楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

他人を許せないサル

2006-08-28 13:56:28 | 読書
他人を許せないサル

講談社

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この週末に読んだブルーバックスの最新版。ブルーバックスといえば自然科学の普及本というのが定番であり、私もかなり読ませていただいた。この本は自然科学というより、現代社会や人間をサル研究者の視点から述べたもの。著者の年齢が私に近いこともあり、実に良く分かる。「Always 3丁目夕日」「寅さん」が何故その世代のノスタルジーを超えてはやるのか、今の若者は何に飢えているのか、そしてこのインターネット時代がどう進んでいくのか、一歩引いた観察が、さすが猿学研究者である。さみしい人間の疑似血縁家族を求める心、それが根底に流れている、との指摘は正しいのであろう。
ただ、私は「日本人は、日本人はーー」との記述の多さが少々引っかかった。外国人との付き合いの経験から考えると、彼らがそれほど違うとはとても思えないのだか。
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もういやだ大学院(2) わが体験記

2006-08-27 09:38:22 | 教育
raraさん、コメントありがとうございます。本当に一歩引くって大事ですね。余裕がなくなるとますます負の思考スパイラルになる。さて、「もういやだ大学院、私の体験記」を記してみよう。人のおかれた状況は皆異なり、パターンなどはない。でも人の体験記は参考になる場合もあるかもしれない。
 私は修士時代がもっとも苦しく、追いつめられつらい時代であった。
学部学生時代のことはまた書くとして、大学院へいくべきかどうかはいろいろ悩んだが勇んで進学した。そこでの研究課題は卒業論文の延長であった。その課題は卒論選択の時に悩んだり相談したりした結果として選んだものであった。しかし、卒論は必ずしも納得のいくものではなかった。そして修士の間も、とにかく手足を動かしてデータが蓄積されてくれば何かが見えてくるはずだ、と思いながら続けた。しかし、なかなか見えてこない。見えた!と思ってもすぐその先を考えるとまた行き詰まる。そんなことが2年間つづいた。そしていよいよ修士論文締め切りが近づいてくる。もはや夜も眠られないほどに追いつめられてくる。先輩達は「あいつはもう通らないかもしれない」とうわさしていた、と後で聞いた。最後の年末と正月は本当に不眠不休。実験室と院生の部屋との間の階段を登ったり、降りたり大量のデータの蓄積が進んだ。そして何となく様になるグラフが出来上がった。結果はオーライであり、私は博士課程へすすんだ。
 でも、その後に博士で何をなすべきか、本当にこれでいいのか?こんな苦しいものなのか研究は、と真剣に考えた。そして私は決意した。もう一度ゼロからやり直すと。博士課程の時限は3年。しかし、私は手法を変え、ある意味で専門を変えることとした。そのためには最初から勉強しなければならない。修士課程からやり直すつもりで5年は掛ける、と決意した。先など全く見えない。指導者も近くにいない。当時も博士課程を終えても就職のないオーバードクター問題があった。今ほど深刻ではないが先輩達に取っては深刻な問題としてのしかかっていた。博士にはなっても何の保証もないのである。かれらはただただ研究をしたいという思いだけで生きている、世間的には特殊な人種の集まりであった。<お前もその変人の仲間になるのか?>と自問自答を繰り返したが、<一度しかない人生だ、後で後悔したくない>と思った。
 その当時私にはすでに大学1年のときからつきあっている女性がいた。学部を卒業する時、親に結婚したいといったら一括された。「これから大学院へいこうと言う時に何をいうか!すねかじりの分際で!」その通りだと思った。それからさらに2年経っていた。しかし、今度はさらに5年かける決意をしたのである。もう彼女を待たせる訳にはいかなかった。私も待てなかった。修士の間は、ほとんど親の援助なしに過ごせたので、ついに親もあきらめた。全ての人生のセットアップができあがった。
何も先の見えない、貧乏生活開始の決意であったが、自分で決意したというさわやかさがあった。そして1年、死ぬ気で新しい課題に取り組んだ。そして面白さが見えてきた。それを論文として公表できたときは本当にうれしさがこみ上げた。もう研究生活からは抜けられない、人生を歩み始めていた。そして予定したより1年早く4年目に、博士の学位を余裕を持って、自信をもって発表できるところまで攻め切ることができた。
 私のこの研究の苦しさからの脱却の教訓は、人の振りを見てそれの合わせていると、何をしていいかわからず追いつめられ、閉じ込められる。ぎりぎりまで自分の思いで人生を設計する、そして決意したらすぐに実行に移すことによってのみ道は開かれる、ということであった。若いときの時間は長い、ときには振り返り、時にはゼロからの再出発もいいのである。3年や4年どうということない。急がば回れ、というからね。
 私はいまでも、急がば回れ、をやってる。年とともにだんだんとグルグル同じところを回っているけれどね。それでもいいや、と思っている。先へ行きたい奴は先へ行け、おれはゆくっりがいいや、とね。
コメント (4)
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「もういやだ大学院」の君へ (1)

