じつはこの2年間、ある高校で英語のパートタイム講師をさせていただいていたり、プライベートで英語を教えていた。
最近の英語教育は進んでいて、正直、ブランクのある私に務まるか心配だったけれど、歌うということや歌を教えることのみで、生計を成り立たせることも難しく、悩んでいたときに、このお仕事をいただいた。必死に頑張ったけど、自分の至らなさ、能力のなさに歯がゆく、苦々しい思いもいっぱいだったけど、職場の先生たちがみんないい人で、貴重な経験ができ、ありがたい2年間だった。なにより、子どもたち、生徒が本当にいい子たちで、彼らと過ごせた時間は特別だった。私のこと、先生って言ってくれて、慕ってくれて、わかないとこ聴いてくれて・・・ただただ彼らのまっすぐなハートに励まされ、ありがたかった。プライベートで教えていた子が高校に合格したことを真っ先に電話で伝えてくれたこともうれしかった。
中学を卒業する自分の娘にはひとつも英語を教えてこなかった。お仕事をもう少し増やさないといけないな・・・って思っていたころ、そうしたら行けなくなるかと思い、オレゴンへの旅を強行した私。その翌年、いきなり高校のパートタイムで英語の先生になっちゃったことも、娘にとっても何かしらの影響はあったのかも。彼女もこの春からある高校の英語科へ進む。すでに彼女の耳は私よりいい。発音も。
そんなこったで、この2年、シンガー、ボイストレーナー、英語の講師という3足のわらじをはくこととなったのだが、どれも中途半端な気がして、ずっとずっともがいていた。どれも嫌いじゃない。好きだ。とくに、何かを分かち合えることが私にとってとても大切で、喜びなんだと思った。生徒が英語に興味を示すときや、いい声が出て嬉しそうに歌う生徒さんをみるとき、私の心は小躍りする。自分のうたを聴くお客さんが反応して、心の波動を通わせる瞬間も大好きだ。
でも、でも、やっぱり私は中途半端。技術も経験も不十分。まったく、自信がない・・・。
そうやってぐるぐるしていたとき、ある人がこう言ってくれた。
「私のつくっているうたは存在価値があると思う」
つまり、上手に歌える歌手とかではないけど、歌のことば、歌うという行為、私そのものをもう少し社会へ知ってもらい、流してもいいのではないかということだと思った。
自信などないけれど、そう言ってくれる人、形にするために協力してくれる人、一緒に演奏してくれる人、それを聴いてくれる人がいる限り、もう少し頑張ってみようと思った。自分のできることで、大胆に社会に投げかけてみようと。
生きていくためには必要な経済的な糧。
英語やうたを教える、歌う、歌をつくる・・・この先どれが自分に合った仕事かは今ははっきりわからないし、全くちがう方向へ導かれるかもしれないけど、もう少し「うたうこと」「うたをつくること」を追及してみたいと思う。
渡辺和子シスターの本にもあるように、まずは目の間に置かれた場所で精一杯に花を咲かせよう。その場でできるだけのことをする。結果がどうなろうとも。きっと次のステージでもすべての経験がいかされるのだろう。
高校生になる生徒、大学生になる生徒、進級する生徒・・・・みんなと同じように、先生もまだ歩いていくよ。チャレンジしてみるよ。
結果を恐れず、今の自分が好きになれるように、頑張るよ。
卒業おめでとう、進級おめでとう!みんなの春からのスタート、一緒に学校では過ごせないけど、心でずっと応援している。
ありがとう。ありがとう。
またね。