楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

「科学者の行動規範」を読む(3)

2017-02-28 06:04:40 | 社会

科学者の行動規範を読む(3)

平成23 年3 月11 日に発生した東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故は、科学者が真
に社会からの信頼と負託に応えてきたかについて反省を迫ると共に、被災地域の復興と日本の再生に向
けて科学者が総力をあげて取り組むべき課題を提示した。さらに、科学がその健全な発達・発展によっ
て、より豊かな人間社会の実現に寄与するためには、科学者が社会に対する説明責任を果たし、科学と
社会、そして政策立案・決定者との健全な関係の構築と維持に自覚的に参画すると同時に、その行動を自
ら厳正に律するための倫理規範を確立する必要がある。科学者の倫理は、社会が科学への理解を示し、
対話を求めるための基本的枠組みでもある。


「平成23 年3 月11 日に発生した東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故は、科学者が真
に社会からの信頼と負託に応えてきたかについて反省を迫ると共に、被災地域の復興と日本の再生に向
けて科学者が総力をあげて取り組むべき課題を提示した。」

これは、科学者自身が「想定外」と発言したり、福島原発事故に絡む、SPEED問題、原発設計やそのあと始末を巡り、未だに不信を拭い去り切れていないことをいう。それでもそこから脱却するには科学の力、科学者の総力が求められているのもまた間違いない。

さらに、科学がその健全な発達・発展によって、より豊かな人間社会の実現に寄与するためには、科学者が社会に対する説明責任を果たし、科学と社会、そして政策立案・決定者との健全な関係の構築と維持に自覚的に参画すると同時に、その行動を自ら厳正に律するための倫理規範を確立する必要がある。

ここも区切ってみよう。

より豊かな人間社会の実現
「豊か」衣食住の充足、肉体的健康、精神的安心、安定ということだろう。

「科学がその健全な発達・発展によって---寄与する」


自然から切り取った知識の体系(=科学)が「健全な発展・発達」とは?

知識が拡大・深化するだけではいけないのか?自然科学が中立的だとすると、その広がりと深さはバランスよく発達。発展することが重要で、「健全」とはそのバランスのことを言う。それは一見、人間社会に役立たないことも含むだろう。なぜなら中立だから。役に立つ「科学」だけを「健全」と呼ぶとバランスが崩れ、結果として「科学の発展」を阻害するかもしれない。したがって、この「科学がその健全な発達・発展によって-」の部分の「健全」は不要かもしれない。

科学者が社会に対する説明責任を果たし、科学と社会、そして政策立案・決定者との健全な関係の構築と維持に自覚的に参画する

科学者(新たな知識とその体系を生み出すことを職業とする者」は、自覚的、積極的に社会とコミットせよということ。
現在、大学進学率は約50%。そのうち理系は20%(?)。そして職業として科学を担う者は更に少ない。それらが、新たに得た難解な知識を社会へ説明することは、欠かせない。なぜなら多くの科学者は税金によって研究活動をしているから。政策立案・決定者は特に大事。なぜなら、「豊かな人間社会の実現」には彼らが直接影響を持つから。
ともすると、知識拡大深化にのめり込み、「象牙の塔」に篭りがちな科学者への注意喚起だ。ここには同意。だから私もこのブログで思いの一端を記している。

「その行動を自ら厳正に律するための倫理規範を確立する必要がある」
ここも同意。組織はもちろんのこと、個人レベルまでこの規範を念頭におけるように常に心がけなければならない。すべての大学、機関、や学会などに行動規範や倫理規定はあるだろうか?


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「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(2)

2017-02-26 10:45:29 | 科学
「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(2) 第2段落

一方、科学と科学研究は社会と共に、そして社会のためにある。したがって、科学の自由と科学者の主体的な判断に基づく研究活動は、社会からの信頼と負託を前提として、初めて社会的認知を得る。ここでいう「科学者」とは、所属する機関に関わらず、人文・社会科学から自然科学までを包含するすべての学術分野において、新たな知識を生み出す活動、あるいは科学的な知識の利活用に従事する研究者、専門職業者を意味する。

「科学と科学研究は社会と共に、そして社会のためにある。」
を自然科学について考えるならば、

>「自然そのものの一部を切り取った知識の体系」とその「新たな知識を生み出す行為」は、社会と共に--ある。そして社会のためにある。
となる。
 この時の社会は、人間社会だとして、国際社会?日本社会?から地域社会、家族社会に至るまで様々なスケールとして読めるということか。しかし、これだと人間中心主義すぎる。環境論の中には、その人間社会もより包摂的な自然全体のシステムの中で人間圏として捉えようという論もある。ここでいう社会は、どのレベル? どのようなことまでイメージしているのか?

「科学の自由と科学者の主体的な判断に基づく研究活動は、社会からの信頼と負託を前提として、初めて社会的認知を得る。」
前段は区切り、主客逆転させると、「研究活動は、科学の自由と科学者の主体的な判断に基づく」となる。

では、
「科学の自由」
とは
「自然の知識の体系(=自然科学)の自由」と 置き換えられる。
自然科学以外の知識の体系、例えば宗教とか、政治とか、経済とか、には拘束されないということ。
でも、政治学とか経済学も科学(社会科学)と読んでしまえば広がりすぎてわからなくなる。学術会議は人文社会系も含んでいるので、そのつもりと思う。でもそうするとわかりにくくなる。知識以外のものからの自由ということか?例えば、カント流に言えば、情知理の情。

「科学者の主体的な判断」
科学者(=科学研究をする人間)が、自分の頭(主体)で、考えるということ。これは当然のこと。研究活動のテーマも方法も、出発は「個人」としての研究者。でも出口は、個人とは限らない。

