カデナ池澤 夏樹新潮社このアイテムの詳細を見る |
この本が出て、新聞記事の紹介を見て、買っておいたのだが読む暇がなかった。
3月の連休となり、ようやく読む時間が取れた、というか取った。
時代は私たちの青春時代。
世の中はベトナム戦争、沖縄返還、安保改定、学生運動で騒然としていた。
その中に確かに米軍兵の逃亡事件がニュースとして流れていた。
その時の沖縄を舞台として、逃亡を助ける人のネットワーク、そしてそれらを駆動した一人一人の背景を描き出した池澤流ヒューマニズム小説である。
私も70年前後は青春まっただ中。その時は反戦の側にいた。しかし、この小説の主人公たちのように、自分につながる血の連鎖の中から沸き上がる本能的な「戦争忌避」ではない。多くの狂気を経験した人も、時でも流れると日常の中へ埋没する。いやあえて埋没の道を選ぶのかもしれない。しかし、その深く沈殿している記憶は、再び繰り返される時に、慎重な抵抗への道を選択する。静かな確信として実行する。
私の反戦意識は、もっと理念的な、そういう意味では「力」とはなりにくいものであった。
しかし、その時のフロントは間違いなく先の戦争の悲惨な体験者たちであり、現実に目の前に広がる理不尽への抵抗であった。
あれから40年の時が流れ、「狂気への忌避」をエネルギーとした「抵抗」もなくなったかに見える。
しかし、沖縄では現実としていまだに続いている。
多くの屍の記憶が消え去った時に同じ悲劇が繰り返されて来たのが歴史の教訓だ。
人間とは、かくも浅はかな決して賢くはないしろものである。