横尾美穂と声

シンガソングライター、ボイストレーナー、ゴスペルシンガー

横尾美穂の声と生活

冬休みが終わって

2014-01-21 00:13:33 | 日記・その他

子供たちの冬休みが終わって・・・。

「行ってきまーす!」と元気な声で家を出かける姿に・・・、昨日まで「あぁ、早く冬休みよ、去れ~」と思っていたことも忘れ、家にひとりぽっちになるのが少しだけ寂しい気持ちになった。

昨晩は、無事に自由研究や宿題も終え、上靴や雑巾、エプロンも揃え、子供たちが寝静まるとほっと一息。台所の片づけをし始めた。

ひとつひとつ気になっているところを片付けていく。そして、きっと最後までいったところで、最初に片付けたところがまた雑然とするのか・・・いやいや、今回は少し長いスパンで整理しやすい環境作りを目指そう。

ここからは自分のためのメモ・・・・

 

<気になっているところ>

・楽譜や歌詞の分類とファイル作成

・作業場の棚の中の見直し(いらいないもの、使えるものを使いやすく収納)

・洋服の整理(いらない服、3年着ていない服を思い切って捨てる)

・子供部屋全般(洋服かけの作成:注文は私。主に夫が創作)

・書類や写真の整理

・英語や語学の書籍の整理

 

<片づけがぼちぼち終わったらすること>

・英語の勉強(1日1.5時間)

・自分のレシピ本づくり

・歌の創作

・縫い物(部屋のカーテン、小物入れ、ゴミ袋ストッカー、家用のスカートづくり)

・パンづくりをもっと日常的につくる。

・常備食づくり、とくにピクルス、みそ

 

このうち、いくつうまくいくかな。楽しみだ。

身の回りが片付いていくと、心に余裕が出来る。やらないといけないことがあるけど、大切なことを先にやると、他のこともスムーズに行く。

とくに、私にとっては、夜と朝の聖書を読んで祈る時間を確保できるときは、心がスムーズな証拠。それができないときは、なにかアンバランスな自分がいる。

数日前から、数年前に友達がくれた1日(聖書のことば)1言という本を改めて読みなおしている。数年前に感じたこととはちがうメッセージが自分の心に届く。

その中で、改めて問われたことは、あなたは人生で何を優先にするのか?ということ。

そして聖書の言葉は、「神の国と神の義をまず求めなさい。」

私にとって、この言葉を実践することはどういうことなのか、祈りも求めつつ考えながら過ごしたいと思っていたとき、今日TVのニュースで、イスラム過激派の、自爆テロでいのちを神に捧げようとした男の子と、テロをやめなさいとその母親。母親が息子に「神よ、この子を守ってほしい」と祈りながら説得したら、息子は「ぼくも神のためにテロをするんだ」と言う、なんとも皮肉な話を目にした。

どちらも、神を信じている結果それぞれが決断し実践したこと。しかし、解釈が異なるのだ。

私個人としては、母親の気持ちになるだろうし、テロはどんなことがあっても肯定されるものでないと思っている。が、このように、神の御心がなんであるかとうことをそれぞれの人間が考え出すときに、理不尽な、不合理な出来事が起きたり、その考え方に誤差が生まれたりするのも否めない。

信仰者、キリスト教徒であろうが、イスラム教徒であろうが、ユダヤ教徒であろうが、まずはそれぞれの経典から神という存在の御性質を知っていく。 

その知る過程で理解する力や幅は、それぞれの生きてきた経験や親や周りから教えられた価値観によって、人それぞれ微妙にちがうのであろう。そんなころ、ある意味当然であるし、そうはわかっていても、私たちとうか、現在の思想の流れには、「互いに受け入れあえたら、理解しあえたら・・・平和へとつながる」という風潮がある気がする。

はっきりいって、私はこの地上の人たちが、心から分かり合えるとは思っていないし、分かりきれなくてもいいと思っている。 しかしだからといって、同時に、相手のことを聞いたり知った上で、自分とはちがったときに、理性でどうふるまうかというとことにおいて、常日頃よく考えていないといけないと思っている。自分とは違う意見を受け入れることが出来なくても、その人を排除しようとか、嫌いだという反応にならないように、むしろ自分の意見はいいのだろうかということを常に検証する習慣をもっていたい。そのためには、やはり人間の性質を見つめ、考え続け、何が幸せで、なぜ生きているのか、いのちとは何かを考え続けて行きたいと思う。信仰者は経典だけでなく、歴史や思想の流れを謙虚に勉強し、「自分は何も知らない」というスタンスでいなければ、すぐに自分の信じる唯一の神へ、闇雲に自分のイメージで突進したり、自分の方向へ人を引きずってこようとしたりするのではないかと思う。

人間は知性を与えられたとある。もし他の動物よりもその点が優れているというなら、私たちは一生を「学び続ける」 という姿勢でいるべきなんだと。与えられた知性と同時に、その知性に磨きをかける責任も与えられていると思う。