「社会的認知を得る。」
これは、先の記した様々なスケールの社会に、研究活動のテーマ、方法、結果、考察まで含む研究活動が認められ、知られるということ。

「社会からの信頼と負託を前提」
これは、研究活動の前段部分のテーマ設定、方法、に軸足を置いた文章。資金の出処を含め、テーマ設定、方法、そして結果が、完全に秘密のペールで個人に閉じた研究は、学術会議の定義する研究活動には含められない。社会からも認知されない。

「ここでいう「科学者」とは、所属する機関に関わらず、人文・社会科学から自然科学までを包含するすべての学術分野」
やはり、もっとも広く定義している。

「新たな知識を生み出す活動」、
狭めて、これを科学者、そして
「あるいは科学的な知識の利活用に従事する研究者」
これを技術者と定義し、科学・技術と中に点を入れる議論が根強い。特に理学系の研究者が強調。私もいつも、意識してこの点を入れている。
「専門職業者を意味する。」
研究活動によって食んでいる、ということ。趣味や興味で研究に勤しんでいる人のことではない。プロとアマチュアの違い。アマチュアでは知識を生み出さない、あるいは利活用できないということではない。
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「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(1)

2017-02-24 07:23:38 | 社会
「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(1)

パラグラフごとに読もうと思う。

学術会議は、2005よりの新しい選出体制ー選挙ではなく自ら後継者を選ぶのでtop-downともいえるco-optation方式の下でのー学術会議が作成したということ。当時の時代の意気込みを反映している。

 そして2011年、東北地震津波での科学・技術の権威の失墜、小保方騒動など、生命科学での捏造の頻発を背景に改定した。このことは、規範自体が、時代の要請や新しい事態に即して、常に更新されていくものということを示している。100年後に残っている本質部分は時代を超えた規範に近づく、という程度の認識で読もうと思う。経典であってはならない。

平成18 年(2006 年)10 月3日制定
平成25 年(2013 年)1月25 日改訂



科 学 者 の 行 動 規 範
日 本 学 術 会 議

科学は、合理と実証を旨として営々と築かれる知識の体系であり、人類が共有するかけがえのない資産でもある。

「科学は、合理と実証を旨」

自然科学は、人間を含めて自然そのものの一部を切り取った知識の体系のこと。合理とは、第一原理の上に築かれる、論理の筋が通っていること、実証とは、それが事実(自然そのもの)によって証明されること。検証とは違う。ちなみに検証は、帰納的仮説と演繹的仮説が、証明されることであり、それは実験方法であったり、論理方法であったりしても良い。
理解・同意

「営々と築かれる知識の体系」
全人類史の時間長さを持って築かれた、これからも築くということ。
理解。同意

「人類が共有するかけがえのない資産」
独占したりしてはいけないということ。エジプト、アレキサンドリア図書館の悲劇や、焚書坑儒のようなことは絶対にあってはならないということ。
理解。同意

続く
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2013 科学者の行動規範改訂版

2017-02-23 12:56:45 | 社会
世の中がきな臭くなってきていると誰しも感ずるようになってきたと思う。
そして、その未来不安を払拭する基礎として、科学・技術への期待があるはずだが、20世紀のように輝いては見えない。
でも、そこにすがらなければ世の中は一層の混沌の中に進みそうだ。


いま日本学術会議で、安全保障と学術の関係が検討されている。
その議論の全てが、テレビ会議の中断場面も含めて、全面的に公開されている。
資料は膨大だが、地球科学は、寺田寅彦も軍事研究に手を染め、中谷宇吉郎は戦後米軍からも研究費用をもらい、坪井忠二は、無頓着な研究者と、戦後批判にさらされた。
そして、戦争目的の研究はしない、させない、反対だ、という空気が定着して七十年が過ぎた。
私は、寺田寅彦も仲谷宇吉郎も坪井忠二も科學的には大変大きな貢献をしたと思っている。
それらは政治的なところでどのような意見を持っていたかとは別なことだ。
このことがきちんと整理されて議論はされているのであろうか、ぱっと見のマスコミの論評ではわからない。

デュアルユース(軍民どちらにも使える科学技術)に対する議論が膨れ上がってきた。

今年の地球惑星科学連合大会では、この件を議論するという。
少々腰を据えて勉強しようと思う。なにせ地球観測は、戦争の裏側で進んできたし、今も進んでいるのは間違いないのだから。
「やーめた、やーらない」といって遠ざかっても自己満足に過ぎず、科学と技術に責任を持っているとはいえない。
逃げずにきちんと論理を整理しておくことが大事だと思う。

さてさて、それで この規範の最近の改訂版。といってももう四年経つのだが。



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歴史の再考-家族史の背景理解のために

2017-02-11 10:35:57 | 歴史
世界はどうなるのか、日本はどうなるのか、との思いが世界を巡っているやに見える。

ポストツルース(post truth)時代。
ポストツルースって、マスコミを信じて、「世の動きは、こうだろうな〜」思っていたらどんでん返し。
英EU離脱、米トランプ、韓国朴失脚--。ネット情報氾濫で何が真実やらわからん時代となったのだと、いうことらしい。

それでも過去に何かヒントを見つけて未来を見つめたいと、皆思うらしい。歴史大ブーム。

私も違わず、そのように関心がある。特に近現代史。
でも第3者として身を置いて考えるには、余裕がなさすぎる、時間がなさすぎる。

父母、祖父母、曾祖父母、全てもはやいない。しかし、かれらの生き様もフォローできていない。
というので、その生様を時代を背景として想像しようと思うことにした。

何せ、父母の結婚は昭和20年、直後に終戦で苦労が始まったようだし、曾祖父母の時代は、明治の激動の最中。
さて、どこから始めるか。

まずは、曾祖父母の時代に至る、第1話
 「いくさがくるぞ〜」から始めようか。

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