実家にはぶどうとリンゴの木がある。
年によって豊作の時、不調の時があるが、両親がずっと大事に育ててきた。ここ数年は、目の見えない父に代わり、母が全部やっている。
私も一度ぶどうの木の間伐を手伝った。
以前、ブログには、父が作ったぶどう棚について投稿したことがあった。
昨日のこのブログ投稿に対して、聖書の言葉「主はぶどうの木、私は枝です」という箇所を思い出しましたというコメントをいただきありがとうございます。
実は、その箇所が賛美歌になったものがありますが、3歳で心臓病と分かった娘が入院中、その歌をよく歌っていました。
主はぶどうの木 私は枝です
いつも離れずに
主はぶどうの木 私は枝です
豊かな実を結ぶ
みことばに とどまり
愛に生きるなら
この世は知るでしょう
主の救いと癒し
娘の病気も父の目の病気も、大変だし、辛うこともあるけど、主のご計画の中で与えられたものなのだと思います。
娘とこの歌を歌っていたのは、きっと父と母が孫のためにいつもぶどうの木を見せたり、抱っこして、ぶどうの木から食べさせていたからだと思います。
我が家にとって、ぶどうの木やリンゴの木は父母の愛情の象徴でもあります。
聖書では、ぶどうの木をイエスさまにとらえ、愛の神という幹に繋がって、みことばという栄養をいただきながら、私たちはその枝となっていれる。その枝から、美味しい実を実らせてくださるのです。
愛の幹からは、愛の実がなる。その枝にされている自分。
間違っても、ちがう実をつけないように、しっかりと木にしがみついていたいです。
ちなみに、ぶどうから作られるぶどう酒(ワイン)。ぶどうの種類によって味が違いますね。ぶどうもさまざまな個性があるように、神さまはさまざまな個性も尊重しておられます。それぞれ味わい深く、でも根本には愛のエキスを流してもらっている。それが信仰者なのですね。
今日の私もおしまい。一日無事に生きました。
明日も朝目覚めさせてくださる神さまに感謝します。
おやすみ・・・・
ちなみに、わたしは、自然酵母のワインが好きです。