楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

君主論と大学教授論:第4章~第10章

2006-04-24 23:06:23 | 人間
第4章、第5章
 あの若き英雄、アレキサンドロスの教訓。怒濤の如く、インドまで一気に支配したが、すぐに死んでしまった。しかし、その死後も王国は安定であった。なぜなら反対派を一掃したから。こんなこと大学で、出来っこない。

 安定していた自由な世界に入った時の支配方法3つ。
1、 壊滅。2、移住。3、傀儡。おすすめは1と2、とある。
すごいね!これって。こんなこと昔はできたのだ。.現在でもあるね、イラク。
でもきっとうまくやっているのだろうね、現代でも。

第6章
 ここは少しまっとう。賞賛された王をまねろと。それは力量か運命。運命に勝るのが力量。それが英雄、真の王。時を逃さず、力量を発揮すると安定王国ができると。

 そりゃ、そうだね。学問的に優れていて、様々な力量のある教授がすわると安定し、発展。そうでないと悲惨だね。自戒。
プラス武器を持てと。大学教授にとっての武器とはなんだ?このメッセージは重いね。自分のふんどし(自分の科学)で相撲を取れということだね。第7章は人のふんどしで君主になった場合。

第7章
 人の都合、人のふんどしでなった君主は悲惨。運命だけではだめ、ということ。
2代目というだけではダメ。人の都合でなってもダメ。しかし、そこからのし上がった名君もいると。教皇アレクサンドル6世。峻厳だが慈悲深く、寛大。忠実でないものは再編、友好関係を維持、要は力量次第ということ。これは名君だね。

誰もいないから、とりあえず教授にでもしておくかとか、つなぎだからとしてなった教授は悲惨という事。しかし、実力と独自の武器(自分の研究)によっても這い上がること,可。

第8章
極悪非道の王。恐怖政治。総てを抹殺。
いるね。このたぐいの教授。徹底して論敵を非難し、罵倒し、相手をふるい上がらせ、恐怖によってのみ従える教授。教授でない時は勇ましくあったが、今は恐怖体制。マキャベリがこれはいかんと言っているのだからね。極悪非道を許されるのは緊急避難的な一瞬だけだと。躊躇はいけない。悪は一瞬、善は長きに渡れと。
批判は一瞬。褒めること長期だね。ここの章のメッセージはなかなかいいことが書いてあるよ。

第9章
 みんなに(市民に)おされてなった君主のなすべきこと。これってわかり易い。権力者の側から押されても、民衆から押されてなっても君主の目のかける順番は、1に民衆、2に有力者。2はさらに分けられる。2-1。恩義を感じながら物欲しげでない者。2-2は恩義を感じつつ物欲しげな者。3は不義理だが不器用で小心な者。そして4、最大の警戒は不義理で下心ありの者。1はやはり学生だね。2以下はスタッフ。でも、こんなこと考えねばならないなんて、君主って、教授って悲しいね。

第10章
恩義は与えた方も、もらった方も義務感を感じて、結びつく。そこに物質がそれえば完璧であり、難攻不落となる。

前者は同じだね、どの社会でも。でも、恩で縛り合うのはどうかね。押しつけでないうちが強い。教育だってそう。
「我が師の恩~~」と詠わされたって、感動がなかったね。
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君主論と大学教授論 第3章

2006-04-24 19:35:51 | 人間
第3章はショッキングだね。よそもの君主は暴君たれ、と言っているかに一見読める。いかにもマキャベリ。
でもよくよく読んでみると、新しいよそもの君主の大義は安定な国を作ること。この大義のことを彼は書かないので、小手先の悪い術のように見える。新しい支配への期待と希望があるが、それはすぐについえ去るもの、という。2度目の支配が本格的と。その際、反対派を切れ、といっている。でも、最も大事なことは大多数の人心を掌握することであり、ベストはそこに住み着く事であるとも。
要は、コミュニケーションを活発にせねば、ダメよ。ということを恐ろしげに言っている。きちんとやらねばやられるぞ!と。

