪の少なさを除けばである。やはり黒髪の方が落ち着いていいね。渋谷のガングロ山姥系はこの町にはいない。いい風景だ。


 
 このような旅ばかりだね、本当にいつも。韓国は日韓の摩擦や、一方で私も好きな韓国ドラマのブレークや、最近の北朝鮮問題と、関心にことかかない所でもあり、歴史に関わる探訪もぜひしたかったのであるがなにせ時間がなさ過ぎる。残念である。
 しかし、来年春にはこの学会の創立60周年ということで、また招待されたので、その時こそは少々時間を取って、歩きたいものである。
 
さて、そこで記すことは夜の宴会にしよう。焼き肉と焼酎「真露」を前にした、座り席による大宴会。客分として上座にいるので、少々居心地が悪く、盛り上がっているところに近づきたくても近づけない。でも、日本の学会と同じく2次会、3次会とつづく。2次会はジャズパブ。3次会はカラオケ。3次会はこちらにいる日本人の若者(学生とポスドク)をつれて、韓国人たちがうたっているカラオケへなだれ込む。午前1時まで大盛り上がりで歌いまくった。ケイウンスク「すずめの涙」、「釜山港へ帰れ」。韓国の歌は全くわからないが、日本の若者向けの歌より、私にはリズムとメロディーがなじみやすい。歌詞との調和がわかればのめり込めるな、これ。とおもいつつ。昼間の付き合いと、夜の付き合いは限界状態。ホテルに帰り、温泉どころではなく、バタンキューである。

 しかし、これで国際交流の重要なきっかけができた。帰国後すぐに、日本側の学会に正式な日韓関係構築継続のため、年寄りから若者へ至る太い連携のための組織作りをお願いしようと思う。アメリカや欧州ばかりに目がいきがちな日本において、本当に近いアジアの隣国を大事にしなければならない。不幸な歴史を超えて。

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大学教員の昇進:アメリカの1大学の例

2006-10-20 20:10:15 | 科学
世に「大学教授になる方法」などと称する本が出ているが、時々外国の大学の昇進のための評価をお願いされる。日本でも昇進や採用にあたり、そのような外部評価を行うところが多くなりつつある。今日、また1件頼まれた。
評価に際しては、その基準が公開されているのがアメリカでは一般的である。それを紹介してみよう。このような基準に関して日本では公開されていないことがほとんどであるが、民主主義の国、アメリカではそのような不透明性は許されない。不明朗な人事は日本では減少していると信じたいが、アメリカほどの透明性からはほど遠い。
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○○大学における昇進とテニュア(自己申告退職まで身分が保障される永年職のこと)の基準
昇進とテニュア推薦委員会は、推薦を以下の基準にて実施する。推薦は教員の研究、教育、学界への貢献の定量的定性的評価を考慮して行う。
 評価で最も重要なことは、個人の科学的あるいは産業、そして教育へのインパクトである。教育は学生、同僚、教室のプログラム、そして専門領域におけるインパクトである。昇進のねらいは、学術的仕事における卓抜さをたたえ、促進し、もって教室の名声を高くすることにある。委員会の推薦は、先任順ではなく、メリットベースである。

 助手に昇進する、あるいは雇用される人は、明確に突き抜けている能力とパフォーマンスを有するものをのぞいて、普通は博士の学位を有しなければならない。教育と研究においてはっきりとした能力を有しなければならない。さらに明確な将来性と引き続く成長が見込まれなければならない。

 助教授への推薦者は、すべてにおいて高度の質を有しなければならない。加えて、研究の達成度と教育に関して、学生と専門家による評価によって、国の名声を博する卓抜した研究者と教育者になる潜在性を有することが、証明されなければならない。
 
 教授への昇進は、国中にはっきりと認識される確立した研究者であること、すばらしい教育者であること、が必須である。ある分野で超一流であれば、それは他を補償すると考える。研究に隣接する大学レベルのあるいは国レベルの科学に関する政治的意思決定過程への明確な能力は歓迎する。
 テニュアの推薦は個々の研究の到達点、教室と大学への貢献への潜在性に基づくメリットベースである。
 外部審査者による評価書は教室の長によって確保し、助教授、教授への昇進、あるいはテニュアへの推薦とともに添付されなければならない。
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さて皆さん、周りをみていかがかな?

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科学と未来予測

2006-10-17 03:12:36 | 科学
 科学の最も苦手とすること、それは未来予測。しかし、最も求められることも未来予測。工学的な事柄は自然の一部を切り取った法則を使って、その枠内で忠実に再現できるので極めて役に立ち、産業革命以来、大ブレークした。しかし、自然現象そのものの未来予測は全くおぼつかない。かろうじて天気予報。しかし、長期予報はほとんどあてにならない。地震予知など夢の夢。しかし、その夢に向かって科学者の努力は続く。昨日は、その迫られる未来予測のからむ会議が終日。10万年や100万年まで考えろという。かろうじて10万年程度の自然の未来なら少し見える。でも考えると、1万年前は原始時代。2000年前はローマ帝国、漢帝国。1000年前は日本でいうと平安時代。500年前は戦国時代。その時の流れを考えると、人類社会は予測不能。10万年後は本当に絶滅しているかもしれないね。でも自然現象はおそらくそんなに変わらない。山がちょっと高くなったり、低くなったりする程度。人類消えて山河あり、なんてね。しかし100万年などはおぼつかない。山の形も海の形も大きく変わってしまうしね。生命の進化を遂げているし。
それなのに、そんな未来まで科学で予測せよ、と迫る。なんなのこれ?
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