2006-08-24 11:09:16 | 人間
 このブログに乗せる写真を大きくしたいのでgoo blogアドバンスにしたが、そのアクセス解析によってどのような検索ワードで私のところに訪れてもらっているかが分かる。コメントやトラックバックがなくてもそのことが励みとなって書き続けている。今朝起きて、気になる検索キーワードがあった。「もういやだ 大学院」である。とても悲しい気分になった。ひょっとすると私のところの学生ではないか?とさえ思えてくる。
 ちょっと前までの若い私ならば、研究こそ人生の全てと思っていたので、アジって、アジって(アジる、とはアジテーションをする、すなわち熱い演説調の話し方をすること)「ほらほら研究ってこんなに面白いだろ!」というに違いない。でも今はちょっと違う。

人生には実にいろいろあると思うし、「もう一度人生をやるとしたら何をやりたい?」ってマジに聞かれたら本当に迷ってしまう。

<研究を1からやり直してみたい>っていうのが一番熱いかも、やはり。これが安全パイであり、やってみたいこと、知りたいことが山のようにある。年を重ねるごとに大きくなる。そしてそのための時間も足りない。もう一度、人生があればそれだ!

でも他に
<子供の頃、なりたいなと思って、そんなもんじゃ飯は食えない!と親に一括された「絵描き」もいいな~>
小学校低学年の頃、本当に好きで好きで図画工作の時間が待ち遠しかった。でも、高学年になるとたまにしかうまく描くなくなって、でもそのたまにうまく描けたときのうれしさがたまらなくて親に言ったら一括されてしまったんだった。大学生になってフラット旅をして、列車のデッキから流れる風景をデッサンで切り取った時はいいぞと思った。ロシアでの長い長い待ち時間、絵を描いているとそんな時間気にもならず、<ん!うまく描けたロシアの車>なんてね。いい世界だよな「絵を描くって」と思う。

<今度こそ、運動でいつも一番前を走り、オリンピックにでも出たい>
私は子供の頃、病気をしたので運動会はいつも苦痛。でも一度だけ、障害物競走で一番になったことがある。網をくぐる時に前を走ったものたちが絡まって大慌て脱出不能の大パニック!一番後ろからのろのろいっていた私は、<お!あそこが通れるではないか>とするする抜け、誰もいないうちにゴールイン!ウサギに勝つ亀の話は大好きだった。<一番て気分がいいね>とそれから何度も夢に見たな。今度の人生はこれもいいな!