これって、よそ者教授が、研究室や学生の人心を掌握せねば、研究教育がなりたたない、教室が立ち行かない、ということと似ているね。まして、新しいことをやろうとするとなおさら。その時には必ず反対する人がいるね。現代は切る事はできないね。さ、マキャベリならどうする?あとの章のお楽しみ(つづく)。
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君主論と大学教授論:第2章

2006-04-24 13:18:20 | 人間
昼食をとりながら第2章。

 一番楽なのが世襲とある。大学教授の継承は肉親という訳には行かないので、いわば同門出身者が後継として引き継ぐということか。なるほど、内で波風が立つ事もなく、それまでのやり方を続ければ良い。改革も必要なく、安定を求めるスタッフは延々と同じ事を続ければよい。こりゃ楽だわいな。外からお前らのやり方は古い、と攻撃されても「いえいえ、この累々とした伝統が大事なのです」といえば、内は大方結束する。科学の世界でもである。
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君主論と大学教授論:第1章

2006-04-24 11:47:40 | 人間
君主論って、gooblogで4,600件もある! やはりベストセラーですね。このようなことが世界で500年続いている!
さて、大学教授もある種の小君主であるので比較は面白いかも。(君主論は岩波文庫河島英昭訳による)
勝手な解釈と論評。

 第1章は、君主の出自。世襲か新参者か?
教授で言えば、出身大学で延々と積み重ねて上り詰めたのか、それともよそ者として入ってきたか、ということか。
 近年、学部を卒業して、大学院を終え博士となり、そのまま助手・助教授・教授と上り詰めることをimbleeding(近親交配)といって、視野が狭くなり評価が下がる。ただ大きな大学ではそうはいいつつ、なかなか変化はしない。世襲が続く。

出身大学は同じでも、出戻りかそうではないかによって分けられる。よそ者も他で同じようなところにいたか、全くの新参者であるか、によって分けられるのであろう。

次は教授に来られる側の助教授以下や院生・学生。
それまでいた教授にうまく馴らされていたか、それとも自由である事になれていたか?

そして教授就任に当たって、トップダウンで上から一人だけで来たか、それとも幾人かをつれてくる事ができたかどうか。

私の場合に当てはめると、よそものの新参者。軍団としてつれてきたものもなし。ただ居候だけはついてきた。来た時のスタッフはそれまでの内紛で疲弊しており、私に対する期待は大きかった。変化を求めていた。(つづく)
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名君と科学のはじまり

2006-04-24 00:03:08 | 歴史
日本人は水戸黄門、徳川吉宗(暴れん坊将軍)と大岡越前などの名君が大好き。
「この紋所が目に入らぬか!」「はは!」めでたしめでたし。

さて、科学の世界の名君といえば、ルネッサンスの時のイタリア・フィレンツエのメディチ家のロレンツオ。
彼が名君として多くの科学者、芸術家を援助したために世界は変わった。
ちなみにあのガリレオガリレイを支えたのもちょっと後の、このメディチ家。
一昨年、国際学会が開かれたのをいいことに、フィレンツエに1週間滞在し、ルネサンス気分を満喫したが、
その時から、この名君について知りたいと思ってきた。しかし、なかなか時間がとれなかった。

この名君は、はちゃめちゃであったらしい。
その名君に捧げられた一冊であり、世界で最も読まれている、読み続けられているのがマキャベリの「君主論」。
ルネサンスの名君の陰に悪名高いマキャベリあり。それが読み始めた動機。世界のベストセラーである。

出だしがいいね。
最初の出だしは気に入ってしまった。分かりやすく言うと、「皆、王様に捧げものをするが、私は貧乏なのでなにもない。そこで王様とはなんぼのもんか、どうあるべきか、私の知識と考えを捧げます」と。この本を捧げられた王様が歴史を変え、フィレンツエの黄金時代をつくり、とくに科学や芸術を支援した。となると、このマキャベリがなんぼのものであったか、知りたくなる。というわけで、悪本という常識は「本当?」と思ってしまう。世の常識は正しいか?読んだら感想をのせます。お楽しみに。
(写真は、16世紀ヨーロッパのこの紋所が目に入らぬか!のメディチ家紋章 DORAさんのblogより。
このblogはすばらしい。本当にもう一度行きたくなります。フィレンツエへ)
http://blog.livedoor.jp/italiadora/archives/2006-03.html)
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