場末の雑文置き場

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「美女と男子」 最終回&全体感想

2015年08月27日 | 映画・ドラマ

ラストシーンは爽快感があってとても良かった。みんな楽しそうで何より。

大門に制裁を与えるとかいうこともなく、悪役で終わらせなかったのも良かった。ただ、大門がそこまで絶賛するほどあの曲はいい曲なのか? とは思った。悪くはないけど、そこまでか? っていう……。

右京が回想に一瞬出ただけで、あとは一切出番なかったのは寂しかったな。かれんとか、ほとんどみんな再登場してるのにな。ワンシーンだけでもいいから見たかった。

恋愛話は最後で急にぶっこんできた感じで、ちょっと唐突感があった。あの公開告白はフィクションでしか許されないな。一子さんの遼に対する気持ちの描写はあまりなかったから、その辺りは少し残念。
石野さんは本当に告白する気はなくて、遼を焚き付けてるだけなんじゃないかと思ったらやっぱりそうか。潔い引き際だった。いい人だったな。

最終回は面白かった。全体的に作りも丁寧だった。だけど、本当に高橋ジョージを紅白に出す気なのかな、と考えるとすごくモヤモヤした気持ちになってしまう。正直見たくない。

これまでを振り返ってみると、全体の構成はあまり上手くないというかバランスが悪かったと思う。冷静に考えるとツッコミどころは多いかな。

第11話まではすごく面白くて、「これは傑作になるかも」と期待したんだけど、その直後の第12話がつまんなくて「アレッ?」となって。第13話は、単体ではそう悪くなかったけど、右京を退場させる意味はあったんだろうか。第12話、第13話を遼メインの話にして、右京は脇役として最後まで出してほしかった。

最初は、芸能界の厳しさというものを表現するためにああいう展開になったのかとも思ったんだけど、もしそうだとしたら第三部のトントン拍子ぶりはなんだろう。たどころが復帰するやいなやドラマの主題歌に起用される→それが大ヒット→紅白出場って、なんだかうまく行き過ぎ。
第4話で娘と再会できたときは、たとえ中の人が高橋ジョージでも「ああ良かったね」と素直に思えたのに。あれで終わりにしてればいい話で終わったのに、ここまでやるとしらける。たどころが紅白に出たからこそ最終回の紅白シーンが盛り上がったのはわかるんだけれども。
第一部の、なかなかうまく行かない感じが好きだったのにな。第三部は別世界みたいに都合が良くなってる。

第三部は準主役の遼そっちのけでひたすらたどころ、たどころだったなあ。高橋ジョージが嫌いだという自分の感情を抑えて客観的に考えてみても、やっぱり出過ぎ。最後の最後なのに。たどころが紅白に出られるかどうかなんて死ぬほどどうでもいいから、遼とお父さんとか、遼と一子さんとの関係をもっと掘り下げてほしかった。
第二部も右京中心に進みすぎな面は確かにあったけど、あれは退場前の最後の輝き的なものだったからな。ストーリーもまだ中盤だったし。

第一部は一番安定して面白かったと思う。うまく行き過ぎない、失敗を繰り返しながら少しずつ前進していく感じが良かった。ただ、第7話だけはイマイチだったかな。あんなわかりやすい詐欺にみんな揃って騙されるなんてありえない。家庭問題で頭がいっぱいだったとしても、「できる女性」のはずの一子さんまで。
第二部は、第9話~第11話は第一部よりも面白かった。それ以降はイマイチに感じたけど。第三部は第16話と最終話だけ面白かった。

私が第三部を楽しめなかったのは、脚本家や大方の視聴者ほどひのでプロを好きになれなかったせいもあるかもしれない。オフィスイシノのベタベタしすぎない雰囲気のほうが好きだったし、高橋ジョージ苦手だし。
いや、ひのでプロのことは好きは好きだったんだけど、復活を手放しで喜ぶ気にはなれなかった。そこに至る展開の無理矢理さのほうが目についてしまって。
そもそも、高橋ジョージが苦手な人は大概、最初からこのドラマ避けてるよね。私は「高橋ジョージは見たくないけど、脇役だし我慢できる範囲かな」と思って見始めた。途中までは、高橋ジョージは嫌いでもたどころ晋也というキャラクター自体は別に嫌いじゃなかったんだ。でも、第三部での猛プッシュが鼻についてすっかり苦手になってしまった。妻子に対する未練がましさが現実の高橋ジョージとオーバーラップしてキツかったし。

「美女と男子」の感想を何度か書いてきたけど、文句ばっかり書きすぎたかな。期待していたことの裏返しでもあるんだけど。
どうも、素直に「イイ!」と思ったときよりもモヤモヤを感じたときのほうが筆が進んでしまう悪い癖が自分にはあるみたいだ。


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