<子供の頃、いくら練習してもうまくならなかったピアノ、今度の人生では3歳くらいからはじめて作曲家!学生の頃、勝手に曲を作って一人酔っていたあの世界もいいな>
恋をしている時など、ピアノを引いていると、楽譜なんかいらない。自分の好きな勝手なメロディーとリズムで、強く叩いたり弱く弾いたり。実らない恋が音楽の中で成就していく、なんて最高だよね。やっぱり作曲家!いまはただのカラオケおやじだがね。

<田舎で広大な土地を買って、そこを花で埋め尽くす!花園農園の経営>
花って、本当にいいね。水をやりすぎても枯れる。やらなくとも枯れる。肥料をやりすぎても枯れる。やらないと、か細くなる、でもそれはそれで盆栽という世界もある。人間の勝手な思いだけでは、いとも簡単に死んでしまう。でも人の思いやりが通じた時、一面満開の花になる。これって絶対に止められなくなるに違いないと思う。

<本を読みあさり、考え続ける哲学者あるいは読書評論家>
本屋へ行くと山のように溢れる本。古本屋へ行くと絶望的に多い、本の数。絶対に人生全てを費やしても読み切れない。でも全部読みたい!そして偉大な哲学者たちのように、自然とは世界とは歴史とは人間とは政治とは経済とは言語とは全てを知り尽くしたい。悩んで悩んで、<お!そうか!>と気がつく喜び、それを味わってみたい。

なんてね。私はやりたいことがありすぎて、次の?人生まで夢見てる。

そのやりたい夢と今の自分のいる場所の関係を見つけられると、いいのだけれどね。「もういやだ!今のいるところ」と逃げるのも手ではあるが、一歩引いて今の自分の居所を見つめてみて「今、いるところも精一杯生きてみる」とすると無駄にならないね。そしてもっと夢に向かって歩む力にもなるね。逃げてみるのもありだと思うけれど、人生逃げ癖がつくとまずいしね。逃げるのではなく夢に向かって「今って、ここってなに?」がいいのかもね。人生死ぬ時の瞬間まで夢を見ることができる、と思ってる楽学天真です。
次回は私の大学院時代の苦しみ、楽しみを記そうかな、と思う。


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怒りは敗北者の烙印

2006-08-22 22:58:12 | 人間
長旅の後、我が家に帰る前に立ち寄った本屋。サンガ新書?聞いたことがない出版社である。見るとこの本が3冊目だ。
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉

サンガ

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タイトルに引かれて思わず買ってしまう。これからまた忙しい日々がはじまる。ちょっとしたささいなことで起こるトラブル。その時の人と自分の「怒り」を避けたい、と思う心が手を伸ばさせた。
 私は亡くなった三浦綾子や学生に教えられて遠藤周作の小説など多く読んだが、宗教の信心とは無縁である。しかし、人類史を考える時、宗教は人口が爆発的に増え、その見返りとして戦さなどによって多くの人が死ぬ時に生まれた。社会の安定と人心の安定に大きな役割を果たしたものであることも間違いない。現在の中東のように4,000年を超えても1,000年を超えても解決しない根深い宗教紛争の根にもなってはいるのだが。
 この本のメッセージ「笑いは強者の証明、怒りは敗者の烙印」は重い。
自分の心の「怒り」とどう向き合うか?それが基本だと言う。久々にhow toを超えた本に出会った。実践は並大抵ではないが、少なくとも昨日、今日は役に立った。「む!」とした時に<これは怒りだ!>と思えた。明日もあさっても、そして毎日できれば本ものへ少しでもちかづくのであろうか?
 年を重ねて頑固な「切れおやじ」ってなりたくないからね。教授の怒りは刃物だしね。
切れ易い皆さん!この本、読むといいかもしれませんよ。切れた後って後味が悪くてね。この本の言う通りです。
「切れる、怒る」から一緒に脱出しましょう。そして笑いましょう。
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小さき「よさこいソーラン」

2006-08-20 02:50:04 | 人間
この夏、あえてお祭りにいったりする時間はなかった。しかし、遭遇した2つのお祭りでこどもや家族が出て踊る「よさこいソーラン」は本当にかわいい。踊る家族の暖かさ、いいまとまりである。きっといい思い出をつくるのだろうな、とおもう。
見ていてもわくわくするね。

千葉県浦安市で

樹海の町、北海道日高町で


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